あるきっかけから、最近になって初めてアガサクリスティを2作品読んだ。
それが意外と面白かったので、他にも読んでみようと本書を図書館で借りたのだが、何故3冊目に本書を選んだのかは覚えていない。
題名(の邦訳)は素敵だと思う。
序盤で、すれ違う自動車に乗っている乗客達についての国籍や人数や性別が書かれているので、反対方向に行くのに、この後「事件」でどう関わることになるのだろう?などと意識した。
しかし半分くらい読んでも「(殺人)事件」が一向に発生しないし、退屈してきた。
なんか翻訳の言い回しも古臭いなぁと思って、途中で翻訳者について調べた。
現在100歳でご存命の方だった。
現在100歳の方が本書を翻訳した当時は、時代的に確かに翻訳の大家であられただろうなと納得する経歴だ。
言い回しは(今となっては)古臭い感じはするが、読みにくい翻訳というほどではない。
ならば、この面白くない流れは何なのだ?
そこでまたブクログレビューを拝見。
そうか、そうだったのか。
これは「殺人事件」が発生しないのか…
知らなかった。
ある意味、これも「怖い」作品なのだということは理解したし、この時代に「毒親本」が書かれていたことに感嘆もしたが、後半は飛ばし読み。
変わり映えのしない食事内容ではあるものの、食事やお茶を用意してくれたり、心配してくれたりする宿のインド人に対する態度も最後には良きに変化するのかと期待したが、そんなことも無かったようだ。
ちゃんと読んでいないから、もしかしたらそういうシーン有ったのかな?
あまりに飛ばし読みしたため、バグダッド在住の次女バーバラと夫のウィリアムの妙な態度(それは母親である主人公に来て欲しくなかった。サッサと帰ってくれと思っていたかららしいが)と、リード少佐って誰?何があった?ということはわからずじまいとなってしまったが、まっいいか。
- 感想投稿日 : 2023年11月9日
- 読了日 : 2023年11月9日
- 本棚登録日 : 2023年11月9日
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