- Amazon.co.jp ・本 (92ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003420959
作品紹介・あらすじ
第1次大戦後の混迷のドイツ。青年たちは事実のかわりに世界観を、認識のかわりに体験を、教師のかわりに指導者を欲した。学問と政策の峻別を説くこの名高い講演で、ウェーバー(1864‐1920)はこうした風潮を鍛えらるべき弱さだと批判し、「日々の仕事(ザッヘ)に帰れ」と彼らを叱咤する。それは聴衆に「脅かすような」印象を与えたという。
感想・レビュー・書評
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5冊目『職業としての学問』(マックス・ウェーバー 著、尾高邦雄 訳、1936年7月 発行、1980年11月 改訳発行、岩波書店)
社会学者として名高いウェーバーが、1919年1月にミュンヘン大学で行った講演のテキスト。
職業として学問に従事することを志す人間に対し、ドイツにおける職業としての学問の現状、そして学問に専心することへの心構えを説く。
ナチ党成立の前年に行われた本講演。まだ自由の気風が独にあったのだ。
「いやしくも人間としての自覚のあるものにとって、情熱なしになしうるすべては、無価値だからである」詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
研究者・教師としての心構え的な物が書かれていた。
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ウェーバー流に、学問とはなんぞや、教師とはなんぞやと、論を展開している。福沢諭吉の学問のすすめと比較すると、面白かった。
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特に目的はなかったのだが、ふと気になって読んだ本。
1917年のマックスウェーバの名講義の訳らしい。
大変難怪な語り口で書いてあり、理解が難しい。w
<印象的だった点>
- アカデミックの現状
特に、運とめぐり合わせによる部分が大きいこと
- いやしくも人間としての自覚のあるものにとって、情熱なしにないするすべては、無価値だからである。
- 教師は、指導者ではない。 -
三十代手前にもなってようやっとこの本を手にとって読んだんですが、願わくば大学生の時にこの本を読むべきだったと大変後悔しました。
アカデミックな世界で仕事をするとはどういうことか、この本にだいたい余すところなく書かれています。第一次大戦後のドイツであろうと21世紀の日本であろうと、本質は変わらないと思います。
つまり、「どんだけニッチなんだよ」と人から笑われようがその分野で百年千年先も残る仕事を打ち立てることにどこまでこだわれるかが「学者の仕事」なんだということ。「この写本のこの一箇所の解釈」にどれだけ手を尽くし考えを尽くせるか、そういうことに情熱を傾けられないのであれば学者の仕事なんぞ「向いてない」、「もっと他のことをしたらいい」とはっきりウェーバーは言ってのけます。
かっこいいっすね。 -
【レビュー】100年前にドイツで語られた学問の意義について。今も全く色褪せない。
学問は、ある人が「どのように生きるか」について答えるものではないし、“学問の” 指導者は決してその命題に答えるべきではない。学問の役割とは、複雑化する社会の中で「自分が一体何をしているのか」について様々な面から究極的な理解を与え、各人がそれぞれの行為について自ら責任を負えるようにすることである、と。 -
科学の限界、宗教の限界この2つを明らかにすることによる、生き方の提案。
科学万能主義が蔓延る21世紀を生きる私たちだからこそ、改めて立ち止まって考えたい内容。 -
短いが、内容はかなり難しく、また読み直さなければならないと感じた。