センス・オブ・ワンダー (新潮文庫)

  • 新潮社 (2021年8月30日発売)
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【まとめ】
子どもたちの世界は、いつも生き生きとして新鮮で美しく、驚きと感激にみちあふれています。残念なことに、わたしたちの多くは大人になるまえに澄みきった洞察力や、美しいもの、畏敬すべきものへの直感力をにぶらせ、あるときはまったく失ってしまいます。
もしもわたしが、すべての子どもの成長を見守る善良な妖精に話しかける力をもっているとしたら、世界中の子どもに、生涯消えることのない「センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目を見はる感性」を授けてほしいとたのむでしょう。 この感性は、やがて大人になるとやってくる倦怠と幻滅、わたしたちが自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、かわらぬ解毒剤になるのです。

生まれつきそなわっている子どもの「センス・オブ・ワンダー」をいつも新鮮にたもちつづけるためには、わたしたちが住んでいる世界のよろこび、感激、神秘などを子どもといっしょに再発見し、感動を分かち合ってくれる大人が、すくなくともひとり、そばにいる必要があります。

美しいものを美しいと感じる感覚、新しいものや未知なものにふれたときの感激、思いやり、憐れみ、賛嘆や愛情などのさまざまな形の感情がひとたびよびさまされると、次はその対象となるものについてもっとよく知りたいと思うようになります。そのようにして見つけだした知識は、しっかりと身につきます。
消化する能力がまだそなわっていない子どもに、事実をうのみにさせるよりも、むしろ子どもが知りたがるような道を切りひらいてやることのほうがどんなにたいせつであるかわかりません。

わたしはここまで、わたしたちのまわりの鳥、昆虫、岩石、星、その他の生きものや無生物を識別し、名前を知ることについてはほとんどふれませんでした。もちろん、興味をそそるものの名前を知っていると、都合がよいことは確かです。しかし、それはべつの問題です。手ごろな値段の役に立つ図鑑などを、親がすこし気をつけて選んで買ってくることで、容易に解決できることなのですから。
いろいろなものの名前を覚えていくことの価値は、どれほど楽しみながら覚えるかによって、まったくちがってくるとわたしは考えています。もし、名前を覚えることで終わりになってしまうのだとしたら、それはあまり意味のあることとは思えません。

人間を超えた存在を認識し、おそれ、驚嘆する感性をはぐくみ強めていくことには、どのような意義があるのでしょうか。自然界を探検することは、貴重な子ども時代をすごす愉快で楽しい方法のひとつにすぎないのでしょうか。それとも、もっと深いなにかがあるのでしょうか。
わたしはそのなかに、永続的で意義深いなにかがあると信じています。地球の美しさと神秘を感じとれる人は、科学者であろうとなかろうと、人生に飽きて疲れたり、孤独にさいなまれることはけっしてないでしょう。たとえ生活のなかで苦しみや心配ごとにであったとしても、かならずや、内面的な満足感と、生きていることへの新たなよろこびへ通ずる小道を見つけだすことができると信じます。

地球の美しさについて深く思いをめぐらせる人は、生命の終わりの瞬間まで、生き生きとした精神力をたもちつづけることができるでしょう。

●訳者・解説者コメント
・レイチェル・カーソンは、地球の素晴らしさは生命の輝きにあると信じていた。地球はあらゆる生命が織りなすネットで覆われている。その地球の美しさを感ずるのも、探求するのも、守るのも、そして破壊するのも人間なのである。彼女は、破壊と荒廃へつき進む現代社会のあり方にブレーキをかけ、自然との共存という別の道を見いだす希望を、幼いものたちの感性のなかに期待している。
『沈黙の春』が、いまなお鋭く環境汚染を告発しつづけているのと同じように、『センス・オブ・ワンダー』は、子どもたちに自然をどのように感じとらせたらよいか悩む人々へのおだやかで説得力のあるメッセージを送りつづけてくれるだろう。環境教育の必要性が叫ばれているいま、この本に託されたレイチェルの遺志は、多くの人の共感を得ると信じている。

・人間にはひとつだけ、他の生物と人間が異なることがある。サルとでさえ大きく違っている。それは何かと言えば、人間には、ことさら長い子ども時代がある、ということである。
これはいったい何を意味するのだろう。
大人になると、つまり性的成熟を果たすと、生物は苦労が多くなる。パートナーを見つけ、食料を探し、敵を警戒し、巣を作り、縄張りを守らなければならない。そこにあるのは闘争、攻撃、防御、警戒といった、待ったなしの生存競争である。対して、子どもに許されていることはなんだろう? 遊びである。性的なものから自由でいられるから、闘争よりもゲーム、攻撃よりも友好、防御よりも探検、警戒よりも好奇心、それが子どもの特権である。つまり生産性よりも常に遊びが優先されてよい特権的な期間が子ども時代だ。
なかなか成熟せず、長い子ども時間を許された生物(つまりヒトの祖先のサル)が、たまたまあるとき出現した。彼はあるいは彼女は、遊びの中で学ぶことができた。遊びの中で発見することができた。遊びを介して試すことができたのだ。そしてなによりも、世界の美しさと精妙さについて、遊びを通して気づくことができたのだ。センス・オブ・ワンダーの獲得である。もともと環境からの情報に鋭敏に反応できるよう、子どもの五感は研ぎ澄まされている。これが人間の脳を鍛え、知恵を育み、文化や文明をつくることにつながった。こうして人間は人間たらしめられた。これが私の仮説である。

・レイチェルがロジャーに伝えようとしているのは、単なる知識ではなく、全身に響きわたる経験である。そうした理知の壁を貫き、「いのち」に直接注ぎ込まれた出来事は不朽のものとなる。そして、幼いロジャーの心中でゆっくりと育まれ、必要なときに開花し、そっとこの世界の秘密を解き始める。そのことを彼女は熟知していた。

・「物事はこういうふうに進化していってほしい、発展していってほしい」という「人の願い」が、想像力や人間特有の力を削いでいっている気がしてなりません。人の願いに、合理性や効率といったものがくっついてくると、危ないという気がします。
でもその進化は、止められないとも、私は思う。だから、それを超えていく力を子どもたちに贈る教育ということを考えないといけないと思うのです。
この『センス・オブ・ワンダー』という作品も、子どもたちが、人々が、見えない世界から何かを感じてほしい、贈りものを受けとってほしいという「願い」にあふれています。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2022年11月4日
読了日 : 2022年11月3日
本棚登録日 : 2022年11月3日

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