- Amazon.co.jp ・本 (210ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004308010
作品紹介・あらすじ
本を読むことの意味は何?案外答えにくい問いに、「読書によって…の力がつく」という形で考え、コミュニケーションの力、人間を理解する力との関わりを示します。自分をつくり、鍛え、広げることが、読書とどう結びついているかを述べて、あらためて読書の本質を見つめます。心に残るフレーズ、工夫の手がかりも満載です。
感想・レビュー・書評
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私が求めていた読書力とは大きくかけはなれていたので。
読書を楽しむために意識すべきこと、というより賢くなるためのツールとして読書をどう扱うか、が書かれていた感じ。こんな読み方をしても楽しくない!と思ってしまったけれど書いてある内容に沿っていれば差はあれど語彙力は抜群に伸びると思う。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
読む、書く、話すことにおいて読書がいかに重要か学べ、本を見たくなった。
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読書のモチベーションがますます高まりました。
読書はする、しないかは自由ではなく、
「読書はしろ‼️」と言い切るところが、著者の読書に対する重要性をぐっと感じた。
文庫100冊をまず目標にして、著者のおすすめのリストから読み始めたいと思います。 -
読書をすることで何が得られるかがわかる本。本をたくさん読んだ人は文章にも重みがあると感じた。本を読むことで、教養を深めたいと思った。おすすめの本も多く紹介されていた!
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中学生の頃に出会いたかった本。読書力の低下を危機として捉えている著者が、独自の経験から本の大切さを説いている。
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読書のことについての文章を読むと、読書がしたい!と思う。(本を読みながら)
今まであまり偏らない読書をしてきたつもりが、それは極々狭い世界でのことだった。こういう本は苦手だ、この作者は合わない、とそもそも選ばないことの方が多い。少し昔に書かれた、外国の作者だ、というだけでアレルギー反応を起こし、難しいから無理と思ってしまう。そういった読書では読書力があるとはいえない。食わず嫌いをして成長していない、ということをひしひしと感じた。この本を読むだけで普段読んでない本を読んでみようという気持ちにさせてくれる。文庫100冊新書50冊!
2022/09/03 00:59 -
齋藤孝さんの本は本当に読みやすい。
生理食塩水を体に入れるみたいに、なんのひっかかりもなく読めてしまう。
読んだのは数年前なので、内容はだいぶ忘れてしまったけれど、「おもしろかった」と当時感想を抱いたのは覚えている。 -
日本には海外の聖書のようなtheBookがないからBooksが必要だったという言葉に凄く得心させられた。(皆で教会などで読み聞かせされることで共有される倫理等が日本人には無いため様々な本を通して自ら形成していかなくてはならない)
今年は様々な思考の知識人の考えを本を通して触れ、学び、自己形成に繋げて行きたい。
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読書のススメ。筆者の読書熱が強すぎて、読書至上主義・読書万能主義になってしまっている気がするが。。。まあ、読書を通して自分の間口を広げ、成長の糧とすべしという筆者の意見には同意するけれど。本書を含めすべては他山の石とね。
読書をスポーツととらえて訓練の有効性を説いたり、線引き、音読、読書会に内容をマップ化するなど、読書のテクニックもいろいろ紹介されており、参考になる。
巻末には筆者が選ぶ入門百冊があるけれど、既読は一割強だった(笑)残りもそのうち参考に読んでみるかな。 -
読書欲がかなり掻き立てられた。
筆者の読書好き、読書を普及させたいという情熱がひしひしと伝わってくる。
読書習慣を身に付けたいと思っている人はまずこの本を読んでみては。 -
まだまだ読むべき本があるんだなと思った。あと音読がなぜいいかが理解できた。
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ちょっと、強引に勧める感、説教感があるものの、著者の読書愛は伝わってきた。
必ずしも著者の勧める方法で読書はできないなとも思った。
読書は自分の好きな方法で一生続けていきたいなと思う。それが一番楽しいはず。 -
丁度自分の読書スタイルに疑問を感じていた折、小泉信三著「読書論」などと共に購入。年代の違いもあるがこちらはより平易な表現で具体例を交えつつ著者の読書に対する態度が記されている。新書だが自己啓発本と似たような軽薄さは感じるものの、既知のものばかりだと吐き捨てられるほど含蓄が深くない故、そこそこ身になる内容ではあったように思う。根拠が弱いとの誹りは否定しかねるが、新書50冊文庫100冊というのは良い指標ではあると感じたためひとまずそれらをこなしてから改めて評価を下したい。
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齊藤先生の読書愛に溢れた1冊。
本を読むことが自己形成につながり、人生の豊かさにつながることを述べている。本の様々な読み方や、楽しみ方についても触れているほか、おすすめ文庫も巻末に載っている。読んでいたら読書熱が高まった。
ただ、うまく言語化できないんだけど、著者が「読書の幅が狭いと、一つのものを絶対視するようになる。」と言いつつ読書に対して絶対視しているような文体がどうにもちょっと引いてしまったので星3。
読書が自己形成に大きな役割を果たすことや、人生において豊かさをもたらすこととか、大まかな内容については同意。 -
感想
難書を噛み砕く。ただひたすらに読み続け筆者と対話を試みる。もしできないなら周り道が必要。自分を高めるための読書に近道はない。 -
岩波新書のおすすめコーナーにあり、以前からよく見かける筆者だったので読んでみた。
本書の感想を結論から言えば、読まなければよかったと思った。現時点でこの筆者の本はもう読むつもりはない。なぜ筆者の本が平積みされるほど売れているのかも疑問だ。目新しいことも特になく、「序」において筆者の愚痴のような読書論が語られるが、啓蒙的で本当にイライラし同意できなかったことが主な理由だ。
古典的な名作などは手放しで賞賛し、読めばレベルが上がるなどと主張する一方で、推理小説やSFなどを小馬鹿にしている。そうやってSFを乳歯の読書とバカににしておきながら最後の100選でオーウェルの『1984年』を選出するのは滑稽で仕方ないし、許せなかった。星新一が小学生でも読めるから読書力が上がらないといったくだりも同様に思った。
上記をはじめとし、筆者は読者について大層なことを偉そうに語る。それにもかかわらず、読書力の基準として、いわゆる「文学」の文庫本100冊、新書50冊を読むことを提示してきたことには落胆した。大層なことを書く割に根拠が弱く偉そうに語ることかと思った。
これ以上批判をするのもファンから怒られそうだしやめておく。ただ、自分と異なる主張を読むことができたのは良い読書体験だったと思う。
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本当に、「本を読む読まないは自由」なのだろうか。 私はまったくそうは思わない。少なくとも大学生に関しては、百パーセント読書をしなければ駄日だと考えてい る。こんなことは大学ではかつては当たり前のことであった。しかし現在は、「なんで読書しなくちゃいけない の?」という問いに答えなければならない時代になっている。「なぜ人を殺してはいけないか」について、まじめな 議論がなされる時代なのだから、読書の必要性について疑問が出されるのも無理のないことなのかもしれない。
経済活動にせよ、詰まるところ思考力である。日本経済の危機が叫ばれているが、読書力の復活こそが、 日本経済の地力を上げるための最良の方法だと私は考えている。
さて、私が設定する「読書力がある」ラインとは、「文庫百冊・新書五十冊を読んだ」というものだ。「力」を「経験」という観点から捉えた規準だ。
新書は文庫と判型が違うだけでなく、従来は内容上の一定の性格を持っていた。岩波新書と中公 新書が、新書の伝統を日本においてはつくった。学問の大家が一般の人にもわかりやすい形で、しかも内容の質を落 とさず書く、というのがこの二つの新書のスタイルであった。講談社現代新書は、これらより読みやすい文体で気楽 に読めるスタイルを取っていた。
文庫系をひと通りこなした後に、新書系の読書が折り重なってくるということになる。時期的に言うと、中学高校で 文庫本に馴染み、高校の終わりから大学二年くらいまでが新書時代となる。これがかつての新書との出会いの基本的 イメージだ。 現在は、新書は学生が読むものではなく、三十代から五十代までの男性が中心に読むことが主となっている。つま学生に新書を読む習慣がなくなったということだ。学生は、新書の主たる購買層ではない。これは重大な変化だ。学問をコンパクトにまとめたものは、学問の入門書として最適だ。学問をし始めるはずの大学生がそれを読むこ とは自然であるのに、新書を読む読書習慣が大学生にないとすれば、それはむしろ不自然なことだ。 私の考えるところでは、新書を読むことが、読書力の重要なラインだ。
新書は、より大きな知識体系への入り口になっている。1冊を読めば、よりレベルの高いものを二冊、三冊と読みたくなる。そうした吸引力がある。「知識欲」というのは刺激されれば、誰にでも本当に生まれてくる。新書という読書文化のスタイルは、まさにこの知識欲をかき立て、促進する最良の糧だ。
新書五十冊をこなしたかどうかは、私の経験から言えば大きな違いとなっている。五十冊というのは、およそ月二 冊で二年、月一冊で四年といった現実的な量だ。十冊程度ではまだ「技」として不安定だが、五十冊になると新書系の読書に確実に慣れてくる。
私は大学の教師をやっていて、大学生が新書を読む習慣がもはやないことを知っている。これを私はあまりにもっ たいないと思うので、学生には新書読書をひたすら勧めている。というのは、新書は書かれてある内容に比して値段 が安く手軽だからだ。
新書のイメージとして、知識を要領よくまとめているというイメージもあるだろうが、私にとっての新書は、もっ と著者の息づかいや志が感じられるものだ。優れた人物と二人きりで話が聞ける喜びを、私は新書から感じ続けてき た。読書力の基準として、新書を文庫とは別に立てたい思いが、私にはどうしてもある。
私は入社試験や大学入試などで、この方式が採用されることを望んでいる。大学入試では、社会科などでは些末と も思える知識が相変わらず問われている。「受験勉強をするために本を読めない」というのは、本末転倒でばかげて いる。大学に入ってからの勉強は、文系はとりわけ本を読むことが中心のはずだ。理系でも論理的思考を鍛えるのに 読書は必須だ。多数の論文を的確に読まなければならない。その大学に入学後に本当に必要とされる力を問うシステムが、入試の理想型である。
私は、読書力の成を学校教育の最大の課題だと考えているので、自分が主催している教師の研究会の参加者たち に、中間や期末試験に読書力を養成する問題を組み入れてほしいと提言した。
人間の総合的な成長は、優れた人間との対話を通じて育まれる。身の回りに優れた人がいるとは限らない。しかし、本ならば、現在生きていない人でも、優れた人との話を聞くことができる。優れた人との出会いが、向上心を刺激し、人間性を高める。 読書力さえあれば、あらゆる分野の優れた人の話を落ち着いて聞くことができる。実際に面と向かって話を聞く場合よりも、集中力が必要だ。言葉の理解がすべてになるので、緊張感を保たなければ読書は続けられない。自分から 積極的に意味を理解しようとする姿勢がなければ、読書にはならない。読書の習慣は、人に対して積極的に向かう構 えを培うものだ。読書はコミュニケーション力を育てる。これは、第血章の主題だが、人間の極端なスタイルをあれこれと読書をして知っておくことは、コミュニケーションの幅を広げてくれる。日常ではどうしても自分と同レベルや同種類の人間とつき合いがちだ。その方が負担が少ないからだ。しかし、人生の醍醐味は、自分と異なる者とのつき合いからも豊かに生まれる。現実の人間とのつき合いの世界だけでは味わうことのできない、強烈な人間とのつき合いが本の世界ではできる。
本の著者は、それぞれ自分の主張やペースを持っている。そうした複数の著者と付き合うことで、聞く力が練れて くる。本によっては、非常にわがままな著者もいる。それに著者はたいてい個性的だ。様々なタイプの著者に数多く 付き合うことで、いわば人間が練れてくる。人の話をきちんと聞き続けることができるだけでも、相当社会性は高い と言える。
気に入った文章をノートに書き写すのでももちろんいい。 私の場合は、自分の文章の中に引用として、感銘を受けた文章を組み込む形で書き記すことの方が多い。これは作文 のコツでもある。まったく何もないところから、自分の内面からのみ言葉を総ぎ出すのは意外に難しい。現実に起 こった出来事を言葉にするのもなかなか大変だ。しかし、書かれた文章を引用しながら文章を書くのは、それよりは 難しくはない。書き写したいと思うほどの文章であれば、なぜそれに感銘を受けたのかを書き綴ることはできやす い
私は中学高校の教師になる人を育てる仕事をしている。学生には、もし教師になったら、授業の最初の三分ほどは 必ず、自分が読んでいる本の話をするようにしろ、と言っている。常に現在進行形で読んでいる本を紹介し続ける。 これは教師自身にとっても刺激になるし、今読んでいるという臨場感があるので、相手にも伝わりやすい。
私がそのとき選んだのは、世界的数学者の岡潔のの『春宵十話』(角川文庫という本だった。岡潔は関数論において世 界的な業績を成した数学者だが、文学、哲学の造詣も非常に深い。天才的な直感力を生かした鋭い批評が特長だ。小 林秀雄との対談『人間の建設』(新潮社という本もある。その本は内容のレベルが高く、私には非常に刺激的だった。 その機会なくしては出会うことのない本であった。今でも私の日の前の本棚にはその本がある。その本を見るたび に、高校時代のその本のプレゼントの授業のことを思い出す。これも、私の読書を加速させてくれた一つの大切な きっかけだった。
本は必ずしも全部読まなければいけないというものではない。ほんの一行でも一生の宝物になることもある。全部 読み切らなければいけないと思うから、読書が進まなくなる。印象に残る一文を見出すという意識で読むのも、読書 を進みやすくするコツだ -
The bookがないからBooksが必要だったという部分で、お〜〜となった。
読書をするの者は孤独で、しないで済むのならそれに越したことはない…というような言葉をどこかで読んで、ずっとそれが頭のどこかに残っていた。
しかし、読書という行為、好きでいること、それらを肯定してもらえているようで嬉しかった。 -
本は読みたい人だけ読んだらいいじゃないか、強制するものではないと思っていたが、筆者は学者、教育者として、読書しなくてもよいと言う人を舌鋒鋭く批判する。本を読むことの大切さを熱く説いている。2002年に初版された本書。筆者のメッセージは届いたのだろうか。
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図書館に行った時、普段読んでいる小説というジャンルが数ある本の分類の一つに過ぎないと気づき、もっとたくさんの本を読んでみたい、と思ったのがこの本を読んだきっかけです。
読書は単に楽しめるだけでなく、さまざまな力が身につくことをわかりやすく記しており、今後の読書意欲を掻き立てられました。
著者のいう読書は、「多少とも精神の緊張が伴う読書」であるため、普段読んでいる大衆小説を否定されたような気分になる方がいるかもしれません。しかしあくまで読者を自己形成の教材と捉えているだけだあり、楽しむことを悪としているわけではないと思ったので、自分は納得して読めました。 -
心地の良い難しさ
文庫100冊新書50冊
文学に目を通してみようと思った -
読書を始めるならまずこれを読むべき。
本嫌いには本に興味を持ってもらう力があるし、本好きには更に読みたくさせる力があると思ってる -
読書はしなければならないもの。
読書は人を作るから。
めちゃくちゃ共感!
友達や信頼できる人が周りにいなくても本があれば助けてくれる。
今の自分は本に形成された部分が5割を占めてるかもしれない。
1対1の会話。じっくり読んで楽しむ -
3.72/5457
内容(「BOOK」データベースより)
『本を読むことの意味は何?案外答えにくい問いに、「読書によって…の力がつく」という形で考え、コミュニケーションの力、人間を理解する力との関わりを示します。自分をつくり、鍛え、広げることが、読書とどう結びついているかを述べて、あらためて読書の本質を見つめます。心に残るフレーズ、工夫の手がかりも満載です。』
まえがき
(冒頭)
『日本ではいつのまにか、本は、「当然読むべき」ものから「別に読まなくてもいい」ものへと変化してしまった。』
『読書力』
著者:齋藤 孝
出版社 : 岩波書店
新書 : 210ページ -
今年も読書頑張る。
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読書欲が落ちてきたら読み直す本。
著者の斉藤さんがいかに読書が素晴らしいかを熱弁している。読書に対しての理論立てて説明する部分と感情で説明する部分があるところが良い。
結局のところ読み方は自由であり自分の人生にどう活かすかも自由であるところに読書の良さがあると思う。