こゝろ (角川文庫 な 1-10)

著者 :
  • KADOKAWA
3.94
  • (800)
  • (647)
  • (797)
  • (55)
  • (11)
本棚登録 : 8510
感想 : 658
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (336ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784041001202

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 10年以上も前に一度読みかけて挫折してから、ふとしたきっかけで手に取って再読。今度は一気に読みきった。
    その違いは、自分が10年の間に年齢を重ね、いろいろな人と出会い、関わり、苦い複雑な思いを経験してきたからだろう。



    この物語は、エゴイズムと倫理観の葛藤の物語であり、明治という旧い日本的価値観と西洋から入った新しい個人主義の葛藤の物語であると解釈されることが多い。

    その辺の文学的な解釈は専門家に任せるとして、この話には、
    <ある日偶然出会ったその人を「先生」と呼び、慕う「私」。その先生は、過去に好きになった女性(現在の妻)を得るため、同じ人を好きになった親友のKを裏切り、死に追いやってしまった罪悪感に苦しみ、明治の終わりに自ら死を選ぶ>
    というあらすじから抱く印象以上の、繊細で複雑な心の機微が含まれている。
    人によってどこがこころを揺さぶるかは、きっと違うのだろう。



    私は、「先生」のこころに、とても共鳴した。してしまった。

    先生が抱くある意味とてもエゴイスティックな孤独感と愛への渇望、それゆえ赤の他人である「私」に「遺書」という形でしか自分の心のうちをさらけ出せなかった哀しさ。(当然、妻に知らされることも想定してのことだろう。本当に墓場に持っていく気なら、遺書など書く必要がないのだから。)それでもエゴイスティックになりきれない、中途半端な潔癖さ、その狭間での葛藤。先生が感じた、人間の罪、自分を含めた人間への絶望と希望。

    私がもし先生と同じ立場だったら、きっと同じ道を辿っただろう、そう思う。



    序盤で「私」が先生を評した次の言葉が、こころに響き、先を読ませた。

    人間を愛しうる人、愛せずにはいられない人、それでいて自分の懐にはいろうとするものを、手をひろげて抱き締めることのできない人、――これが先生であった。

    これはまさに、私の一面だったから。



    ※読書リハビリ中につき、書き溜めていたものを放出中

    レビューブログ:http://preciousdays20xx.blog19.fc2.com/blog-entry-520.html

  • 俺には早すぎた

  • 読みやすい。中盤からの先生の手紙に引き込まれて、最後まで一気に読んでしまった。
    学生時代に読んだ気はするが、大人になって改めて読んで、名作文学であることを実感した。
    ただ、平坦でゆっくり進むような文章なので、あっと驚くようなミステリーが好きな自分にはちょっと肌に合わない気はした。
    『吾輩は猫である』を読んだ時にも感じたことだが、夏目漱石の文章ってなんだか全体的にゆったりしているように感じる。

  • 話としてはシンプル。なのに描写の仕方、特に人間の複雑な心情の書き方が秀逸なので全く飽きずに読むことができる。すごすぎる。

    「つまり私はきわめて高尚な愛の理論家だったのです。同時にもっとも迂遠な愛の実際家だったのです。」
    ここの対比の表現がとても好き。人間はみんな高尚な理論家で、迂遠な実際家。

    夏目漱石のような、純文学ももっと読んでみようと思う。

  • 夏目漱石「こゝろ」読み返してみた。
    思った以上にドロドロだったわ。
    そしてやはり名作。
    高校生の頃に読んだ時とは、また違った感じ方ができて新鮮だった。
    先生、生きるのきつかっただろうな。
    でも一番の被害者?は、やはりお嬢さんかと。
    男性主体のお話だわね。

  • 恋と人間のさみしさについての話だと解釈。
    時代背景が左右はするものの、恋やプライド、孤独はいつの時代においても誰にとっても厄介なものなのだと思った。
    感受性の豊かな人におすすめしたい。
    ひとは常にさみしさをどこかに抱えている生き物だと思う。

  • 『先生と私』では自分を含む人間すべてを信用できない「先生」の姿が私の目を通して描かれている。ここではあとの伏線になるような描写が様々書かれている、雑司ヶ谷にある友人の墓もその一つで、自分を罰するように毎月一人で通い続ける先生の姿にどこか宗教のようなある種の恐ろしさを感じた。
    『両親と私』では父の病気で弱っていく姿と明治天皇の崩御、そして乃木将軍の殉死といった、「私の育った環境、社会」が壊れる様子を描いているように思った。そして自らは学校を卒業して社会人になるため職を探そうというようにあらゆる面で一区切りがつく環境にあったのだと感じる。先生からの『この手紙があなたの手に落ちるころには、私はもうこの世にはいないでしょう。とくに死んでいるでしょう。』という言葉が書かれている遺書に、明治と大正の境が時間的にも地理的にも遠く離れていることが表れているように感じた。
    『先生と遺書』では先生の遺書を通して、先生が過去にKを殺してしまった罪が書かれている。印象的な「精神的に向上心のないものはばかだ」という言葉は、道のためには全てを犠牲にするというKの意思が強く表れた言葉だ。恋に道を迷うKに対して先生は彼を自らの道に戻すべく「覚悟」という言葉を使うが、これがKに道をやめ、恋をやめる「覚悟」としての自殺を考えさせたのではないかと思う。
    Kの自殺の理由がお嬢さんへの恋であることを先生がお嬢さんに話さないのは、彼女の生涯の純白な記憶に一雫の黒いインクも容赦なく振りかけるのは苦痛だったからと書いているが、この純なものを純のまま取っておきたいという感覚はどの時代においても共通なものだと感じ、人間を信用できない先生が唯一大切にしていたものだと感じた。先生はとても人間らしいと思う。

  • 進むべき道に障害となるものは全て切り捨てるべきだという考え方で生きてきた「K」が、お嬢さんに会ったことで恋を知り苦悩する様はロボットに血が通っていくようで応援したくなった。しかし「私」に追及されたことがきっかけで自らの信念に反している現状に気づき、そんな己を恥じて命を絶つ覚悟をしてしまったことが残念でならない。彼には幸せな来世が待っていると信じたい。

  • お嬢さんのことを考えたら罪を背負っても生きていかなくちゃ。

  • 昔の小説だと思えないほど読みやすかった。人間というものについて緻密に考察されていくのは秀逸だったし、考えさせられる部分も納得する部分も感銘を受ける部分も多く、とても面白かった。
    中で遺書を受け取り「私」は汽車に乗って終わり、下は全体が「先生」の遺書だけど、汽車に乗った後「私」はどうなったんだろう。
    人間って悲しく儚いものだということが全体からの印象。読んで良かった。名言が多過ぎる。書き写したいけど写せる量じゃないくらい(笑)所々で「私の心臓」を「ハート」と片仮名読みするあたりも素敵。

全658件中 21 - 30件を表示

著者プロフィール

1867(慶応3)年、江戸牛込馬場下(現在の新宿区喜久井町)にて誕生。帝国大学英文科卒。松山中学、五高等で英語を教え、英国に留学。帰国後、一高、東大で教鞭をとる。1905(明治38)年、『吾輩は猫である』を発表。翌年、『坊っちゃん』『草枕』など次々と話題作を発表。1907年、新聞社に入社して創作に専念。『三四郎』『それから』『行人』『こころ』等、日本文学史に輝く数々の傑作を著した。最後の大作『明暗』執筆中に胃潰瘍が悪化し永眠。享年50。

「2021年 『夏目漱石大活字本シリーズ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

夏目漱石の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×