言語表現法講義 (岩波テキストブックス)

著者 :
  • 岩波書店 (1996年10月8日発売)
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本棚登録 : 354
感想 : 23
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リンク先にもあるとおり"文章を磨きたいと考えている人は必読"な名著だろう。

<blockquote>言葉を書くというのは…考えていることを上手に表現する技法の問題だとは考えていない。むしろよりよく考えるための、つまり自分と向かいあうための一つの経験の場なのだと考えている。(P.1)
</blockquote>

何せ1ページ目からこれである。
てにをはだとか、一文を短めにだとか、接続詞の使い方のような実践的な作文術ではない。

<blockquote>
わかったことが大事なんじゃなく、わからないことが大事なのです。(P.202)
</blockquote>

何かについて書くということは、何かについて分かっていることを伝えるために書くのではなく、何かについて知らないことを自分で受け止めた上で考えていくという過程なのである。
"さらに考えて、つぎのわからなさまで到達して、そこから書くことが大事"という極意。それをカーリングにたとえ、突き抜けるだけではなく押し留めるという文章を紹介する。

<blockquote>
自分というのは他者なんです、こいつ何でこんなこと考えたんだろうな、と考えてみて欲しいんですよ。(P.118)
</blockquote>

村上春樹はこういう「書くことでしか考えられない。」。


<blockquote>
文章を書くというのは、変わったゲームなんです。相手を育て自分を負かすまでに強くし、その自分より強い相手に立ち向かい、自分も強くなる、そういうゲームです。相手を強くできないは人、自分も強くなれません。(P.179)
</blockquote>

書くことは考えることなのだから、言語表現法の話は単なる作文技術に留まらず考え方・思考方法にまで通じる

<blockquote>
誰でも、自分がこう感じる、ああ感じた、というところしか考えすすめることはできません。(P.133)
</blockquote>

感動から自由になる。
自由になるというのは非人間になるということ。
いわば"書き手"という他者の視点を得るのだ。
そのためにはフィクションという嘘が有用だと解く。
それは何故か。

<blockquote>
嘘を言うことでしか言えない「ほんとう」というものが、あるからだ、としか言いようがない。(P.232)
</blockquote>

からで、さらに

<blockquote>
フィクションというものがないと、「ほんとう」を笑い飛ばすものがなくなってしまう(P.232)
</blockquote>

まるで文章を書くということは生きていくということなのだ、とでも言わんばかりの強い視点だ。

<blockquote>
「ほんとう」のことは、大事だし、それをめがけてしかヒトは生きられないが、しかし、その「ほんとう」のことは、笑い飛ばされる必要があるのです。そうでないと、「ほんとう」のことは、何ものもこれを否定できない僭主のような存在になってしまうでしょう。それは、「ほんとう」のこと自身の望まないことではないでしょうか。その僭主化をふせぐもの、そこに風穴をあけるものが、僕の考えではフィクションなのです。
</blockquote>

『言語表現法講義』は文章作法のみならず、よりよく考えるための,自分と向かい合うための方法を説く。

<blockquote>
明治学院大学国際学部で一九八七年以降、第二学年と第三学年の学生を対象に専門共通科目として開講してきた『言語表現法』の授業での経験」(P.255)
</blockquote>
とのことだが、18〜19歳という時期にこういう講義に出会えったのならその後の人生の彩りが豊かなものになるだろう。

文章を書きたいという人だけではなく、日本語でモノを考える人(つまりはこの文章を読んだ人全員)に一読をお勧めしたい。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 本・雑誌
感想投稿日 : 2018年11月20日
読了日 : 2010年2月10日
本棚登録日 : 2018年11月20日

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