ことばと国家 (岩波新書 黄版 175)

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  • Amazon.co.jp ・本 (218ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004201755

感想・レビュー・書評

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  • 図書館1階の学士力支援図書コーナーでは、大学の建学の精神に基づいた図書を3つのテーマに分けて配架しています。
    ・アイデンティティを求めて
    ・いかに生きるか
    ・視野を広げる、世界を知る力

    この本は→「いかに生きるか」

    配架場所はこちら→http://libopac.josai.ac.jp/opac/opac_details.cgi?lang=0&amode=11&place=&bibid=1000108399&key=B129974141619633&start=1&srmode=0

  • 言語の分類は常に恣意的で、政治の力が働くということを
    「フランス語」や「ドイツ語」、「イディッシュ」が形成された経緯を見ながら説明しています。
    今現在の、例えばベルギーを見れば、国家における言語の果たしている意味というのはいまだ変わりません。
    30年前の本ですが、時代に左右されない内容のみで構成されています。
    人文系のタイトルですが、政治学に興味がある人こそは本書を読むと良いと思います。

  • 今ではなにげなく使っている、「国語」という言葉の成立過程のくだりには、はっとさせられ、言語と国家を切り離して考えることの難しさが、あらわれている。「母語」って言葉、いい響きですね。

  • 以前も読んだはずですが…すごく新鮮でした。ことばという日常どこにでもあるものが最も権力と結びつきやすい。でも、水とか食料もそうですね。

  •  ○○語、ということばを想定した時点で、もうすでに国家という政治的な概念が含まれてしまっており、純粋な言語を取り出すためにはどのような困難が伴うかという言語学の基本的な問題について、母語と母国語、純粋言語と雑種言語、ピジン・クレオール、といった観点から分析している。ドーデの『最後の授業』の舞台となったアルザス地方の言語状況、フランスにおけるオック語とオイル語、世界に離散したユダヤ人のイディッシュ語とヘブライ語の復興などの具体的な事例が挙げられている。
     琉球語が「琉球方言」にならざるを得ない状況、ラテン語やギリシャ語にしか文法はないと思われていた状況と同じことがピジン・クレオールの問題にも起きていること、英語もそもそもピジンであるということ、比較言語学が純粋という想像上のものを過程していること、話者にとっては言語に歴史的なものなどなくあるのは今の言語だけである、という内容が印象的だった。言語学を勉強している人は必読だと思う。(10/03/01)
     1度読んだ本ということを忘れて、もう1度読んでしまった。こんなことは初めて。印象的だった部分を以下に記す。外来語を排除しようという動きを国家が行うことは多いが、市民一人一人が誰にもわかるようにという気持ちから母語を使おうとした西ドイツの大統領の話(pp.142-3)は印象的だった。それこそ今の日本では「マニフェスト」をはじめ、政治の重要な場面でカタカナが出てくるが、これこそ「教養ある階層と、我らの住民の広汎な大衆とのあいだの溝」であり、「民主主義にとって大変危険なこと」(p.143)ではないかという気がする。また、「ことばは近ければ近いほど差別感が生じ、遠ざかれば別の言語になりうる」(p.175)という「言語環境の法則」や、「学問や聖典のための専用にことばをとっておく―じつはこのことがそのことばの死をもたらす」(p.182)という部分が印象的だった。前者は方言のあり方を理解するには不可欠な「法則」だろうし、後者はことばは使われてナンボ、そして変わってナンボ、ということばの本質をついていると思った。(13/09/15)

  • 09年終
    言語学初学にはもってこい・読みやすく分かりやすい
    ・「母語」≠「母国語」
    ・国家を支えるために戦略的に作られる
    構築主義から捉えること
    ・アルザス地方

  • 石原千秋『教養としての大学受験国語』281頁。田中は、国民国家論が流行し出すずっと以前から、言語と国家の問題について発言し続けていた。イ・ヨンスクは田中の弟子。

  • 2010/2/1図書館で借りる
    2010/2

    ガストン・パリス:文法が創作を妨げる
    J・デュベレー:フランス文学の開花の重要な時期に俗語文学擁護の理論家としての側面を体現した。

    アカデミー・フランセーズの設立は1635年。
    フランス語洗練のための公的機関として発足した。

    フランス語の光栄を世界に永くとどめる、一つの記念碑的な論文を生み出すきっかけをつくったのもまた、プロイセンであった。

    フランス人リヴァロールはそのシンタクス(語順)がすぐれていることをあげる。主語―動詞―目的語、この語順のみが理性の秩序を忠実に示すものであるから、「ここにはすべての人間にとっての自然な理論がある」「我らの言語の賞賛すべき明晰さ、その永遠の土台はここに由来する」と述べた。
    「明晰でないものはと言えば、英語、イタリア語、ギリシャ語、ラテン語である」

    更新的なロシアにおいては、レーニンを含めて、革命インテリたちがいかに外国語好きで、おびただしい外来語を導入したか、革命家たちのいわば言語風俗について興味深い事実が述べられているが、フランス革命は、思想においても文学においても、自らの言語こそが最も先進的であると自覚し、その言語の普遍性が主張されている舞台において生じたところに特徴がある。

    すべての国民は、共和国の法の前に平等でなければならない。法を平等に享受するためには万人が一つのことばを持つことによって保障される。

    「国語」は決して日常の言葉ではなく明治のはじめ、西洋の事情などにも学び、熟慮の末造り出された、文化政策上の概念だった。

  • この本が出た頃のインパクトがどんなだったか知りたいなぁ。

  • 神です。

    うちの学類に入学したら読まないとダメだと言われた。

    ことばの在り方、国語という概念、今までの常識。

    いろんなことを考えさせられた。

    あたしの考えの根源にはこの本の影響が間違いなくある。

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著者プロフィール

一橋大学名誉教授

「2021年 『ことばは国家を超える』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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