- Amazon.co.jp ・本 (416ページ)
- / ISBN・EAN: 9784022512291
作品紹介・あらすじ
虫と話ができる幼稚園児の拓人、
そんな弟を懸命に庇護しようとする姉、
ためらいなく恋人との時間を優先させる父、
その帰りを思い煩いながら待ちつづける母――。
危ういバランスにある家族にいて、
拓人が両親と姉のほかにちかしさを覚えるのは、
ヤモリやカエルといった小さな生き物たち。
彼らは言葉を発さなくとも、拓人と意思の疎通ができる世界の住人だ。
近隣の自然とふれあいながら、ゆるやかに成長する拓人。
一方で、家族をはじめ、近くに住まう大人たちの生活は刻々と変化していく。
静かな、しかし決して穏やかではいられない日常を精緻な文章で描きながら、
小さな子どもが世界を感受する一瞬一瞬を、
ふかい企みによって鮮やかに捉えた野心的長編小説。
感想・レビュー・書評
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装丁が綺麗だったので借りてみました。
名前は見かけたことあるのですが代表作とか思いだせない。はじめての作家さんでした。
はじまりがきついなあ。各章の切り替わりが早くって順番に視点が替わるから情報過多で処理できない。
無口な幼稚園児(拓人)と弟思いの姉(育実)、フラッシュバックの母親(奈緒)と、家を何日も空ける父親(耕作)。
その不倫相手(真雪)と不穏な空気を感じつつ。
霊園管理の不器用で生真面目そうなバツイチ(児島)。
姉弟のピアノ教室の先生(千波)に母親(志乃)
それに、隣のTV好きのおばちゃん(倫子だったかな)・・
人多すぎて過積載で許容量オーバーしてるので焦点が定まらない。
淡々と流れていく時間の中にあって、テキストを読んでるような苦手意識が働き誰にも憑依できない。
これほどまでに疎外感を感じさせる物語ははじめてかも
いや、先日よんだキノコの話もそうだったような・・
けどあれは、キノコだったので無視されてもなんとも思わなかったのですが、今度は言葉の通じる人間で同じ言語を用いる日本人なのに、感情移入する隙を与えてくれないのだ。
ぎこちない家族関係に絶妙なバランスを保ちながら歩いてる感じ。背中を押したら転がっていきそうなんだけど踏みとどまっている。現状維持、これは日常そのものかも。
慌ただしい大人の世界とゆっくり流れる子供の世界、幼稚園児の章は、すべてひらがな表記で読みづらい仕掛けがあったりで、忍耐強く接するのがストレスでした。
それに比べ漢字かな交じり書体はスラスラ読める。そういったリズム感の違いを感じさせるのも演出のうちだとは思うのですが私には無理でした。中盤過ぎると、ひらがな地獄に耐えられなくなり幼稚園児の部分は消去法使って外して読むことにしましたww
まあ他人の子供だしね。離婚を決意できない奈緒とか、不倫相手の真雪とか、妻子はいるけど彼女はいないとかのたまいそうな男にはいい環境かも。で興味なし。
私は、何を期待してたのだろうって。修羅場を迎え人が不幸になることだったのかって思うとなんだか落ちこんでしまいました。
ピアノの先生が婚約解消したのはナイス判断って思えたかな。
最後は子供たち大人になってるとかww
時間だけが過ぎて行ったような歯がゆさに、後ろから不意に膝カックンされたかんじでした。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
410頁、久々のボリュームある一冊に今回も読み終えない前に図書館に返す羽目になるのか(汗)と懸念したが、残り半分を一日で読破、頑張った(笑)
前置きはさておき、内容はかなり哲学的に思えた。
登場人物は幼い姉弟をメインにその父母、父の不倫相手、隣りに住む一人暮らしの老女、姉弟が通うピアノの先生の家族、先生の婚約者、弟が慕う近くの霊園に勤続している中年男性等。それから忘れてならないのはタイトルにもついている爬虫類やら虫達。彼等の暮らしや気持ちが不思議な力(彼等との意思疎通)を持つ弟の目を通して瑞々しく描かれている。
途中から気づいたのは『在る(居る)』という概念がテーマなのかなということ。
『在る』とは、人であったり、
空間であったり、時間であったり。
囚われているのは存在の有無なのかなとか。。
確証(例えば、結婚の形、夫と妻の形、確かにあった過去の時間、口から出る言葉と心の中での呟き…目の前にいるのに不在を感じる気配…など)に無意識のうちにでも、大人の居る世界はそうゆうものに少なからず頼り、護られることで成り立っている。対比するかのような幼い弟や虫達の世界、それは枠も括りもないし、もっとシンプルに唯の『在る』なのだ。ほんのすこし歳が上の姉は弟の感受性に近いが、大人の事情も察知してしまうから両方の世界で揺れ動く。
ラストは呆気なく、まだ先があるように感じるのだが、それは生きている人達のリアルと一緒で、問題も何も完結しないまま生きていくのが
人間なのだから当然といえば当然(不自然ではない)なんだろう。
ただ、虫達と心を通わせていた幼い姉弟もまた大人になり、色んなことを確かに在った時の流れの中で置いてきてしまったのが瞬時に理解できたくだりは私的にはなくて、違う形の終わり方もよかったような気がしたのだけれども…。
読み終えてすぐに
もう一度、読み返してみたいな♪
と思えた一冊。 -
江國さんの小説を読むのは久しぶりだったけれど、相変わらずの江國ワールド、といった感じ。
他の子どもよりも少し言葉の発達が遅く、虫と会話ができる5歳の拓人を中心に、拓人の姉でしっかり者の育実、母の奈緒、父の耕作、父の愛人の真雪、拓人と育実が通うピアノ教室の講師で婚約中の千波、千波の母の志乃、そして拓人と育実がよく遊びに行く霊園で管理の仕事をしている児島が順繰りに語り部となる物語。
大きな展開や、すっきりしたところに着地することを求めて読めば肩透かしを食らうかもしれない。
けっこう分厚い本だけど、とても淡々と、登場人物たちの日々や想いが綴られている。言ってしまえば、“それだけ”の小説。
拓人の章は全部ひらがなだから少し読みにくいけれど、それがもたらす効果は大きい。
子どもには子どもの世界があり、大人には大人の世界がある。お互いがお互いをきちんと理解するのは難しいけれど、何となく察するものがあったりもする。
子どもは家のなかに流れる雰囲気で、大人の世界のことを察したりする。だけど基本的には、子どもの世界のなかで生きている。
タイトルの生き物たちは、拓人と育実がとりわけ仲良くなる生き物で、彼らと触れあうシーンは物語の中心と言ってもいい。
大人の世界では、不倫やら婚約破棄やら生々しいことが起こるのだけど、カエルやヤモリが出てくるふわふわしたシーンがその生々しさを薄めている。
何かを得たり考える機会を与えられる小説ではないけれど、純粋に流れを愉しんで、子どもの頃に自分もいた世界に思いを馳せて…という1冊。
個人的には霊園にいる児島のキャラクターがとても好き。この人はきっと、子どもの世界に近い場所にいる大人なのだと思う。 -
すごくよかった。気に入った。
ヤモリやカエルやチョウと話ができる子どもがでてきて、その会話が出てきたり、その子どもの視点から見た文章が全部ひらがなだったり、虫が発する音だとか気配みたいなものが文字になっていたり、実験的ともいえそうで、わたしがいかにも苦手な感じなのに、全然イヤじゃなかった。そういう、一見ファンタジーっぽいところが、(わたしにとっては)ファンタジーみたいな感じがしなくて、むしろ妙にリアルで説得力があって、ああヤモリとか虫とかそんなふうにしゃべりそう、とか思えて。こんなふうにそのへんのカエルとか虫がしゃべるのがきこえたらいいのに、楽しいのに、寂しくないのに、とかまで思ったり。
まったくうまく言葉にできないのだけれども、この世界のなりたち、とか、生と死、とか、ものすごくスケールの大きな、おおらかな、というか、やすらかな、というかそんなものを感じた。
普通の、大人たちの話ももちろんあるんだけど、それは普通にいつもの江國さんの感じで。
どうも、登場人物はそろったけれどもまだ話が進まない、という感じのまま終わるのだけれど。
いつまでも読んでいたいと思った。
続編とかあったらいいのになあ。-
こんにちは。
江國さんの新作、なんだか久々ですよね?
タイトルからしていかにも江國さんですね(*^_^*)
気になってはいまし...こんにちは。
江國さんの新作、なんだか久々ですよね?
タイトルからしていかにも江國さんですね(*^_^*)
気になってはいましたが読むのどうしようかな~と迷っていました。
niwatokoさんのレビュー読んで、読みたくなりました♪2014/11/17 -
こんにちは。
そうですね、タイトルも江國さんらしい感じですね。中身もです。子どもの視線とか、恋愛とか、すごく江國さんらしい。虫との会話とか...こんにちは。
そうですね、タイトルも江國さんらしい感じですね。中身もです。子どもの視線とか、恋愛とか、すごく江國さんらしい。虫との会話とか、ファンタジーすぎたら楽しめないかなあと読む前はちらっと思ったんですが、全然そんなことなくて、あっというまに読んでしまいました。やっぱり江國さん好きだ!と思いました。2014/11/17
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平仮名が読み辛いとか、登場人物に共感できないとか、軟弱なこと言ってんじゃねぇよヽ(・∀・)ノ
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言葉でなく虫とコミュニケーションができるって、なんかわかる。こどものときってそういう感覚あるんじゃないかな。この世界をどんなふうに感じてどう反応していくのか。この本の感覚。なんか好きです。
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第二子出産当日に産婦人科の病室で読了。
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かなり癖がある物語だということは本を開いた瞬間にわかる。
名詞を並べたタイトルは江國さんの他の作品にもあるが、それに似た構成で語り手がどんどん変わっていく。
物語の中心は幼稚園生の拓人とその家族である。
拓人は自分や周囲のひとを認識することが不得意で、虫やヤモリなどの生物を愛している。
その小さな生き物たちの言葉を聞き、交流することができる。また、ひとの心の声を聞くことができる子供だと描かれている。
拓人のパートはほとんどが平仮名で書かれていて、読むのに苦労するのだが、これが仕掛けのひとつであることが最後にわかる。
拓人の姉は対照的に知的で責任感が強く、風変わりな弟を愛し、彼のために尽くす。
母親の奈緒は拓人の個性に気後れしながらも子供たちを愛しているが、彼女の頭はほとんど夫のことで占められている。
一回り年上のテレビマンの夫は情熱的だが悪気もなく愛人を作り数週間家に帰ってこない。
だけれど家ではよき父であり夫で、奈緒は憎しみを持ちながらも夫のことを愛している。
家族4人の他に、きょうだいのピアノの先生やその母、きょうだいが遊びに行く霊園の管理人、隣の家の独居老女などが物語を紡いでいく。
いくつものエピソードは盛り込まれているが、全体のストーリーというものを起承転結で語ると、とても地味になってしまうのが江國香織の小説のような気がする。
更にこの物語は本筋が何かを捉えるのが難しかった。
しばらくは幼児と呼べるほど幼い少年の成長記かと思ったが、大人たちの恋愛模様が濃くなって、愛人の存在に苦しむ妻の話かと感じるようになる。
でも最後は、子供がほんの短い間だけ持つ魔法のような力の輝きを描いている気がした。
拓人とその家族に一体どんな結末が用意されているのか終盤まで予想がつかない。
ミステリだったら奈緒が夫か愛人を殺しかねないところだけれど、単純に物語は破滅へ向かわない。江國香織はずるい男とそれを赦す女を書くのがとてもうまい。
少年の世界に終わりが来たことを唐突に告げる。
拓人はきっと”ごく平凡な”少年になったであろうことがラストの数行で察せられる。
それが一番切ないかもしれない。
久しぶりに江國香織を読んで、この文体はどうやって生み出されるのだろうと本当に恍惚とした気持ちになる。
特に父親が久しぶりに帰ってきたときの家族の様子。
まるで舞台を見ているようにそれぞれの動きと思考が感じられる。
これほど文章に情報量の多い作家はほとんどいないな、と改めて思った。
物語の出来云々を超えて天才だと思う文章。 -
大人になった拓人も見てみたいような、でも拓人の世界が成人になっても有り続けて欲しかった。だから最後の大人になって姉にカエル食べたかを尋ねたところで終わるのは一気に現実に引き戻されて余韻に浸れなかった。拓人からたくさんのキレイな音が脳に溢れ出、鮮やかな色が散りばめられ大人たちの世界とは別の言葉のない自由な世界に招待され濃密な時間を拓人とイクミと一緒に過ごせた有意義な時間でした。ラストがショックだったけど。
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1人1人の人間模様を上手く描いている。人生ってそううまく行かないよなぁと感じる作品。一見日常のようで、その中のスリルや落とし穴を描いていると思った。明るい気持ちにはなれないが、なぜか落ち着いて読める。人物設定が絶妙に私とは違うので、誰かに感情移入しない。それでも、読みやすいのはやはり作者の文章力のなせる技かな。
でも、最後がスッキリしないので、中々人にすすめる本にはならないかも。
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不思議な話やった。
拓人の語りが平仮名から漢字を含む表現にする事で成長を描くのがすごいなぁと思ったけど。
全部の話がぶつぶつ途切れて私にはあんまりわからなかった。
ほんっまに不思議な話やった。 -
久しぶりに大好きな江國香織さんの本を読み、その世界観に浸れた。
たくとのパートがラストの当たり漢字が混じりたくとの成長とともに時が動いていくのを感じた。
変わらない日常と、刻まれる時によって変わる何かが混ざりあっていて、心がキューっとした。
内容は違えど誰もが経験したこと。
たくとの成長が寂しくて、でも嬉しくて、母になってから読めてよかったなという1冊。
浮気すら美しく感じてしまう江國さんの本が大好き。 -
拓人の文章が平仮名で読みづらく、長かった。しかし最後の方に漢字も混ざった時に、もうあの能力は失われてしまったのだと感じた。最後葉っぱとは話せたが、児島さんとは話せなかったのはなぜだろう。子供の成長でしょうか。
江國さんの話には浮気男がよく出てくる。身近にいたのだろうか。魅力的ではあるが、とても残酷だった。 -
ヤモリもイモリも分からない。トカゲは分かる
カエルは、カエル
シジミチョウもモンシロチョウもアゲハチョウも分からない
でも、たくちゃんと一緒にいたら少し分かった気がして
庭に来たチョウチョが何か言いかしないか凝視した。
でも、ひらひら飛ぶだけ
でも、たくちゃんのおかげで少し分かった気がした。
でも、たくちゃんも徐々に言葉が分からなくなっていく
庭にじっとしゃがみ込むたくちゃん
そして、賢いかしこいいくみちゃん
素晴らしいことばの世界がひろがる!
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虫や少しの人と心の声で会話ができる5歳の拓人と
その母の奈緒がメインに話が進む。
拓人が語り手のときはすべてひらがなで
書かれているけれど、その内容は子どもが
書いたもの、ということではないので
拓人から見た周囲の雰囲気を出すために
ひらがなにしたんだろうか?
奈緒の夫は外に彼女がいて(浮気ではない)
あまり家には帰ってこない。
そのあたりはいつもの江國さんが書く
ストーリーと変わりはない。
子どもたちの世界がとても面白かった。
江國さんは子どもを書くのがとても上手いと思う。
その反面、大人は江國さんの型にはまった
登場人物ばかりになってしまっている気がする。 -
静かな物語だ。これといった結末はない。作者に突き放された感じだ。平仮名と片仮名のみの章は漢字と仮名の絶妙な使い方の”江國らしさ”が感じられない。もちろんこれは読みにくい。例によって不倫が出てくる。詩のような小説とでもいうものかもしれない。
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やもりんという響きがかわいい。
拓人は友達ができて、社会化した途端、今まで普通にできていたことができなくなるんだな。
大人からみると安心する変化だと思いますが、拓人と同じ目線でストーリーを追ってみた身としては残念さも感じました。
人を傷つけることに無責任な人たちが出てきます。
世間の常識から外れてても、でも軽やかに生きてる。 -
たくさんたくさん思いが溢れました。あるページでは子どもの頃の自分の視線になったようなあたたかい児童文学を読んでいるのに、ページをめくって視点が変わると紛れもない恋愛小説で。オカルトのように感じる怖い部分も、相変わらずきれいな言葉で埋め尽くしてあって、<読まない>という選択をさせてもらえない。でも読み進めると、不思議とそれほど怖くなくなってくるの。
だってどの子も、どの人もかつての私であり、これからの私であるように感じるから。最高の江國香織ワールドでした。 -
図書館で。
一度何かの本を読んで自分には合わないなぁと思ったのに又なんで手に取ったのか… やっぱり合わなかった。
ひらがなだけの文章がめちゃめちゃ読みにくかったのと、これから何か起こるのかなぁ、この人が登場した意味はなんだろう?とか色々考えていたのに結局、アレ?これで終わりなんだ…という感じで終わってしまった。毎日の繰り返しのように見える日常でもそうでは無くて、人には退屈な人と思われても当事者にしてみたら違うんだとか、不可解な事も、解決しない問題も時間は飲み込み、人生は続いていくのだ…!なんてのは小説で読まなくても(自分は)現実世界だけで十分だな…なんて思ってしまったからかもしれませんが。なんかすっきりしない。これだけ厚い本なので何かが起きると期待して読んでしまったからか。ウウムゥ。
後オクサンが結構メンドクサイ。だからどうしたいの?という問いに答えが出ないのはわかるけど。でも愛人にあたるよりは自分の夫にあたれよ、とは思う。ウン。 -
読みづらかったけど、好きでした。特に拓人と育美の話が。
そこに居る、ことを伝えている。空が晴れてて地面は湿っていて虫たちが鳴いている。全てが充足している。
幼い頃のただ状況を享受して満足していた頃を思い出した。
長くて時間がかかったけど、毎回江國さんの作品がそうであるように、読んでいる時間が楽しい時間だったので長く浸れて良かった。 -
ひらがなが辛い。最後まで読めるかな?
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図書館で借りたものの、分厚くてなかなか読み始められなかったもの。きれいな表紙はきくちちきさんのイラストでした。
最近家族ものが多い江國香織さん。これは、虫とお話ができてちょっと発育が遅い幼稚園児の拓人が主人公です。タイトルは拓人が仲良しの虫たち。
でも、拓人の姉でしっかり者の育実視点になったり、拓人の母の奈緒視点になったり、滅多に家に帰らず愛人を優先させるテレビマンの父・耕作視点になったり、愛人の真雪視点になったり、隣人のテレビに大声で話しかける老婆視点になったり、拓人と育実のピアノの先生・千波やその母親の志乃視点になったり、霊園の孤独な男性・児島視点になったり。いろんな登場人物の生活や心情が交錯します。
子供の小さくて人間以外のものに近いシンプルな世界と、大人の俗的な世界とが対照的に描かれているようでした。
何が言いたいのかよくわからないんだけど、「ただ、いる」ということに重きを置いた作品だったのかな? 奈緒と耕作が夫婦喧嘩をしていても、拓人にとってはどうでもよくて、「ただ、いる」ということが大事と書かれていたので。そして、現在の形はどうであれ、「心でつながっている」というありふれた言葉だけど、その強さなのかなぁ。
まあ、答えはない作品かなぁと思うので、あんまり深く考えずにその様子を追いました。
最後は、大きくなっても拓人と育実は仲良しなのねと安心しました。 -
長い長い序章のような。
最後の一ページを読んでしまうと、彼ら二人がおとなになってからの物語を無論、知りたくなってしまう。
それにしても、子どもの頃の、世界からいつもはみ出しているような頼りなさや、そうであることのむしろ心躍るような感じや、自分ひとり分の体で立っていた孤独を、どうしてこの人はこんなにもリアルに軽やかに言葉にしてしまうんだろう。
肌で、自身の記憶で、分かる、という感じ。
あまりにもたやすく、あの頃に引き戻されてしまった。 -
江國香織さんの小説には、交互に複数の登場人物の視点から同じストーリーが進んでいく構成のものが多いが、同じ場所に生きていても、人によってこんなにも違う世界に感じるんだという驚きと発見があった。
特に拓斗の目を通せば「人」だけではなくて、植物や動物も同じ世界を「感じ」ながら生きているということが伝わってきた。
同じ子供でも姉の育実にはまた別の世界があり、父や母にもまたそれぞれの現実的な世界がある。誰も間違っていないし、誰にも正当な言い分もあるのだが、不倫やら誤解やら摩擦が起こってしまう。そしてそれが世界のすべてだと思ってしまう。
この小説を読むと、それぞれが抱える世界が違うからこそ起こる悲劇をいちいち取り上げるのではなくて、もっと大きな目線で、「まあそういうことはあるよ、それが当たり前だよ、だって皆違うんだもの」と言われているような気がした。 -
小動物と話が出来る
弟の話し
お母さんは不安定気味で
父親は不在がち
兄弟愛に溢れていた -
淡い水彩画に、タイトルにもなっている動物たちが箔押しされている印象的な表紙。虫と会話のできる幼稚園児の拓人、姉の育美、とその両親の物語。拓人の場面は平仮名とカタカナのみで書かれ、自分もあたかも幼稚園児に戻ったように感じてしまう、そんな世界観の本です。
(電気電子系エネルギーコース M1)