- Amazon.co.jp ・本 (218ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004201755
感想・レビュー・書評
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社会言語学の名著。
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メモ。
・「日本国語」「英国語」とは言わないけど「中国語」「韓国語」と言う。
・琉球語は独立した言語なのか、方言なのか。 -
丸谷某をはじめとした所謂日本の知識人への痛烈な批判の小気味良さは初めて読んだ時と今もって変わらない。
でも今回の再読で一番感じたことは、現在の否応なく巻き込まれているグローバルな環境、つまりは英語優先主義の現状をどのように見ているのだろうか?ということ。
アイデンティティーと深く結びつく言語の行く末を考えると、SF的世界を簡単に想像してしまう当方は完全に底の浅い輩と言うしかないかもね。 -
痛快な文体で国家とことばの関わりについて述べた本。「国語」の始まりは日本の西欧化と密接な関わりがあること、方言滅ぼし教育の存在があったことなど、日本の中央集権的国家語統制の確立の道具としての国語の存在という視点を学ぶことができた。現在の標準語を特に違和感なく使用している自分の普段の生活をあらためて振り返るための色んな考えを享受して頂きました。すばらしい名著だ!
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かつて、イタリア中部の一部属の話していたラテン語は、ローマ帝国の言語として、その支配地域と共に拡大していった。もちろん各地には、それぞれすでに話されていた言語があり、ラテン語は、支配階級の言語として、そこに覆い被さっていったのである。土着の言語はラテン語の影響を受けて、今日のロマンス諸語など俗ラテン語を形成していった。そして、ラテン語はその格式を守る為、より厳格に古典的硬さを強めていった。実は、このことこそラテン語の死を意味していたのである。ラテン語はローマ帝国唯一の書き言葉としてなお君臨し続けたが、もはや誰もそれを話さなくなってしまった。人の営みはその心と共に移ろい、くずれず、乱れず、変化しない言葉で、何を表現できるだろうか。言語は、それを話す人と共に、生きているのである。
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目次:
一 「一つのことば」とは何か
二 母 語 の 発 見
三 俗語が文法を所有する
四 フランス革命と言語
五 母語から国家語へ
六 国語愛と外来語
七 純粋言語と雑種言語
八 国家をこえるイディシュ語
九 ピジン語・クレオール語の挑戦
あ と が き -
言語学は客観的な学問であり、あることばを徹底的に記述研究すればよいとする立場とは全く異なる、「国家がことばをつくる」、話しことばこそが言語の基本であることを前提とした言語学の観点からの本。特に琉球語に関する考察は自分にとって身近な例であり、全体主義・言語純粋主義のもとに少数言語を抑圧する国家的体制の歴史の中にそれらの置かれてきた境遇の悲しみを感じる一著でした。
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ことばにはこういう側面もあったのかと衝撃を受けました。
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