- Amazon.co.jp ・本 (218ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004201755
感想・レビュー・書評
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黄175
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文章が難解で読みにくいです。
言語における考察を作者がつらつらと書いてる。特に大した感想を抱かなかった。ふーんって感じの本。
母語っていう単語にすごい執念を持っているが、専門領域にしている人でなければ母国語と敢えて区別しないところをつっこみまくっている。
いや、ほんとに可も不可もなくって感じの本です。
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「母国語」と「母語」は違うのか。ふむふむ。
気になった表現。
「現実にある言語共同体が用いていることばであって、話されているだけで書かれることのないことばは存在するが、書かれるだけで話されることのないことばは存在しない。つまり、話すことはつねに書くことに先行する。」p.26
「文法の安定と不変を願う気持が、それを正しいときめ、それからの逸脱を誤りとするから、言語の変化はいつでも誤りであって、正しい変化というものは論理的にはあり得なくなるであろう。そのことはつまり、言語に関するかぎり進歩という概念はあり得ないということになる。」pp.72-73
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大学生のときに読んで、「国語」とはつくられたものだったということを知ってかなりのショックを受けました。
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£1.50 書き込み有り
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すごくおもしろい!一応英語という言語に携わる職につくつもりなので、いい刺激になったぁ。母語と母国語の違い、とか何気ないことに気づいたよ。ゼミの先生に、イ・ヨンスクさんの師であると教えてもらって読んだ本なので、私の興味にストライクしました。これ読んで田中克彦さんに目覚めたので、違う本も読んでみたいと思います★
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言葉と言うものは、外国語という名称にもあるように、
国家が成立するとそれにあわせて分類されることが多いが、
実はそうではないという主張から始まり、
早くから国家が成立し、言葉の整備が始まったフランス語の
ラテン語からの脱却などが説明されている。
それとは対照的に、国家の整備が遅れ、
フランス語からの借用語が入るだけ入ってしまっていたドイツ語も説明されている。
言葉は純粋に学問的に見たい場合でも、
政治的要素を多分に含んでいるものだと思った。 -
Antoine de Rivarol(1753年生まれ) フランス語が何ゆえにすぐれているかという点で、リヴァロールはそのシンタクス(語順)がすぐれていることをあげる。
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今の目で見るとそんなにショッキングには感じない。<br />
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・母国語と母語の違い<br />
・アルザス/エルザス地方で使われている言葉<br />
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とか基本的なこと。<br />
高校の世界史レベルで分かることよりは少し知識が進むけど。<br />
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しかし「言語的支配の独善をさらけ出した、<font color="#ff0000">文学などとは関係のない</font>、植民者の政治的扇情の一篇でしかない。」というのはいかがなものか?<br />
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「言語的支配の独善をさらけ出した」というのはそのとおりだと思います。<br />
しかし、小説というのは、必ずテーマがないといけないと習ったのだけど、「フランス語の世界征服は素晴らしい」というテーマだといけないのかなあ? <br />
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『西部戦線異常なし』は反戦小説<font color="#ff0000">だから</font>いい小説。というのはだれでも思うのかしら? 小説として出来がいいのとテーマに賛成とは、切り離しにくいとは思いますが。<br />
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『最後の授業』は「プロイセンが憎くて、アルザスを返せ」という動機で書いたものなんでしょうが、主人公の名前はフランツだし、フランス語がかれの母語でないことも隠していないし、感動させる上手いつくりの話ではあると思います。<br />
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まあ、ちょっと世界史や言語の知識があると感動しにくいのも確かだけど、それはテーマが気に食わないというだけも問題で、それが「文学」かいなかを決めるものなのでしょうか?