2023.11.6 再読了(1回目2022.4.6)☆8.7/10.0
伊坂幸太郎さんの真骨頂の偶像劇
大きく分けて5つの場面で展開される物語。時系列がバラバラなことが後々分かってくるので、読んでいる最中は同時並行のように錯覚してしまう。
それぞれに出てくる主人公が、さまざまな場面で交わり、関わり、関係し合っていたことがだんだんと分かってきて、「あ!これはこの時のアレだったのか!」「ここでこの人とこうして繋がるのか」という驚きの連続。
全く個別の人生なのに、それぞれが意外なところで結びつき、予想もしないところで出会い、巻き込み、巻き込まれていく。
それはまるで、冒頭のエッシャーの騙し絵の挿絵のように、五つの物語がまるで"一枚の壮大な騙し絵"。
それまでバラバラだった人物たちの物語が、読んでいる側が頭の中で組み立てていた物語が、終盤になって綺麗に解体され、鮮やかに再構築される。それがとても心地よくて痛快。
そして、伊坂さんの真骨頂の一つでもある、散りばめられるこの世の真理やきらめく機知も今回も満載です。
自分のこの人生も、きっとどこかで誰かと交わることで影響を与え、知らないところで繋がっていて、作用し合っているのかもしれないと想像すると、実は誰もが誰かの救世主だったりもするんだろうなと、そう感じました。
〜〜〜〜〜〜〜〜心に残った言葉〜〜〜〜〜〜〜〜
"この地面にアスファルトを流してるのは、俺たちの勝手だ。ガソリンで突っ走るこの乗り物だって俺たちの勝手。そうだろう?それでもってその勝手とさ無関係のはずのタヌキだとか猫が轢かれちまう。とばっちりだよな。俺たちの横暴だよ。せめてこんな硬いアスファルトで晒し者になっているのだけは救ってやりたいんだ"
"優しいって字はさ、人偏『憂い』って書くだろう。あれは『人の憂いが分かる』って意味なんだよ、きっと。それが優しいってことなんだ。ようするに、想像力なんだよ"
"神について考えててね、俺は俺なりに分かったんだ。内臓の定義を知っているかい?一つに、『自分でコントロールできない』ってことが挙げられる。例えば、右腕を 上げるのはやろうと意識すればできる。頭が痒ければその場で掻ける。ただ、内臓は無理だ。胃や腸は蠕動運動を繰り返して、こうしている今も食べたパンを下へ下へと送り続けている。でも、それを意識してやっているかというと、そりゃ無理だ。心臓の筋肉を何秒かおきに動かして、その間に腸のことを気にしつつ、目の前のデスクワークもこなす。そんな状態になったらわ、脳では把握できなくなってパンクだろうな。
そして俺と胃の関係は、人間と神の関係に似ているんだ。俺は自分の意思で勝手に生きている。死ぬなんて考えたこともないし、誰かに生かされているとも思ったことがない。ただ、そんなことは胃がまともに動かなくなったら途端にアウトだ。そうだろ?俺が必死に口に入れた食事が何一つ消化されず、止まってしまったら、俺の生活も止まってしまうだろうな。ただ、胃をコントロールすることはできない。俺は暴飲暴食を避けて、よく噛み、胃の状態にたえず気を配っていなくてはならない。痛みはないか、ガスは溜まっていないか。要するに、胃は俺の人生を担っているわけだ。で、俺が胃に対してできることとは何かというと、声に耳を傾けて、最善を尽くし、祈ること。
俺は胃を直接見られない。あとは祈るだけだ。内臓ってのは俺が死ぬまで一緒のはずだ。いつも見えないところで、そばにいて、一緒に死んでいく。神様と近いだろ?俺が悪さをすれば神は怒り、俺に災害を与えてくる。
それに、人はそれぞれ胃を持っている。そこも神と似ている。誰もが自分の神こそが本物だと信じてる。ただ、誰の胃も結局は同じものであるように、みんなの信じている神様は煎じ詰めれば、同じものを指しているのかもしれない"
"人生に抵抗するのはやめた。世の中には大きな流れがあって、それに逆らっても結局のところ押し流されてしまうものなんだ。巨大な力で生かされていることを理解すれば怖いものなどない。逃げることも必要ない。俺たちは自分の意志と選択で生きていると思っていても。実際は『生かされている』んだ"
"人生については、誰もがアマチュアなんだよ。誰だって初参加なんだ。人生にはプロフェッショナルがいるわけではない。全員がアマチュアで、新人だ。
初めて試合に出た新人が、失敗して落ち込むなよ"
"行き詰まっているとお前が思い込んでいただけだよ。人ってのはみんなそうだな。例えば、砂漠に白線を引いて、その上を一歩も踏み外さないように怯えて歩いているだけなんだ。周りは砂漠だぜ。縦横無尽に歩けるのに、ラインを踏み外したら死んでしまうと勝手に思い込んでる"
- 感想投稿日 : 2023年11月12日
- 読了日 : 2023年11月11日
- 本棚登録日 : 2023年11月11日
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