- Amazon.co.jp ・本 (266ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004319139
作品紹介・あらすじ
政治責任を問うことも、それを看過することも日常になってしまったいま、私たちは「政治に無責任はつきものなのだ」という諦念を追認するしかないのか。自己責任論と政治不信の渦中で政治責任を取らせることは可能なのか。H・アーレントや丸山眞男などを参照しつつ、政治責任をめぐるもどかしさの根源を理論的に究明する。
感想・レビュー・書評
-
やや抽象的で理論的な部分が多く難しかったですが、間違いなく良書だと思います。
「政治責任」「説明責任」「任命責任」「結果責任」等々、政治で何か問題が起きる度に繰り返される責任とは、どう果たすべきで誰に向けての責任なのか、またその政治家を選んだ国民の責任など、少し立ち止まって冷静に責任について考えることが出来ました。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
責任を回避する政治家に対し私たちにできることは政治責任を取ることである.
これがこの本の主張の1つで、これだけでは一見よくわからないが、このことを厚く丁寧に論じる.適宜これまでの議論を要約したり読者の便宜を図る工夫がされていて高度な内容の割に読みやすくなっている.
印象的だったのは、シェイクスピアを引くアーレントの解説箇所.
“時のたがははずれた、呪われよ
それを正すために私が生まれたことは“
というハムレットの1節をアーレントは「責任」を論じる際に引く.一見何のことやらな文章だが見事な説明が与えられていた.気になる方は実際に本書を手に取って確かめてほしい.
政治、民主主義に関心のあるすべての人におすすめ. -
-
【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/771238 -
女子栄養大学図書館OPAC▼ https://opac.eiyo.ac.jp/detail?bbid=2000056338
-
たぶん、こっちのリテラシーの問題なんだろうけど、ちっとも分からない。
「問の立て方」はとっても具体的で、その答えが知りたくなるのに提示される回答はよく分からない。
ただ、確かに「責任をとる」は「罰を与える」ことではないということはその通りだと思う。これを勘違いしているのはボクだけじゃないはず。 -
東2法経図・6F開架:B1/4-3/1913/K
-
著者の専門は政治理論。本書は抽象的で、正直なところ自分の理解力を超えていた。
政治責任の必要性や重要性は誰も否定しないだろうが、責任を取るとはどういうことか。その職を辞すのか、引き続き邁進するのか、金銭や命で贖えるのか。集団責任と個人責任の境目は。考えるほど分からなくなる。
ただ著者が、政治責任とは民主主義そのものの問題であり、政治家はいるが、責任を取るのは政治主体としての「私たち」と考えていることは伝わってきた。