安徳天皇漂海記

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (330ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784120037054

作品紹介・あらすじ

悲劇の壇ノ浦から陰謀渦巻く鎌倉、世界帝国元、滅びゆく南宋の地へ。海を越え、時を越えて紡がれる幻想の一大叙事詩。

感想・レビュー・書評

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  • 壇ノ浦で入水したはずの安徳天皇が実は・・・、という話はよくあるんだけど、これは琥珀の玉の中で老いもせず生き続けてる、といういきなりなんだかすごい特殊なイメージ。
    山田風太郎とかともまた違う、こゆのなんていうんだろ?歴史ファンタジー?伝奇?
    どこへ連れて行かれるかわからないのが面白くもあり、微妙に不安でもある。
    第二章での南宋の少年皇帝がせつなくてしんみり読んでたら最後の最後は古事記にまでさかのぼってく怒濤の展開。
    不思議な本だった。一度では消化しきれなかったので、もう一度読みたいです。

  • 文体になれるまでが大変。世界観は他に類をみない出来。

  •  壇ノ浦の合戦で入水した幼帝安徳天皇は、琥珀色の玉に包まれて海を漂う・・・。
     源実朝が自分の首を捧げることで日本を救う第1部、マルコ・ポーロが黄金の島に辿り着く第2部とも、史実をファンタジーで紡いでいく手法の巧みさに驚かされます。
     そして、要所を和歌でバシッと決めるのも素敵であります。
     また、ストーリー全体が澁澤龍彦「高丘親王航海記」を下地にしているのですが、かの名作とは味わいの異なる美しさに酔いしれそう。特にラストのへんとか。

  • 買って、最初の数頁だけ読んで、本棚の肥しになっていた本。
    出だしが読みにくい本なのだろう。そういう本はよくある。
    久しぶりに手にとって、最後まで、一気に読んでしまった。
    舞台は鎌倉時代の初めだが、最後は中国まで、舞台を広げ、スケールのでかいストーリーになっている。

  • 入水した安徳天皇は真床追衾と言う神器に守られて一人眠り続け、瀬戸内から江島、更には大陸の海へ、そして大陸の南の孤島へ辿り着き安らぎを得る。
    澁澤龍彦氏の『高丘親王航海記』的な貴種流離譚だと思って読んだので大分方向の違う話に面食らった。
    安徳天皇は受動的な立場。彼の周りで起こる彼の引き起こした出来事を源実朝の側近とマルコ・ポーロが語る進め方だった。

  • 「浪の下にも都のさぶらふぞ。」壇ノ浦の戦いで入水した幼帝。僅か8歳の子供を政争の犠牲にしなくとも…、と此処までは誰しも思う事だが、ここまで圧倒的な世界を創り上げるとは!
    神話と史実と虚構が混然一体となった壮大な叙事詩は、無味乾燥な教科書的史実を明らかに凌駕している。
    特に第二部の息が詰まる様な叙情的な幻想世界は凄い。酸欠になるかと思った(笑)
    そして、日本・中国・欧州、異なる世界・時代の事象と伝説が、蜜色の光を浴びてシンクロしていく様が幻惑的で美しい。
    作中で或る有名人が語る台詞を引用し締め括りたい。「かかる妖しき話は、無用なる故にそそられる-。」

  •  天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ:草薙剣)・八咫鏡(やたのかがみ)・八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)――――。謂わずと知れた「三種の神器」である。代々の天皇(すめらみこと)の身を護り、皇位の象徴であるとされる三つの呪物(じゅぶつ)…。しかし、この三つの神器のほかに、実はまだ密かに受け継がれる神器が在った………!? 歴史の表舞台には決して現れることのない、その秘された神器をめぐって流転する物語が、この『安徳天皇漂海記』である。そしてその神器の名は「真床追衾(まとこおうふすま)」と呼ばれる。

     鎌倉幕府の第三代征夷大将軍・源実朝(みなもとのさねとも)は武門の棟梁ではあったが、都の風流(ふりゅう)を愛し、敷島の道(歌道)に打ち込んだ、繊弱とも思えるほどの温厚にして心優しい将軍であった。その将軍家・実朝のもとへ、ある時、鴨長明(かものちょうめい)入道が訪れる。長明入道は琵琶をかき鳴らし、平曲を語り、壇ノ浦の合戦における最大の悲劇を物語る。すなわち、安徳帝入水…。時の天皇とはいえ、まだ八つにしかならぬ幼な子が祖母である二位の尼に抱かれて、壇ノ浦の渦巻く潮流に呑み込まれていったあの悲劇を、長明入道は、あろうことか実朝に向かって語り聞かせるのであった。

     三代将軍・実朝にとってみれば、安徳帝の悲しく孤独な最期は、父・源頼朝や叔父・源義経らが平氏一門を壇ノ浦へと追い詰め、掃討したゆえの結果であり、都や内裏を敬愛する実朝にとっては、自分が連なる源家が安徳帝を亡き者にしたとの想いに胸のふさがる心地がする。そして鴨長明が、あえて彼に平曲を語って聞かせたのには、一つの理由があったのである。

     それは、安徳帝と共に海中へと消えた神剣・草薙剣(くさなぎのつるぎ)の行方。安徳帝が都落ちして後は、後鳥羽天皇が皇統を継いでいたが、この後鳥羽院は草薙剣が手元にないまま、帝位にのぼらねばならなかったという極めて特殊な事情を持っている。それゆえに、後鳥羽院の草薙剣に対する執着には並々ならぬものがあったのだ。ちょうどこの頃、天竺丸(てんじくまる)と名乗る正体不明の男が、平氏の残党であることを匂わせて都を騒がせており、後鳥羽院の密命を帯びていた鴨長明は、その天竺丸の足取りを追っていた。その男が草薙剣についても何かしらの情報を握っていると思われたからである。鴨長明は、後鳥羽院とも懇意の源実朝に、天竺丸が接触してくる可能性があるとして、もしも神剣と天竺丸の行方が知れたなら内裏に報告するようにと釘を刺しに来たのであった。

     だが天竺丸は、鴨長明という内裏の隠密の眼を易々とかいくぐって実朝との接触を果たす。そして、彼に「あるもの」を引き合わせるのである。江ノ島の洞穴の奥深くに安置されたそれは、神変不可思議な、この世のものとも思えぬ存在であった。蜜色の、琥珀の如き、楕円のようでもあり瓜形のようでもある、てらりとした黄金色の光を四方に放つ玉の内部に、美しい黒髪と天子のみが着用を許される山鳩色の衣を揺らめかせながら眠る童子がいる。安徳帝・言仁(ときひと)その人である。見れば、小さな胸はかすかに上下し、蜜色の玉の中で帝は確かに生きているようである。そしてその可憐な御手にしっかと握られているのは、まごうかたなき草薙剣。安徳帝は壇ノ浦の合戦から二十数年を経た今でも、童形(どうぎょう)のまま神剣を有し、自らを包んで死と老いから遠ざけている四番目の神器とも共に在ったのであった。その神器こそ「真床追衾(まとこおうふすま)」である。

     「真床追衾」――。
    それは神代の昔、天孫降臨に際して天照大神が孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を地上に降ろす時に彼を包んだとされる衾(衣・かいまき・寝具のようなもの)だという。とくに本作品では、物語のずっと後半で明かされることになるが、「真床追衾」は天照大神の祖神(おやがみ)である伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)の間に最初に生まれた子供・水蛭子(ひるこ)の一部分であると設定されている。水蛭子は生まれつき骨がなく、誕生して三年が経っても自分で立つことが出来ないために伊弉諾尊・伊弉冉尊の手で海に流し捨てられたと伝えられる神で、流される前に自分の体の一部を神々の世界に残してきたのではないかというのだ。そして、自分と同じように幼くして海に流された安徳帝を護る蜜色の玉として、実朝らの前に現れたのではないかと。

     天竺丸は壇ノ浦の合戦からずっと、平家に連なる者として、この安徳帝を封じた「真床追衾」に近侍し、後鳥羽院にも安徳帝の存在を暗にほのめかしたらしい。しかし後鳥羽院は、兄である安徳帝(安徳帝は高倉天皇の第一皇子。後鳥羽院は第四王子)のことよりも草薙剣にしか関心を示さなかった為、天竺丸は朝廷に見切りをつけ、「真床追衾」に封じられたままの安徳帝の真の庇護者となってくれるよう、鎌倉幕府の実朝へ直訴したのであった。

     玉中の安徳帝に拝謁してからというもの、実朝の一身と生活は幼き帝に捧げられるようになった。安徳帝は蜜色の瓜玉の中で眠っているが、それは決して心を安んじての眠りではない。彼は天皇でありながら海へと沈められ、最早誰にも顧みられなくなった、いわば廃帝であり、その孤独・怨嗟・悲嘆・苦悩・敗北・憤怒などからどうしても逃れ得ぬ荒ぶる魂なのである。安徳帝に玉の中からの出御を願おうとも叶わない。蜜色の瓜玉はいかなる方法をもってしても破壊することが出来ず、幼帝をその中に押し包んだままなのである。安徳帝は、此岸でも彼岸でもない場所で荒御霊(あらみたま)として在り続けなくてはならないのであろうか。実朝は考える。安徳帝の御心を安んじ給うには如何にせば良いか…。

     そして実朝は一つの手掛かりを思い起こすのだ。かつて皇太子位にのぼりながら政変によって廃され、しかし荒ぶることなく一生を終えた一人の皇族の在らせられたことを…! 高丘親王――。源平時代に先立つこと四百年近く前、平城天皇の皇子であり、叔父・嵯峨天皇の後継者として立太子せられた貴人。にもかかわらず、父・平城天皇も関わる薬子の変によって廃太子となった皇子。けれども高丘親王が荒御霊や怨霊となって国に仇(あだ)なしたとは全く聞かない。そこにこそ、安徳帝の荒ぶる魂を鎮める方策もあるのではないか。実朝はこう考えて、かつて高丘親王が出家して後、天竺を目指してまず渡唐したように、自らもまた、安徳帝と共に渡宋してみようと思い至ったのであった。

     本書ではこのようにして、源実朝が実際に企図した計画の数々が、「真床追衾」に封じられた安徳帝の鎮魂を目的として解釈し直され、語られていく。宋の工人・陳和卿(ちんなけい)を召して巨大な唐船を建造したのも、安徳帝を伴って渡宋せんが為。実朝の私家集であるところの『金塊和歌集』に収められた歌も、安徳帝を庇護することとなった自らの苦悩を綴ったもの。何よりも、甥の公暁(くぎょう:実朝の兄・頼家の子)に二十八歳の若さで暗殺され、首を落とされたのも安徳帝に自分の命と首を奉って、将来迫り来る国難(元寇)を排さんが為。無論、これは伝奇小説なので、源実朝に対する一般的な認識とはかけ離れたものがあるには違いないが、それでも彼の和歌の意味合いや行動といったものが安徳帝の鎮魂というテーマの中では、かえって輝いて見え、ひょっとすると本当に源実朝という人は、安徳帝を荒御霊から和御霊(にぎみたま)へと祀り替えた人物なのではなかったのかと思ってしまうのである。

     本書『安徳天皇漂海記』は、第一部・東海漂泊―源実朝篇と第二部・南海流離―マルコ・ポーロ篇に分かれており、第一部のみでは安徳帝の魂は安んじられるまでには至らない。実朝の時代から数十年を経て、かつての大帝国・宋がモンゴル軍によって追われる時代まで、蜜色の「真床追衾」は漂流し続ける。代替わりした天竺丸と大元帝国(ダイオンウルス)の王クビライ・カーンに仕える巡遣使ことマルコ・ポーロによって、蜜色の瓜玉はある場所へともたらされ、そこでやっと安徳帝は安住の地を見出すのであるが、このくだりの不可思議さと幻想世界と恍惚境は、読んだ時のお楽しみとしておこう。

     この作品は澁澤龍彦の『高丘親王航海記』や太宰治の『右大臣実朝』など、源実朝に関する幾つかの先行作品に対するオマージュである。私はこれまで源実朝といったところで、特段の感慨というものはなかった。何となく影の薄い、北条氏の言いなりになっていた人物というくらいのイメージしか持っていなかったのだが、この作品を読んで実朝将軍家に対するイメージはがらっと変わってしまった。作者・宇月原晴明氏が巻末に掲げた数多くの参考文献を全部読んでしまいたいくらいに、私は将軍家のことを知りたいと今では思っているのだ。

  • 前半は実朝に仕える人物の視点から、孤独な将軍実朝の苦悩と、壇ノ浦に沈んだはずの安徳天皇の不思議な運命が描かれます。
    雰囲気たっぷりの古典ファンタジー。
    澁澤龍彦の「高丘親王航海記」と似ていると思ったら、実朝が高丘親王に惹かれていたということがあったのですね。
    後半は南宋の少年皇帝との時空を超えた交流にマルコ・ポーロが絡むというさらに意外な展開!

  • これまで読んできたこの人が書いた作品の中で一番短くて漢字が少ないっす(笑)
    『高丘親王航海記』が大好きなワタクシにはなんともツボな作品でした
    それにしても実朝の和歌って綺麗ですね。
    技巧に走りすぎず、かといって感情にも走りすぎず、素直な気持ちを歌い上げてる所清清しい。
    青年詩人の言葉がこれほどに合う方も少なかろう。
    この情景にはこの歌!という作者の選択眼に脱帽。
    最期に辿り着くまでの紆余曲折には美しいけれど悲しい情景が続くのですが、終着の情景がまた綺麗なんだな。
    よかった。。。
    誤った感想かもしれないけれど安堵することができました。

  • タイトルが澁澤の「高丘親王航海記」に似てると思い奥付見たらちゃんと名前が挙がっていたので、ああわざとか、と。とりあえず読んでみようと読み始めたら、なにこれ?面白すぎる!ということで半日で読了。二部構成で、一部は源実朝の近習の一人称、二部はマルコ・ポーロ視点の三人称で書かれている。帯を読んで改変世界もの?と思ったのだけど違った。史実と神話とfictionを巧みに融合した上質のファンタジー、といったところか。文章を読んで浮かんでくるイメージの美しいこと豊かなことといったらもう! 今のところ2006年読んだ本のナンバーワン。読んだ後で山本周五郎賞受賞。直木賞は残念でした。

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