ものがたりの余白 エンデが最後に話したこと (岩波現代文庫 文芸 156)

  • 岩波書店 (2009年11月13日発売)
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ミヒャエル・エンデ(ドイツ・1929~1995)の『モモ』は世界的なロングセラーだ。私もあどけない少女モモの長年のファンだが、そんな作者エンデの対談を読むのははじめて。いや~饒舌で、エンデの文学・芸術論や彼の哲学もうかがえて興味深い♪(私としてはもう少し読みたい、踏み込んでほしかったなぁ~)

<ユーモアとはなんだ?>
エンデいわく、たとえば「理想主義者」は人生の平凡な事実を見ようとしない、そう、偏平足や虫歯の穴を。こんな例え話にニヤリとし、一方で「現実主義者」は、理想はすべて幻想だと言い、偏平足や虫歯の穴だけを見る。きゃはは~膝を打って笑った!

ユーモアは、こんな狭量なモノの見かたの両方を引き受けながら、ある種の結合する力があるようで、おおらかな態度、善意や好意と結びつく傾向にあるとエンデはいう。たしかに人間はまちがえる、性懲りもなく何度も、そして弱くて滑稽な生き物で、大きな理想とままならない現実のギャップにさいなむやら悪態をつくやら……そんななかでユーモアは他者の立場で冷静に見つめ、滑稽な自分すら笑い飛ばすことができる多角的な目から生まれるのだろう。
あのピエロの原型でもあるよう。人間のもつ両義性や滑稽さを「王」にさえ指摘することが許され、神に触れた存在として畏れられた、まさに他者の目をもつ賢者。賢者と言えば、なんといっても愛すべき『ドン・キホーテ』、ユーモア(滑稽)小説の代表だ。

<余白の豊かさ>
「人間には神話が必要なのです。神話は人間の生の矛盾を、ひとつの物語やひとつの絵にまとめてくれます。人はそれを指針にできる」

人間のもつ両義性や陰陽や矛盾した側面は、洋の東西の悩ましさ、太古の昔から今もこれからも連綿と続くだろう。エンデは「間」の空間を模索している。茶碗の中の空間、神殿の柱と柱の間の空間……虚無の空間がなければ別の面を見ることはできない、多義性も失い、平面世界の住人となってしまう。そんな彼の語り口は、東洋思想や老子の世界を彷彿とさせる。また人間を小宇宙、外的世界を大宇宙として、その調和や相応関係を問うこと、外と内との合致を目指す西洋の「錬金術」をも思い起こさせる。人間存在の不思議、古今東西の類似の思想は、いつまでも色褪せることなく人々を魅了するはず。わたしの興味も尽きることがなく、ちかごろ少々もてあましている。

<虚構の真実>
「芸術は嘘だ、が、この嘘は、わたしたちに真実をみせてくれる嘘なのだ。芸術が嘘だから、わたしたちはそれを通して真実をみることができる。それが虚構だと、わたしたち知っているからです。それを忘れたときには、芸術は猛毒になってしまう」

ふと作家イタロ・カルヴィーノのクールな言葉ともつながって楽しい。古典を読む人は……時事問題を絡めた読書をしなくてはならない、さもなければ無限の空間に放り出されてしまう。騎士物語を読みすぎたドン・キホーテにならないよう気をつけたい♪

たしかに物語や文学は虚構の、嘘の世界にすぎない、そんなものを読むのは時間の無駄だ、と言う人もけっこう多いし、わたしのまわりにも何人かいる。
でも古今東西の人間という不思議な存在を、あれやこれやとじっくりながめることができるのは、神話をはじめとしたすぐれた物語や詩歌や絵画をはじめとする芸術以外にはないだろうと思う。ユーモア(滑稽)や多義性を楽しみながら想像をはたらかせるのは、およそどんなゲームよりも楽しいかもしれない。

気さくなエンデの語りをながめているうちに、ふと、あの作家が思い浮かぶ。わずか数行であっというまにベトナムのジャングルへ連れ去り、読み手を圧倒する。そう、これが物語の力だ。

『あることは実際に起こっていないかもしれない。でもそれは真実以上の真実でありうる。たとえばこういう話だ。4人の兵隊が道を歩いている。手榴弾が飛んでくる。一人がそれに飛びついて身をていして3人の仲間を救おうとする。でもそれは大量殺傷用大型手榴弾で、結局みんな死んでしまう。死ぬ前に一人がこう言う。「お前なんでまたあんなことしたんだ?」飛びついた男がこう言う。「一世一代ってやつだ、戦友」と。相手の男は微笑みかけたところで死んでしまう。
これは作り話だ。でも本当の話だ』 (ティム・オブライエン『本当の戦争の話をしよう』)(2021.7.4)

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感想投稿日 : 2021年7月4日
本棚登録日 : 2021年7月4日

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