カンディード 他5篇 (岩波文庫 赤 518-1)

  • 岩波書店
3.73
  • (26)
  • (29)
  • (47)
  • (4)
  • (0)
本棚登録 : 515
感想 : 41
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (552ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003251812

作品紹介・あらすじ

人を疑うことを知らぬ純真な若者カンディード。楽園のような故郷を追放され、苦難と災厄に満ちた社会へ放り出された彼がついに見つけた真理とは…。当時の社会・思想への痛烈な批判を、主人公の過酷な運命に託した啓蒙思想の巨人ヴォルテール(1694‐1778)の代表作。作者の世界観の変遷を跡づける5篇のコントを併収。新訳。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 高校生の時に読んだと思ったんだけど内容は何一つ覚えていなかった。ただ、思い出したのは、床屋で待っているときにこの話を読んで気持ち悪くなったこと。不幸の描写がこのうえなく凄惨なのに淡々と語られることが恐ろしかった。善とか悪とかに拘泥するのではなく、そのような真理・哲学なんかよりも今は庭を耕さないと、ということか。

  • 「カンディード」そのグロさエグさに想像力が悲鳴をあげる。でも大味な心情描写やいかにも翻訳調な語りのおかげか、悲惨な展開にありながらも人物は妙な落ち着きを呈しており、そのアンバランスさについ失笑してしまう。それともこれが最善説の世界か。

  • フランス啓蒙期の戦闘的な(それゆえに人間的な)反権威主義者にして自由主義者であったヴォルテール(1694-1778)による哲学コント集。ヴォルテールは、宗教的権威や世俗的政治権力と結びついた神学・形而上学が人間的自由・人間性の可能性を抑圧することに対して徹底的に反抗した。生涯を通して、宗教的権威への盲目的依存服従からの人間の自律を標榜した。

    「神が在りながら何故なおも世界は悪に満ちているのか」と云う問いに対して、当時有力だったライプニッツ哲学は、最善説・予定調和説で以て神の存在を弁護する「弁神論」を唱えていた(「神によって創造されたこの世界はおよそあらゆる可能世界の中で最善のものである」「悪の陰影は善の色彩を引き立てる」「個々の不幸は全体の幸福をつくり出す」)。しかし、元来、思弁的なライプニッツ哲学とは対照的なベーコンやロックなどイギリスの経験論哲学に影響を受けていたヴォルテールは、1755年のリスボン大地震・並びに1756年-1763年の七年戦争の惨劇を目にし「自然上の悪・道徳上の悪」を見せつけられることで、ライプニッツの最善説・予定調和説による「弁神論」を徹底的に批判し、殆ど無神論に近い理神論の立場に到るまでになっていった。そうした思想的背景のもとで書かれたのが「カンディードまたは最善説」(1759)である。

    戦争の惨劇や人間の悪徳を前に「全ては善である」と嘯くパングロス、そのパングロスによって戯画化されたライプニッツの思想は、当時を生きていたヴォルテールの眼からすれば、その欺瞞性に於いて、「市場こそが万能である」と喧伝して現代の非人間的なグローバル経済体制を正当化する市場原理主義・新自由主義、ひいてはそれを裏打ちする即物主義と同様に映ったのかもしれない。

    ライプニッツの「弁神論」が基づく彼の目的論的な哲学の根底には、ライプニッツ自身によってその名称が与えられた「充足理由律」がある。「どんな事実が起きたときにも、それが起こる充分な理由・根拠が必ずなければならない」「どんな事実が起きたときにも、「何故それが起きたのか」と問うことが可能であり、それに対して必ず「何故なら***の理由で起きた」とその根拠が与えられなければならない」とする原理である(或いは「弁別できない対象は同一である」「∀a.b.[∀P.[P(a)=P(b)] ⇒ a=b]」と定式化されることもある)。ここから、哲学的には決定論が、神学的には理神論が導出される。ライプニッツは更にそこから進んで、最善説・予定調和説と云う形而上学を構築した。

    「カンディード」が、最善説を論駁する為に書かれたものとするならば、それは必然的に充足理由律をも否定しなければならなくなる。それは「事実に対して、それを説明する理由・根拠・意味・目的は必ずしも存在しない」と云う世界観を導くことになる。これは、ニーチェがその扉を開き、20世紀に入りカミュによって「不条理」と呼ばれた世界の姿ではないか(ヴォルテールの思想は、ニーチェやサルトルにも影響を与えているとも云われている)。その意味で「カンディード」の世界は、ニヒリズムの一歩手前まで来てしまっていたのではないか。しかし、「カンディード」の最後の「庭の教訓」の場面には、20世紀的ニヒリズムに見られる出口無き自我によるアイロニカルな自己否定の無限運動の暗鬱さは無い。

    「・・・、ぼくたちの庭を耕さなければなりません」

    明朗にして清澄である。主人に虐待された黒人奴隷との出遭いによって最善説を放棄するに到ったカンディードの姿に、アイロニーの捩じれは無い。人間の理性を信じ、生の意味を信じ、"感情のアナーキー"(ルカーチ)に陥ることなく、神から自律しながら同時にルカーチ的"節制 Haltung "を保つことが出来た、18世紀近代と云う時代精神の幸福な瞬間を刻んだ作品と云える。この点、17世紀のミルトン『失楽園』と類似した位置付けになるのではないかと思う(尤も、ヴォルテールは「カンディード」に登場する人物の口を通して『失楽園』を酷評しているが)。この時期に書かれた物を読むと、近代と云う時代精神はこのように作られていったのかと追体験させられる思いだ。

    その他「ミクロメガス」(1750-51?)「この世は成り行き任せ」(1746-47?)「ザディーグまたは運命」(1748)「メムノン」(1749)「スカルマンタンドの旅物語」(1756)



    250年以上の過去から現代を射抜いているような警句を幾つか。

    「・・・、どの職業でも、人前に姿を見せる価値がだれよりも少ない者に限って、いつだってだれよりも図々しくでしゃばり出る・・・。真の賢者は、ひっそりと引き込もり、静かに内輪だけで暮らしています」

    「・・・、では、いったいこの世界はどんな目的で作られたのでしょう」「わたしたちを激怒させるためですよ」

    「パリでは、本当に人はいつも笑っているのですか」「ええ、笑っていますよ。・・・。でも笑いながらとてもいら立っているのです。なぜなら、げらげら大声で笑いながら、すべてに文句をつけていますからね。どんな憎むべき行為も、笑いながらするのです」

    「・・・、人間は不安による痙攣か、さもなければ倦怠の無気力状態の中で生きるように生まれついているのだ、・・・」

  • ヴォルテール(本名:フランソワ=マリ・アルエ,1694-1778)の哲学コントが6篇はいっている。どれも傑作である。

    「ミクロメガス」は身長38kmのシリウス星人が土星人と一緒に地球にやってきて、そこに住む微生物(人類)と自然科学や霊魂について語るという話です。

    「この世は成り行き任せ」はペルシャが舞台で、人間社会は悪と善の混合物であるという話、「ザディーグまたは運命」はカルデア人ザディーグが身に具えた美徳ゆえに数々の不幸を招く話です。恋人を助けてケガをし、宰相となって賢い政治をすれば王妃に慕われ、王から暗殺されそうになるなど、万事がこんな感じです。最後は天使に会い、「善を生まない悪はない」とさとされます。

    「メムノン」は賢者になろうした男の話、決心したその日に女性に騙され、片目をつぶされ、大金をすります。

    「スカルマンタドの旅物語」は世界中を旅して、人類の悪逆な所行をみた男の話、最後はアフリカの海賊にさらわれ、奴隷になります。

    最後の「カンディード」は、ドイツの田舎、ウェストファリアで純朴に暮らしていた召使いの青年が、令嬢キュネゴンドを愛したため、屋敷から放り出され、ブルガリア軍に入り、戦争を生き残り、オランダにいき、リスボンで大地震にあい、南米に旅立ち、いろいろあって、ペルーのエルドラードに入り、当地の完璧な幸福に飽いて、また、フランス・イギリス・ヴェネチアと旅をつづけます。その間に人類の悪と愚かさをさんざん体験します。さいごにコンスタンチノーブルで醜く変わり果てたキュネゴンドと再会します。結局、この世の悪から身を守るには、労働をするしかないという結論になります。全編を通じて、ヨーロッパ人の悪を指摘しています。異端者をすぐに死なないように壮麗にとろ火で火刑にしたりするのは、その最たるものだと思う。ヴォルテールは信じていたライプニッツの最善説(この世界は現にある状態が最も善であるという予定調和にもとづいた学説)を、「カンディード」では批判し、結局、幸福は自分の労働でつくりだすしかないのだといっています。中国についても「理」や「天」の考え方が少しでてきて、ヨーロッパよりましだけど、人間社会だから、悪はあるという立場です(ザディーグ)。日本の「踏み絵」についてもでてきます。

  • ジェットコースターストーリー
    ゲーテやシェイクスピアも好きだが、展開の移り変わりのスピード感がもの凄いうえ、何故か読みやすいのが凄い。

    ヴォルテール先輩さすが。
    大好きな小説TOP5に入る名著。

  • 1700年代の時代の著者が、世界各地で様々な不幸に遭う人々をファンタジー的に描く。
    最善説(オプティミズム)に対する批判でもある。

    「しかし、ぼくたちの庭を耕さなくてはなりません」(459頁)

  • これは難しい小説でした。その時代の背景や情勢を把握していないと、一見寓話にしか思えないこれらの作品の真の意味するところは全く理解できないで終わってしまう。とりあえず読んだという実績作り以外の目的のために歴史や哲学の素人が手を出してもかなり無理筋な作品群。
    ーーーーー
    人を疑うことを知らぬ純真な若者カンディード。楽園のような故郷を追放され、苦難と災厄に満ちた社会へ放り出された彼がついに見つけた真理とは…。当時の社会・思想への痛烈な批判を、主人公の過酷な運命に託した啓蒙思想の巨人ヴォルテール(1694‐1778)の代表作。作者の世界観の変遷を跡づける5篇のコントを併収。新訳。

  • ↓利用状況はこちらから↓
    https://mlib3.nit.ac.jp/webopac/BB00021884

  • ◆3/7オンライン企画「その相談、あの本なら、こう言うね。F/哲学の劇場」で紹介されています。
    https://www.youtube.com/watch?v=1K0qT4_6lEk
    本の詳細
    https://www.iwanami.co.jp/book/b247881.html

  • ミクロメガスが楽しくて好き。
    経験論に対する強い肯定と、ライプニッツ哲学に対する強い否定。
    ヴォルテール、好き嫌い激しそう。

  • P454「(大地を耕し、飲み、食べ、眠り、そして)沈黙することだ」この()内の言葉を線を引いて削除していることが注釈に書かれているのがいい。最善説というにはあまりに厳しい境遇とエルドラードでの経験を経て労働に至る。平穏は退屈だから失うまでその良さに気づかないのかなぁ。ただカンディードだけを読むよりも5編のコントと一緒に読める岩波文庫がいいかも。

  • 4

  • すごく好き

  • 『カンディード』。18世紀フランスの啓蒙思想家ヴォルテールの代表作が、ついに光文社古典新訳文庫から出版されました。本書は、当時ヨーロッパで有力な思想となっていたライプニッツの「最善説」を背景とした小説です。

    主人公カンディードは、「神によって創造されたこの世界ではすべてが最善である」という恩師の教えを素朴に信じている青年。しかし、男爵の娘と恋に落ちてしまったがために故郷を追放され、彼の受難が始まります。戦乱やリスボン大地震、盗賊や裏切りなど数々の不幸がカンディードを襲い、「最善説」への信頼が試されることになるのです。

    ここにはもちろん、著者ヴォルテールによる「最善説」への鋭い批判があります。この世界では毎日のように悲惨な出来事が起きているのに(本書は1755年のリスボン大地震をきっかけに執筆されました)、「すべては最善である」と主張することは、苦しんでいる人々の痛みを無視することであり、「生の苦しみに対する侮辱」ではないかとヴォルテールは考えたのです。

    一方で、風刺の対象となった「最善説」は、本書においてはかなりアンフェアな仕方で扱われているようにも思えます。ライプニッツ自身の「最善説」は今日でも通用する意義を持った思想と言えますが、こうした点については「解説」においてバランスのとれた説明がされています。

    多くの災害や人間の悪事を経験したカンディードが、どのような境地に至るのか。ラストの有名な一言も含めて、ぜひご自分で確かめてみて下さい。古典新訳文庫シリーズの他の訳書同様、訳文は現代的でこなれていて、とても読みやすくなっています。
    (ラーニング・アドバイザー/人社 KURIHARA)

    ▼筑波大学附属図書館の所蔵情報はこちら
    ※レビュー本(光文社古典新訳文庫,2015)は所蔵していないため、ヴォルテール作、植田祐次訳「カンディード : 他五篇」岩波文庫2005年の所蔵情報をご案内します。
    http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/mylimedio/search/book.do?target=local&bibid=1223493

  • 意外にもコスモポリタンな物語で、結構楽しめた。思想的背景については、Booklogにあるほかの方たちのレビューが巻末の解説よりも参考になる。騙されやすい、もしくは善良な男が災難に遭いながら世界各地を転々とするパターンのストーリーが多いのは、欧州を転々としたヴォルテール自身の人生が影響してもいる気がした。

    1.ミクロメガス
    2.この世は成り行き任せ
    3.ザディーグまたは運命
    4.メムノン
    5.スカルマンタドの旅物語
    6.カンディードまたは最善説

  • メムノン

  • 人間万事塞翁が馬。物語として古さを感じさせず面白かった。描写が艶っぽい。

  • 「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」という言葉で有名な(実は本人の言葉ではないが)、理性を信頼し自由を信奉する18世紀の啓蒙主義者による哲学コント。表題作ではユートピアやガリヴァー旅行記といった寓話を参考にし、リスボン大地震や七年戦争といった同時代の悲劇を踏まえてライプニッツの最善説を悪や不幸から目を逸した滑稽な思想なのだと批判する。禍福は糾える縄の如し。現代でも善意によって広まる流言や安易でお手軽な自己啓発が蔓延している状況を考えると、笑うに笑えない読後感。

  • 「プレゼントの経済学」の著者がほんの中で引用していた。徹底した楽観主義者の主人公の話し。

  • 18世紀の哲学・宗教事情に明るければもっと楽しめたかもしれませんが、物語の形をとっているので知らない私でも問題なく読め、ヴォルテールの「風刺! 皮肉らずにはいられないッ!!」という声が聞こえた気がしました。この人なかなか弾けた御仁らしく、貴族と何度もトラブルを起こしたり、バスティーユに投獄されたり、一時は宮廷に身を置きながらも結局は飛び出したりで、周りの人には「やー、あの人スゴいんだけど付き合いづらいんだよね」なんて言われてたかも? と思わせてくれ、そんな彼の思考の立ち位置の変遷も感じられる作品集でした。

  • 風刺小説の形式でライプニッツ哲学の楽天主義を痛烈に批判しています。ここで批判している楽天主義は、パングロス博士の言動に象徴される「あらゆる事物は合目的に作りだされていて、ゆえにこの世はすべて最善である」というものです。時々ハウツー本や雑誌にある"楽観主義"(行動を伴わなずに、できると思うだけで達成できる)に通じるものがあると思いました。
    『生き物たちは3/4が好き』で"パングロス的な"との表現があったのをきっかけに手に取りました。哲学や思想の本はほとんど読んだことがないのですが、訳も良く物語としても面白く読めました。他5編では、『この世は成り行き任せ』『ザディーグまたは運命』が良かったです。

  • 3月11日の大震災以降、この本が新聞や雑誌で取り上げられることがあった。フランスの啓蒙思想家がリスボンを襲った1755年の震災を契機に考え方を変え世の中は何のために存在し、何が正しいのか逡巡し本書ができたからだ。

    ヨーロッパを脱出し、ついに南米の原住民のところまで行くと何かの本に書いてあったのでとても興味を持った。なにせ私は震災以降、文明の意味を求めてアマゾンインディオの探検記ばかりよみふけっているからである。

    さてこの本であるが人を疑うことを知らなないカンディードが楽園のような故郷を素敵な夫人の手に接吻をしたために屋敷をおわれ、行く先々でとんでもない苦労をうけるという話である。苦労をうけながらそれも神の見えざる手によって今そのときは不幸に思えても実は最善の結果をもたらすという形而上学者の説をくりかえし吟味しながら話は展開する。

    本当に これでもか これでもかと 苦労すれば 苦労から抜け出し歓待され、またどん底に落ちるという話である。これが仏教なら無常のひとことですせてしまうのだが・・・。

    ライプニッツや百科全書派 ミルトンなど 様々な知識人のものの見方が
    引用されるが、いつの時代だって「何が正しいのか?」という苦闘があったことがよくわかる。

    最後に 畑を耕すのが善といったまるでトルストイのような境地にたっする。こういう壮大なほら話はレトリックがあじわえないと真に楽しむのは難しい。典故を楽しむという習慣は昔は普通であったこともよくわかる。

    権力ではなく生活に至上の価値をおくこの本こそ今の日本人が読むべき本と言える。

  •  フランスの代表的啓蒙思想家ヴォルテールの代表作のひとつです。当時の世相を前提にした風刺や哲学的な含意も豊富に盛り込まれているのでしょうが、そのあたり、残念ながら、私の知識では十分に判読はできませんでした。ただ、思ったより読みやすかったですね。SF小説や長大な冒険譚のようでもありました。

  • オペラ『キャンディード』を観る前に、原作であるヴォルテールの『カンディード』を読み終わりました。

    ウェストファリア地方の男爵家で、男爵の縁者である純朴な若者カンディードは、男爵家の息子や娘とともにでバングロスという哲学者から「すべては善である」という最善説を子供の頃から教えられ、男爵家一族とともに幸せに暮らしていた。しかし、男爵家の美しい娘キュネゴンドと、ふとしたきっかけでキスをしてしまい、それを男爵に見つかり、男爵家から追放されてしまう。

    幸せな生活から一変、無一文で追放されたカンディードは、さまざまな国を渡り歩きながら、世間にはびこる不幸や悪を目の当たりにしていき、子供の頃から教えられた最善説に疑問を持ち始めていた。
    またキュネゴンドも、過去の幸せな生活から一変、生きるために様々な男達の間を渡りあるいていた。
    そんな二人が再会を果たし、最後には、小さな土地を自分たちの手で畑を耕すことに幸せを見いだす。

    話の中では、バングロスの唱える最善説に対して、マルチンはどんなに金や名誉を持っている人物でも自分を不幸であると思っているという議論をたたかわせ、そんな中で、カンディードは、人生は自分の手で切り開いていかないといけないことに気づかされる。本当の幸せとはどういうものかと考えさせられる話でした。

  • 天然の人が、善意で懸命に努力しても、うまくいくとは限らない。
    利用されたり誤解されたり。
    でも「真面目に働くのがいい」という結論に到達したのは正解だと思う。
    与えられた条件下から最大値の幸福を抽出する生き方。
    キュネゴンド嬢も美貌はなくしても、勤勉な働き手になったんだもんね。
    それはとても価値のあることだ。

  • 性善説に基ずく荒唐無稽な物語。サドの「悪徳の栄え」と「千夜一夜物語」を足して割って予定調和で味付けしたような、、いろいろと面白かった。

    「‥労働はわたしたちから三つの大きな不幸、つまり退屈と不品行と貧乏を遠ざけてくれますからね」とトルコ人は答えた。そして、唐突にカンディードは言う。「ぼくはまた、ぼくたちの庭を耕さなければならないことも知っています」最後は労働讃歌で終わります。

  • 内容(「BOOK」データベースより)

    人を疑うことを知らぬ純真な若者カンディード。楽園のような故郷を追放され、苦難と災厄に満ちた社会へ放り出された彼がついに見つけた真理とは…。当時の社会・思想への痛烈な批判を、主人公の過酷な運命に託した啓蒙思想の巨人ヴォルテール(1694‐1778)の代表作。作者の世界観の変遷を跡づける5篇のコントを併収。新訳。
    目次
    ミクロメガス―哲学的物語
    この世は成り行き任せ―バブーク自ら記した幻覚
    ザディーグまたは運命―東洋の物語
    メムノン―または人間の知恵
    スカルマンタドの旅物語―彼自身による手稿
    カンディードまたは最善説(オプティミスム)

  • 楽観的な態度を意味するのではなく、「すべては善である」という哲学上の立場の「最善説」を指しており宮廷生活の空しさに気づいている描写が印象深かった。

  • フランスの啓蒙思想家ヴォルテールによるピカレスク小説(悪漢小説、悪漢譚、悪者小説)。

  • 但し、私が読んだのは吉村正一郎訳。

全41件中 1 - 30件を表示

著者プロフィール

1694年にパリで公証人の息子として生まれ、20歳を過ぎた頃から83歳(1778年)で没するまで、詩、韻文戯曲、散文の物語、思想書など多岐にわたる著述により、ヨーロッパ中で栄光に包まれたり、ひどく嫌われたりした文人哲学者。著書に『エディップ(オイディプス)』『哲学書簡』『寛容論』『哲学辞典』などがある。

「2016年 『カンディード』 で使われていた紹介文から引用しています。」

ヴォルテールの作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
ドストエフスキー
ヘルマン ヘッセ
ウィリアム・ゴー...
三島由紀夫
ミシェル・フーコ...
フアン・ルルフォ
ポール・オースタ...
ジョージ・オーウ...
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×