人間の建設 (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社 (2010年2月26日発売)
3.91
  • (187)
  • (238)
  • (162)
  • (28)
  • (8)
本棚登録 : 3214
感想 : 280
5

【読もうと思った理由】
実はこの本は、数年前から本屋でふと気になる度に立ち読みしていた本だった。当時読んでいても、理解できる部分がかなり限られており、自分にとって、かなり難解な本だった。ただ何故だろう、理由は分からないが、何故か本屋に行けば、立ち読み読みしたくなる。そんな不思議な魅力がある本だった。いつしかこの本に書かれていることを、理解したいという欲求が、徐々に増大していた。そこから、本書でピックアップされている、ドストエフスキーやプラトン、哲学書や仏教書に興味を持ち始め、読み始めることになる。上記に書いてある本を読めば読むほどに、本書に書いてあることが、徐々にではあるが理解できてくる。こんな数年に渡って興味を失わなかった書籍は稀である。そして遂に数年越しに本書を購入し、読み始めた。

【岡潔(きよし)氏ってどんな人?】
明治34年(1901)、現在の大阪市に生まれる。4歳から紀見村(現:橋本市)の父の実家で育ち、粉河中学校時代に「クリフォードの定理」で数学に興味を持ち始める。大正14年(1925)に京都帝国大学理学部を卒業、その後、同大学の助教授を勤めていたときに、フランスのパリにあるソルボンヌ大学に文部省(現:文部科学省)の海外研究員として留学した。そこで、生涯の研究分野を「多変数函数論」と心に決めて、昭和7(1932)年に帰国した。

この研究は、「山にたとえれば、いかにも登りにくそうな山だと分かったので、敢えて登ろうとするようなものであった。」と後に語っている。昭和9年(1934)、この分野に関する詳しい文献が載せられた本を入手、中心となる三つの問題が解決されていないことが分かり、この問題解決にとりかかる決意を固め研究を開始する。しかし、残されている問題だけに、手も足も出ないほど難しいものであった。夜昼関係なく没頭した研究生活を送っていたある日の朝、いつものように椅子に腰を掛けていると、突然目の前にひらめきが起こって問題解決の第一着手である「上空移行の原理」を発見、その後、約20年を費やしてその理論の骨格を一人で完成した。

岡の研究した分野「多変数函数論」についての問題は、20世紀の初めに注目され始めていたが、あまりに難しいため世界の数学者は手をつけられずにいた。岡のためにとっておかれたようなこの問題の解として、岡は10編の論文を書き上げる。生涯で10編の論文というと非常に少ない数だが、補足的な1編を除き、9編すべてが珠玉の傑作と言われている。あまりに素晴らしい論文のため、一人の人間が書き上げたとは信じられない程である。日本の数学者が神様のように尊敬するドイツの数学者ジーゲルは、『オカとはニコラ・ブルバキのように数学者の団体の名前だと思っていた』と語ったそう。ジーゲル本人やブルバキの主要メンバーのヴェイユ、カルタンらは、はるばる奈良まで岡潔を訪ねた。

この研究の業績は、世界の数学界で高く評価され、昭和26年(1951)50歳という若さで「日本学士院賞」を、昭和35年(1960)には「文化勲章」を受章した。世界の誰もが手に負えなかった難問を解き明かした岡潔は、昭和53年(1978)76歳で生涯の幕を閉じた。

【小林秀雄氏って、どんな人?】
(1902-1983)東京生れ。東京帝大仏文科卒。1929(昭和4)年、「様々なる意匠」が「改造」誌の懸賞評論二席入選。以後、「アシルと亀の子」はじめ、独創的な批評活動に入り、『私小説論』『ドストエフスキイの生活』等を刊行。戦中は「無常という事」以下、古典に関する随想を手がけ、終戦の翌年「モオツァルト」を発表。1967年、文化勲章受章。連載11年に及ぶ晩年の大作『本居宣長』(1977年刊)で日本文学大賞受賞。2002(平成14)年から2005年にかけて、新字体新かなづかい、脚注付きの全集『小林秀雄全作品』(全28集、別巻4 )が刊行された。

【本書概要】
有り体にいえば雑談である。しかし並の雑談ではない。文系的頭脳の歴史的天才と理系的頭脳の歴史的天才による雑談である。学問、芸術、酒、現代数学、アインシュタイン、俳句、素読、本居宣長、ドストエフスキー、ゴッホ、非ユークリッド幾何学、三角関数、プラトン、理性……主題は激しく転回する。そして、その全ての言葉は示唆と普遍性に富む。日本史上最も知的な雑談といえるだろう。

【感想】
「人は極端に何かをやれば、必ず好きになるという性質を持っている」(岡潔氏談)

僕がこの本でもっとも感銘を受けた言葉だ。
実はここ数年でずっと自分の中で解決したい問題があった。上記に上げたこの言葉が、数年にも渡り悩み続け課題を、あっけなく解決してくれた言葉だ。その課題とは、僕が好きな養老孟司氏から感銘を受けた言葉が、発端となる。

「好きなことをやりたかったら、やらなくちゃいけないことを好きになるしかない。」

(以下、養老孟司氏談)
解剖学を成り立たせるためには、死んだ人が必要ですから、まず遺体を探してこなければいけない。「亡くなったら、いつでも引き取りに伺います」と献体をお願いしておいて、そういう人が出たら受け取りに行くわけです。でも、「今日は元旦だからやめといてくれ」とか、「死ぬときは勤務時間中にしてください」っていうわけにはいかない。私も、好きなことはなんなのかということについて、結論を出すまでにはかなり時間がかかりました。10年以上かかったかもしれない。

で、出た結論は、「好きなことをやりたかったら、やらなきゃならないことを好きになるしかない」ということです。つまり、仕事を変えるのと自分を変えるのとでは、どっちが楽なのかという話。だったら自分を変えちゃって、「俺はこれが好きなんだ」って思い込んだほうがいいんです。

上記を読んで、もちろん理解できたし、何なら実践しようと、自分の苦手な業務で試みてみたりもした。理屈では分かっていても、なかなか継続できなかった。しかし、今回上記に上げた岡潔氏の「極端に何かをやれば、必ず好きになるという性質を持っている」という言葉が、僕の救いになったことは間違いない。

自分が携わる仕事で、必ずどんな仕事であろうと付随業務がある。それこそ上記に上げた解剖学でいう、遺体を日時を問わず、引き取りに行く業務などだ。自分の苦手であり、どうしても好きになれない業務は、極端に誰よりも熱心に取り組むしかないんだと。そうすれば苦手な業務からも、色々な気づきを得れる。色々な気づきを得られる業務は、気づけば好きな業務に変わっているイメージが、初めて持てた。

養老孟司氏の「好きなことをやりたかったら、やらなきゃいけないことを好きになるしかない」という言葉を、解決する考え方はないかと、ずっと諦めずに探し続けた自分が、間違っていなかったんだと思えたことが、本書から得た最大の収穫です。

また本書から得られた気づきは、沢山ある。以下、忘れないうちに備忘録として記載しておく。

(まずはその人物に興味を持つ)
私は人というものが分からないと、つまらないのです。誰の文章を読んでいても、その人がわかると、たとえつまらない文章でも面白くなります。(小林秀雄氏談)

小林秀雄氏の言葉で、もっとも腑に落ちた言葉が上記だ。そういえば僕も最近好きになった作家は、全て作品からではなく、作者本人に興味を持ち、作者自身を好きになるところから始まっている。ドストエフスキーも、村上春樹氏も、五木寛之氏も、ニーチェも、三島由紀夫氏ですら、みんなそうだったと今回改めて気づいた。

作者自身に興味を持てれば、たとえ読んでいる作品が難解であろうと、少し無理をしてでも、分かりたい、理解したいという気持ちが上回る。そして読了すれば、僕が興味を持つ作品は、基本名著と言われる作品が多いので、何かしら感銘を受ける箇所がある。そうすると、自然とその作者のことをもっと知りたくなる。知りたくなれば、別の作品を読んでいる。別の作品から新たな気づきを得られると、気づいた時にはその作者を今までよりもよりも好きになる…。という好循環で回っていく。改めて再認識したことは、その作者自身のことに興味を持てるかどうかが、全てなんだなと改めて思った。

(ドストエフスキーとトルストイの違い)
小林秀雄氏は、トルストイの「コサック」という作品が、その後のトルストイの方向性を決めたという。コサックの鮮やかさというものは、正直な目から出てくるものだという。ああいう文章は、ドストエフスキーには書けないという。ドストエフスキーには、ああいう正直にものを見る目がないのだという。トルストイの目には、健康で明瞭で、廻り道や裏道が一つもないのだという。それが美しいんだと。

また別の視点から二人を比べている。
ドストエフスキーは無明の達人だと。無明の極がトルストイよりもよほど濃いんだと。だからトルストイは「懺悔録」なんてものを書いているが、ドストエフスキーには懺悔録なんかないのだと。トルストイには、痛烈な後悔があるが、ドストエフスキーに言わせれば、自分の苦痛は、とても後悔なんかで片付く簡単な代物ではないと言う。そういうところが、ドストエフスキーとトルストイの違いなんだと。だからトルストイは生きるか死ぬかのはっきりとした戦闘をして、最後にやられるのだという。ドストエフスキーはそれを看破していたのだと。

宗教の問題に、あんたみたいに猪武者みたいなやり方をしていては駄目だぞということを、「アンナカレーニナ」を書いた頃のトルストイに言っている。ドストエフスキーは宗教体系に関して、もっと複雑で、うろうろ、ふらふら、行ったり来たりしている。トルストイは、合理的といえば合理的だが、懺悔録などというものを書くタイプの男は、大体そうなんだと。だから遂に、がたっとくるのだという。ドストエフスキーには、そういう要素はない。苦労の質が全く違うんだと。あの人は政治犯で、青年期に一旦死んで、また生まれてきたような人間だから。

上記の二人の違いを読んで、まだ一度も読んだことがないトルストイに興味が出てきた。次に海外文学を読むとすると、トルストイを読むだろうなと。元々「アンナカレーニナ」と「戦争と平和」の2作品は、遅かれ早かれ読もうと思っていたのだが、小林秀雄氏のドストエフスキーとトルストイの対比は、忖度なくめっちゃ面白い。この部分を読むだけで、文学好きの方は、この本を読む価値があるのではと、思ってしまった。

(岡潔氏のいう情緒の理想)
私が環境にこだわったのは、家庭に子供が育つということは、その家庭の雰囲気が非常に子供に影響すると思ったからなんだ。「愛と信頼と向上する意志」大体その三つが人の中心になると思う。それが人の骨格を形成する。しかし、生まれて自分の中心を作ろうとする時期に、家庭にそういう雰囲気が欠けていたら、恐ろしい結果になるであろうと、脅かしているのだという。そこで、私が言う情緒とは、人が生まれて育つ有様を見ていて、それがわかると、人というものもかなりわかるのではないかと言う。

赤ん坊がお母さんに抱かれて、そしてお母さんの顔を見て笑っている。その頃では、まだ自他の区別がない。母親は他人で、抱かれている自分は別人だとは思っていない。しかしながら、親子の情というものはすでにある。あると仮定する。既に母親は別格なのだ。自他の別はないが、親子の情はあるのだという。そして時間というものがわかってくるのが、生後32ヶ月過ぎてから後なんだという。

そうすると、赤ん坊にはまだ時間というものがない。だから、そうして抱かれている有様は、自他の別なく、時間の概念すらない、これが本当の“のどか“というものだ。それを仏教では「涅槃(ねはん)」という。世界の始まりというのは、そういう状態なのではないか。

そののち人の心の中には、時というものが生まれ、自他の区別ができていき、森羅万象ができていく。それが一個の世界が出来上がることだと思う。そうすると、“のどか“というものは、これが平和の内容だろうと思うが、自他の別なく、時間の概念がない状態だろう。それが何かというと、「情緒」なのだ。だから時間、空間が最初にあるという、キリスト教などの説明の仕方では分からないが、情緒が最初に育つんだという。自他の別もないのに、親子の情というものがあり得る。それが情緒の理想なんだと。矛盾ではなく、初めにちゃんとあるのだと。そういうのを情緒と言っている。私の世界観は、つまり、最初に情緒ができるということだ。

→この一連の文章を読んで、多分このことが、岡潔氏がこの本で最も訴えたかったことなんだろうと思った。正直このことを、心理学者や自己啓発本なんかで言っていることであれば、半信半疑でしか受け止められなかったであろう。だがこのことを話しているのは、「多変数函数論」という難しすぎて、世界中の数学者が匙を投げた難問を、たった一人で解き明かした、数学の天才が話していることに、妙な信憑性を感じてしまう。そう、数学と正反対である情緒に、ここまでこだわるのは、何かよっぽど岡氏を惹きつける魅力があるのであろう。少しでも岡氏の頭の中を覗いてみたくなった。なので、次は予定通り岡潔氏の「春宵十話」を読みます!

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2023年7月1日
読了日 : 2023年7月1日
本棚登録日 : 2023年4月14日

みんなの感想をみる

コメント 6件

おびのりさんのコメント
2023/07/01

果敢!

ユウダイさんのコメント
2023/07/01

最近、読書にかける時間と、感想を考えて書く時間が、完全に逆転してしまってます。副次効果として、文章力アップと読解力アップを感じれているので、まぁいっかと、思う今日この頃です。

おびのりさんのコメント
2023/07/01

毎回、濃厚な堅実なレビューで、しっかり時間をとっていらっしゃるでしょうと。
私は、読むのが忙しくって(^ν^)
コメントも単語でごめんなさいm(_ _)m
岡さんは、生き方自体も真摯な感じですね。この対談で、あの小林秀雄が、時々、「もう一度お願いします。」な感じで確認するところが面白かったです。

ユウダイさんのコメント
2023/07/01

おびのりさんって、毎月コンスタントに30冊以上読んでいらっしゃるので、改めて凄いですね!僕が感想を一切書いてなかったブクログを始める前よりも多いので、ビックリです!読書にお忙しいと思うので返信は大丈夫です!

hibuさんのコメント
2023/07/02

おはようございます!
ゆうだいさんのレビューでこの本の意味がよくわかりました!
それと難解本に向かう姿勢も学ばせてもらいました。
おびさんのコメントにもありましたが、まさに果敢!素晴らしいです!

ユウダイさんのコメント
2023/07/02

hibuさん、コメントをくださり、ありがとうございます!嬉しいお言葉を頂き、心より感謝しております。今後も少しずつですが、自分が興味関心を持てた作者の本は、難しく感じても挑戦していこうと思います。今後とも宜しくお願いします!

ツイートする