不思議なタイトルだなあ、と思いながら、読み始めました。
猿蟹合戦といえば、日本の昔話。でも、どんな内容だったっけ?あんまり思い出せないなあ、、、猿と蟹が合戦するんよね、とりあえず。なんで合戦せな、あかんかったんかなあ?わからんなあ。まあいいや。で、それの舞台が、平成の時代。ということは、現代ものだよなあ、、、?どんな話やろ?
ってな感じで読み進め、読み進め、終わってみれば、ああ、なるほど。読み終えてから、ネットで「さるかに合戦」の本家の昔話の内容も調べて、なおさら納得、みたいな。そんな読書体験でしたね。
とりあえず、読んでいる最中は、ずっとずっと、
なんだか、吉田修一さんの作品にしては、ホノボノしてるなあ。歌舞伎町が舞台なのに。怖そうなキャラもちょいちょい登場するのに。なんか、ホワッとしてるなあ。いやでも、あの「悪人」の「ランドマーク」の「パレード」の、吉田修一やで。絶対どっかで、とんでもねえヘヴィーなヤバい展開になるんちゃうん?怖い、怖いなあ、、、ドキドキするなあ、、、でもなあ、全然なんかこう、平和よね?なんだろうねえ?これは。この感じは。
とか思いながら、いきなりとんでもねえ悲劇が待ち受けてるんちゃうん?と、ドキドキしながら読み進めたのですが、結局最後まで、なんだか、ホワッと幸せな感じで、終わりましたね。ある意味、拍子抜けしちゃった、と言ったら失礼で申し訳ないのですが、、、
とりあえず、この話は、吉田修一さんにとっては、昔話を題材にした、現代のおとぎ話なのだろうなあ、吉田さんの、「世の中がこうあることは、現実には大変に難しいだろうが、それでも、こうあってほしい」という祈り、願いのようなものを込めた物語なのだろうなあ、というね、気がしました。だって、あの「悪人」の、吉田修一ですよ。現実の本当のホンマの抜き差しならぬ、剥き出しの現実の、あの圧倒的な「ああ、、、あかん、、、どうにもならん、、、」感を、完璧なまでに表現した(と自分には感じられた)吉田修一ですよ。その吉田さんが、これほどまでに、ホワッとした(ように自分には感じられた)、ある意味ご都合主義の小説を書くなんて。これは、もう、あれだ。「願い」でしかない。そうだ、そうに違いない。そんな事を、思った次第なのですよね。
だってもう、勧善懲悪だし。主人公側の人、って変な表現だけど、そんな彼らは、基本的にみんな良い人だし。ああ、おとぎ話だなあ。「こうあって欲しい」の話だなあ、そんな事をね、思ったのですよね。
正直、自分には、物足りませんでした。ありていに言いますと。うん、物足りなかったです。
でも、それはそれで、それは自分の勝手な感想であり、吉田さんは、なんらかの祈りを込めて、この、現代のおとぎ話ともいうべき、この作品を創造した。それはなんだか、ちょっと、素敵だなあ、とね、思うんですよね。
あ、あれだ。登場人物が、自分の内面の思い、独白を、語る文章がありますよね。地の文ではなくて、会話文でもなくて、登場人物の一人語りの文章。その文章だけを、基本的にはみんな方言なのですが、地の文とは、文字・文体を変えて、「」(かぎかっこ)も付けずに、いきなり、文章の中に放り込む、という手法は、この小説で初めて見ました読みました。自分は。すっごい好きですね。小説で、こういう表現方法があるんだなあ~とね、グッときたんですよね。吉田さん、他の作品でも、この表現手法を使っているのですかね?気になります。すごいこう、独特だなあ、と。ある意味、発明だなあ、と。好きですね、こういうの。