文庫版 陰摩羅鬼の瑕 (講談社文庫)

著者 :
  • 講談社 (2006年9月16日発売)
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本棚登録 : 3990
感想 : 297
4

傷。痍。瘡。疵。瑕。
キズにはいろいろあるのだね。

白樺湖ほとりの元伯爵由良邸、通称「鳥の城」。
過去に4度、当主由良昂允の花嫁が婚姻翌日に殺害されるという、未解決の事件が起こっている。
近々当主が5度目の結婚をするにあたり、榎木津は事件が繰り返される可能性を懸念した由良家から探偵を依頼されるが、現場に向かう途中に発熱で一時的に失明する。
手助けとして榎木津のもとに行った(行かされた)関口は、結局一緒に「鳥の城」を訪れることになる。

『魍魎の匣』から『塗仏の宴』に至るまでの、脳味噌が処理しきれないほど立て続けに起こる事件と飽和状態の登場人物数が当たり前になってしまっていると、本作品は物足りなく感じるかもしれない。
なんせ、今回起こる事件はたったひとつである。
しかし、このシンプルな事件を、京極夏彦は言葉と紙幅を尽くしに尽くして、これでもかというくらい懇切丁寧に説明してくれるから、本は滅茶苦茶分厚い。
何故この内容でこれほど厚くなるのかというくらいに厚い。
なので、非常に、非常に、分かりやすい。
途中で真相が察知できてしまうくらい分かりやすい。
(ていうか途中にずばり書いてあるし…)

だから、クライマックスは「真相は一体?」ではなく、「この俗世間から離れたピュアな伯爵にどうやってこっち側の常識を分からせるんだ中禅寺(というか京極夏彦)」という、お手並み拝見的心境で読んだ。
そしてその手腕は実に見事だった。

構造がシンプルなばかりでなく、登場人物も少なくて、レギュラー陣は中禅寺、関口、榎木津、木場しか出てこない。
第一作『姑獲鳥の夏』の面々である。
そう、本作品はどこか『姑獲鳥の夏』に近い。事件が入り組んでいないのも、榎木津のせいで関口が依頼内容を聞かされるのも、榎木津そっちのけで関口が奮闘するのも『姑獲鳥の夏』に似ている。
そもそも関口が花嫁薫子の向こうに涼子の姿を何度も何度も連想して読者に『姑獲鳥の夏』を思い出させる。

衒学趣味という言葉は解説に教えてもらったけど、今回は儒学、林羅山、ハイデガーに関する蘊蓄に溢れ、それが知識の披露で終わることなくストーリーの重要な布石となって、重厚な物語の構造体と化している。毎度ながら京極夏彦はこういう力量が本当に凄い(←語彙力)。
レギュラー陣の事件への関わらせ方も淀みなかったし、作品世界に誘(いざな)う引力も健在で、おかげで中禅寺達の「存在する」世界に存分に浸ることができた。

☆5つ付けようかすごく迷ったんだけど、☆4つにしたのは、シンプルだっただけに読了後にそれほど引きずらずに現実に戻れてしまったことと、最初から登場して私を喜ばせた榎木津が終盤に全く存在感を失ってしまったように思えたから。


以下、諸処雑感。

関口、由良伯爵、そして伊庭元刑事という、3人の一人称が入れ替わりで語ってゆくスタイルがすごく良かった。
特に、関口一人称が好きなので、関口のうじうじうだうだぐるぐる巡る思考を見せつけられると、ああ京極堂シリーズだなぁ…と実感する。
ていうか、関口の自認する「世界」に妻が居ないの、マジで勘弁して欲しい。雪絵さんあんなに尽くしてるのに…ホント関口なんかと結婚したのとんだ過りだったと思うよ…。

榎木津の、発熱で一時的に失明したって設定が、神がかっている。
目が見えなくても視えるって、どういうこと??? 幻視に視覚は関係ないってこと?? 他人の記憶が視覚以外の感覚器経由で網膜に映るの? いや、網膜じゃなく、夢見てるみたいに脳裡に映るのかな?
それにしても、関口、榎木津との付き合い長いんだから、いい加減榎木津が何を言っているのか察して欲しい。根気よく聞いてくれたら、これほど遠回りせずに解決できたんじゃないか。

伊庭が出てきた時は、先に『今昔続百鬼ー雲』読んでおいて本当に良かったと思った(笑)。
別に未読でも何の問題もないけど。
でも、紙幅を尽くしているだけのことはあっていきなり本作品を読んでも充分に分かる内容になっているんだけど、レギュラー達は過去作分の過去を背負って存在していて、関口の「拷問でもするのですか」とか、木場の「悪党御用だ、ってのがね、好いんです」とか、細部までより楽しむにはやっぱりシリーズを全部読んでから手を付けた方がいいかもしれない。
それにしても、キバとイバを間違えたなんて、このエピソードいつから仕込んでたんだ京極夏彦。まさか『今昔続百鬼ー雲』に伊庭を登場させた時に既に…?
薫子を伯爵に「生かして」帰すのも里村が居てこそできた演出だったろうし、本作品では登場人物が作者の意識の外で自由に動き始める域に達した気がした。

横溝正史が出てきたのはびっくりした。
いや、横溝正史に思い入れは全くないんだけど、このシリーズに実在した人物が登場したのは多分初めてだったから、ちょっと面食らってしまった。

伯爵の人となりや由良邸の世界観については特に言いたいこともないけど、ひとつだけ、由良胤篤が間違って死んだはずの早紀江(の剥製)を目撃してしまった際、幽霊を信じない胤篤が何とか辻褄を合わせて至ったのが「時間を間違えた」というよほど起こり得ない逆説的結論だったの、なんて美しい感性だろうと思った。


最後に。
中禅寺が「探偵は放っておいても構わないんですが」って言いつつ長野行きを決めたのは、境界上でフラフラしっぱなしの関口は放っておけないってことなんだろうか、やっぱり。
関口は中禅寺に何度も救われている(精神的に)。
けど、中禅寺は「人は人を救えない」と断言する。
傷は、手当ては他人にできても、治るか治らないかは当人次第だと。
そこは他人が手出しできないところだと。
そして、それは君(関口)が一番良く知っていることだろう、と。
てことは、中禅寺は関口のことを、(中禅寺の手当てを受けつつも)最後は自分で現実を見据えて立ち直れる人だと認めているんだろうか。
『姑獲鳥の夏』では涼子が亡くなってから関口が家に帰らず京極堂に居座ってグダグダしてるのを、咎めるでもなくしたいようにさせてたし、『魍魎の匣』では関口の小説家としての才能を評価していたし、中禅寺も中禅寺なりに関口が好きなんだな。
中禅寺って、やっぱり優しいな…。(妄想でしょうか?)

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 京極夏彦
感想投稿日 : 2020年4月21日
読了日 : 2020年4月4日
本棚登録日 : 2020年3月18日

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