数あるポール・オースターの名作の中でも、私が最も好きな作品の一つ。好きすぎると安易に語れない性分なのですが、ちょっと思うところあって、敢えて今更レビューしてみます。
頭のイカレた不遇の中年詩人に飼われる、なんでもない雑種犬ミスター・ボーンズ。
このミスター・ボーンズが物語の主人公です。犬が語り部となる寓話的作品ですが、ユーモラス且つ緻密に書かれているのでとてもリアル。
まずこの作品が素晴らしいのは、「犬かわいい」の話じゃないこと。いや、結果的に「犬かわいい」というのも間違ってないんだけど、主題はそこにはなく、主従関係にあるヒトと犬を描きながらも読後感として強く残るのは、愛、自由、創造、無常感といった、ヒト個人が一生で体験し得る最もミクロな「生きる意味」であり、ひいてはオースターの個人的な社会風刺であるということ。
物語はミスター・ボーンズの目線で語られます。人格を与えられた動物をモチーフにした物語は、たいていメロドラマティックです。
それは普段もの語らぬ動物への幻想に加え、ヒトとは異なるライフスパンを持つ哀れな小動物への憐憫とか、所詮家畜や愛玩動物という生命体的ヒエラルキーといった(普段目を逸らしている)ヒトの驕りをつきつけられるとこと自体に感情を揺さぶるドラマ性があるからでしょう。でもこの物語は違う。
犬目線は、ある意味神目線なんです。メタ目線というか。いうなら漱石の「吾輩は猫である」の犬×アメリカ版というか。
ミスター・ボーンズの目で感性で言葉で語られるのは、ゆるぎない愛と信仰心(忠誠心?)を媒介した、人間性、人間社会の矛盾。
作品を堪能するにあたって差し障りの無いので言ってしまうと、飼い主の詩人はもちろん、世に何も残さないまま野垂れ死にするわけです。が、この物語の真価はその先にあります。自分の世界の中だけで自由に生きた詩人と、無償の愛と友情でつながれていたミスター・ボーンズ。その主人亡き後、ミスター・ボーンズはかつて主人とはまた違う、様々な孤独を抱えた人たちに出会います。物語は淡々と進み、新たな人々との出会いの中でミスター・ボーンズはかつての主人との愛と友情を深めながら最期の地、ティンブクトゥを目指します。その道中に、ほんとうの幸せのあり方を見出しながら・・・。
虚栄心や矛盾に満ちた現世に比べ、本当の自由と、ただの研ぎ澄まされた愛情だけが導く場所、ティンブクトゥ。気持ちいいほどピュアなんです。
ちなみに訳もウィットに飛んでいて素晴らしいので、ぜひpaperbackと読み比べてみるとユーモア溢れる言葉遊びが堪能できます!
※邦訳読んだら絶対、「え?これ原作どういう表現なの!?」って気になってしょうがないこと間違いなしw
"一人のドライバーが窓から顔をつき出して「ジンジャーエール」だか「死んじまえ」だかに聞こえる言葉をどな(った)。 "― 118ページ
訳者は柴田元幸さん。さすがです。
そういうわけで、派手なドラマやお涙頂戴のメロドラマにつかれた大人にぴったりの一冊です。
ふわあああ。わたしもティンブクトゥに、行きたい。
- 感想投稿日 : 2012年9月3日
- 読了日 : 2011年4月8日
- 本棚登録日 : 2011年4月8日
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