バウドリーノ(上)

  • 岩波書店 (2010年11月11日発売)
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4

ウンベルト・エーコの代表作『薔薇の名前』は、1300年代の北イタリアにある僧院で起こった猟奇的事件を7日間にわたり描いた作品。閉じられた時空間に展開される百科全書的な知的ミステリーの傑作。
一方、本作はガラリと反転して、半世紀にわたる冒険譚、神聖ローマ帝国からビザンティン帝国、さらには未知の東洋へと広がりをみせる。前者に比べると格段に読みやすく、ストーリーテリングも軽妙で明るい。だがその詩情は、静謐な哀愁をなみなみと湛えていて、とても幻想的で美しい。

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1155年、北イタリアに遠征した神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ・バルバロッサ (1122年~1190)は、寒村の農民の子パウドリーノを養子にする。異邦人の話しを耳にするだけで言葉を覚えてしまう稀有な才能をもつパウドリーノは、快活で賢く破天荒、そのよくまわる舌で大人もだます、小さなオデュセウスのよう。
1204年、第4回十字軍によるビザンツ帝国の都市コンスタンティノープルの略奪を目のあたりにしたパウドリーノは、高官のニケタス・コニアテス(1150年~1213)をすんでのところで救い出す。しだいにパウドリーノの饒舌な冒険譚と生きざまに惹かれていくニケタス……。

れいによって虚構と史実を華麗に綯い交ぜる手法に脱帽、だつぼう! 神聖ローマ帝国の構築に粉骨砕身のフリードリヒ、やんちゃ坊主のパウドリーノ、そして彼の実父の野卑なガリアウド。重複した父子関係は愉快で温かく、作品全体に漂泊する心地よい通奏低音のようだ。思えば『薔薇の名前』の修道士ウィリアムとその弟子アドソもそうだった、エーコは大きな意味の父子関係を描くのが好きなのかもしれない。

キリストの聖杯伝説を絡めながら、後半になると「司祭ヨハネの手紙」をツールとした東洋への冒険譚が楽しい。一本足や無頭人、半人半獣といった半神話的な世界が登場する。当時の東洋は強い憧れと、未知ゆえの畏れも大きかったことだろう。ほどなくすればマルコ・ポーロの『東方見聞録』も史実に登場することを思うと、高校時代に夢中になった本がひょんなところで繋がるのだから、懐かしくてわくわくして読書はやめられない。

東に向かう旅の途中、パウドリーノと仲間たちは小さな国に逗留する。彼らが怪物と称した生きものたちは、奇異でもなんでもなく、その地で共存していることを目のあたりにすると、広々としたパノラマが広がっていくような開放感、それとともにしくしくと胸に迫る痛恨の極み。

たしかにこの世界は人間だけが生きているわけではない。でも人類は我が物顔でこの星を痛めつけ、搾取してきたことに目をつぶる。どれだけ叩いても奪っても、従順で不死身なのだと思っているのかもしれない。いまや深刻な温暖化を招いて氷床や凍土はとけだし、土地は水没、豪雨水害、殺人的熱波、砂漠化、とまらない森林火災ににっちもさっちもいかない。加えて大気汚染、手に負えない核の廃棄物、プラゴミ……もはや人類はこの星の貪欲な寄生虫やウィルスと変わらないのではないかと思えてくる。宿主は重篤な病を患っているのに、その終焉を迎えるまで、むさぼることに余念のないバグ、わたしもそのひとりなのだ……。

よわい五十をはるかに超えたパウドリーノの語りは、はかない人間の営みやその愛らしさ、醜さや愚行もすべてやさしく抱きしめるよう。そのしらべはどこか子守歌のように穏やかで、涙が落ちそうな哀しみをやどしている。ニケタスは、彼の話の真偽に不安を感じながら、抗いがたい魅力にひきこまれていく。たとえそれが壮大な虚構だったとしても、その物語には密かな真実が、とわの真実として存在しているかもしれない。
とても幻想的で美しい作品だ。

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本を読んでいると、懐かしい想いがよみがえってくることがある……宇宙空間を漂流しているこの星は、あらゆる生きものを乗せた、なんと奇跡のような箱舟だ! と少女はわくわくしながら星空をあおぎ、胸を膨らませたものだった。でもやがて、小枝をくわえた鳩が飛んでくることは決してないことを知る。もはやこの星で戦争や強奪戦などやっている暇はすこしもないのに……齢ふる少女はふと宮沢賢治の言葉を想いだす。
「世界がぜんたい幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない」

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感想投稿日 : 2020年3月1日
本棚登録日 : 2020年3月3日

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