失われた時を求めて(12)――消え去ったアルベルチーヌ (岩波文庫)

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  • / ISBN・EAN: 9784003751213

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    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/713287

  • 「しかしわれわれの人生は間断なき嘘のうえに成り立っているのではないか?」

    「さようなら、あたし自身の最良のものをあなたに残します、」

    永遠の不在による苦痛でよみがえるたしかな愛。そしてついに新聞に掲載された「私」の文章。スワンの名声も名すらも完璧なる忘却へと導くジルベルトのサロンデヴュー(なんて残酷な。)。アンドレから語られるアルベルチーヌにかんする衝撃的な色恋沙汰の真実(らしきもの)。ヴェネツィアへの旅。驚くべきふたつの結婚(ときが流れるのはなんとはやいことか。)。あのころは知りえなかったロベールの秘密(らしきもの)。
    アルベルチーヌとの想い出は、ふとした瞬間にぽろぽろと溢れてくる。「私」の語る固有名詞や目にする風景で、わたしのなかまでアルベルチーヌで満たされてゆく。夢のなかで苦しみ、夢のなかで幻影をだきしめる。別離が悲しいのは、いずれ忘却が訪れるがゆえなのかもしれない。

    ぼくは失意の果てに、季節をふたたび覚えなおしてゆく。朝のひかりのなかにも、夕日のなげかけるまなざしにも、きみの幻影をみとめなくないから。ぼくは「世界をそっくりあきらめる」。
    おとこってなんてロマンチストなの。アルベルチーヌはぼくを愛していない、なんておもいながらも彼女を独占しようとする高慢さ。可哀想な「私」。
    彼女が死してなお、死そのものへの悲嘆とおなじくらいに過去における怒りや猜疑心によっても苦しみ、おやすみのキスによる平穏を得られない不安と憎しみを吐露するだなんてしかし、「私」はなんて誠実なのだろう。その残酷なまでの素直な気持ちをアルベルチーヌにみせていたら、なんてだれもがつっこむところだろうけれど、世はいつから死における想念において、綺麗なものだけ描写する(のがよしとされる)ようになってしまったのだろう。みんなしっているはずなのに。あの複雑に絡み合う感情も。じぶんの冷酷さに呆れてしまうことも。あまりにもはやい忘却にも。だからとても嬉しくてあんしんした。「私」が美しい思い出だけを語るのではないから。
    そして猜疑心は世界を歪ませる。
    「なぜなら女というのは、幸福の要因になるのではなく、悲嘆の種になる場合こそ、われわれの人生にとってずっと役に立つからである。相手を所有することが、われわれを苦しめることにより相手が発見させてくれるさまざまな真実を所有することと同じほどに貴重になる女など、ひとりも存在しない。」
    こんなひとりよがりな(素直で誠実でかわいい)男たちにむけての、アケルマンの「囚われの女」は、返歌だったのかもしれない。

    あるひとに恋をしていたときに好んで聴いていた曲をきくとそのころの想いがよみがえる。ときめき、嫉妬、さまざまな要素をたたえた恋が散り散りになって宿ったフレーズはまた、恋のはじまりへともどり、いつか消えてゆく。
    じぶんとは正反対のひとに恋をしてしまいがち(のちのちいろいろ苦労がたえないのにね)、な遺伝子学的見解からも納得のゆくようなプルーストの恋愛学がなるほどすぎてわらっちゃう。"有毒な花の蠱惑的な華麗さ"に惹かれる。それが悪い選択だと知っていてもね。自由を与えられない花のような恋をしてさ。
    「アンドレに理解できなかったのは、高慢な人たちをも愛さなければならないこと、その高慢を打ち砕くにはさらに強力な高慢に訴えるのではなく愛によらなければならないことだった。」
    こころの解脱まではまだまだ遠い。
    「もし幸福が、すくなくとも苦痛の消滅が見出されうるのなら、追求すべきは欲望を充足させることではなく、欲望をすこしずつ減らして最終的には消滅させることであろう。」恋愛からひもとく人生論。さすがってかんじで可笑しくてすてき。
    ヴェネツィアで、意地を張って帰ろうとしなかったあの場面もとてもすきだった。よく知っている感情なのに忘れていた。きょうも(いつだって)わたしたちは、ほんとうにたいせつなこと(愛)を蔑ろにして、時間 という呪縛にとらわれつづけている。
    そして世のなかには知らなければいいことのほうがたくさんあるんだから。ほら、いますぐスマホの電源をおとしてこころの眼で、世界を(あなたを)みるのよ。


    「この年のあいだ私の人生は、ひとつの愛によって、ひとつの正真正銘の深い関係によって満たされていたと言うことができる。その深い関係の対象となったのは、死んだ女である。」

    「私が所有して愛撫する幸福を得ていたのは、その未知のものの外側、すなわち捉えはしたがその内部へはいりこむことのできぬ優しい顔にすぎなかった。この未知のものこそ、私の恋の根源だったのである。」

    「われわれの激しい不安の元凶となったはずの女性が、この不安のなかで取るに足りぬ位置しか占めていないことはらなんらかの象徴や真実を示しているのかもしれない。」

    「自分の幸福は当の女性に左右されているとわれわれは想いこんでいたが、じつのところそれを左右するのはわれわれの不安の終焉だったのだ。」

    「精神的欲望の充足に幸福を求めるなどというのは、前へ前へと歩んで地平線に到達せんと企てるのと同様、ばかげたことだと感じられた。」

    「われわれのエゴイズムは人生の全期間を通じて、つねに目の前におのが自我のための後生大事な目標を見据えているが、その目標をたえず注視している「自我」そのものをみつめることはけっしてない。」

    「自分の身体にはおびただしい量の快不快の感覚がたえず押し寄せるから、われわれは自分の身体について、木や家や通行人とは違い、明確な輪郭をなにひとつ想い描けない。」

    「アルベルチーヌが私に与えた苦痛は、アルベルチーヌと私とのあいだの最後の絆となり、その絆は想い出よりも長く生き残ったのである。」

    「人が苦痛から癒えるのは、その苦痛を最後まで嘗めつくしたときにかぎる。」

    「人間存在がわれわれにとって思考のなかに収集されたきわめて摩滅しやすい一連の図版でしかないのは、人間存在の不運である。」

    「習慣と化した考えは、ときに現実を感じとることを妨げ、現実にたいする免疫をつくり、現実もまた思考の一部かと思わせてしまう」

    「真実といい、人生といい、いずれも厄介なもので、結局その真実も人生も知らぬまま、その両者について私に残ったものといえば、もしかすると悲しみよりも徒労感のほうが支配的だという印象である。」

  • 前半の喪失体験の描き方は鳥肌ものだった。

    後半のヴェネチアでの物語、その後のサンルーのことなどは、アンチ・ロマンスそのものだ。

    サンルーには、いったんは落胆させられたが、しかし、これが今も変わらぬセクシャル・マイノリティの姿かもしれないと思うとやるせない思いで一杯だ。

  • 光文社古典新訳の高遠弘美先生の訳を読んだ方も、こちらの岩波の古川一義先生版を読まなくてはなりません。
    訳者あとがきによると、作者の死後、大幅に加筆され、バッサリ削除された「縮小版」が編集者に残されていたそうで、その削除された部分を含めた訳がこちらだそうで…。

    どちらも読む人(わたし)には無問題ですが。

  • 「消え去ったアルベルチーヌ」を収録。今までで一番ドラマチック。死んだ恋人の生前の姿を追う様は、探偵小説的な雰囲気もある。
    死んだ恋人の親友とセフレになったり、手近な少女を連れ込んで警察沙汰になったり、主人公のクズっぷりは相変わらずではある。

  • ○われわれの心の中には、自分ではどれほどそれに執着しているのか判然としないものが数多く存在する。ある場合、われわれがそうしたものを必要とせずに暮らしているのは、失敗したり苦しんだりするのを怖れて、それを手に入れるのを日一日とさきのばししているから。
    ○ある年齢をすぎるとわれわれの想い出は相互に複雑に絡みあうから、考えていることや読んでいる本自体はほとんど重要ではなくなる。われわれは到るところに自分自身を置いてきたので、あらゆるものが実り多いものにもなれば、また危険なものにもなる。
    ○食堂に画を掛けているからといってそれを理解するすべを心得ていなければその画を所有していることにはならないし、そこに住んでいるからといってそれを眺めることすらしなければその土地を所有していることにはならない。
    ○われわれがけっして滅びることはないと信じているものも、例外なく破滅へ向かう。
    ○人間の振舞いを決定するのは、その人にとって都合のいい「想いこみ」や「確信」、そうにちがいないと「信じこむ」力だという認識。

    この巻は人間分析が多く入っている。

  • アルベルチーヌが死んでしまった。
    馬車から身体を投げ出されて木に激突とはあまりに惨たらしい最期ではないのか。
    可哀想だ。
    若くして亡くなった彼女への哀悼より同性愛疑惑の猜疑心に駆られている「私」の精神は発狂していると言っても過言ではない。
    アンドレやエメ等の第三者を利用して真実を知ろうとするが結局真相には辿り着かない。
    否、彼女の周囲が強固な壁を立てて近づけないようにしているとも考えられる。
    「私」への因果応報とも取れるにしても、最後まで彼女の口から明かされなかった正体は、読者としても大変気掛かりな事である。
    その後彼女の優しさや愛情(と受け取れる仕草)を懐古している「私」と同時に、読者側のこちらにもより一層彼女の喪失感が迫ってくるのである。
    特に「私」が寒くないように首元を隠してあげた一節には胸が詰まった。
    ジルベルトと再会したことで彼女を忘却しようとするが、やはり絵画を眺める裡にアルベルチーヌを思い出さずにはいられない。
    自然な過去への回顧に共感した。
    ジルベルトとサン=ルー等の結婚の件は唐突な印象を拭えない。
    著者が本当に描きたかった物語はどのような結末だったのか、知りたくても絶対に不可能だが気になる。

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