書を捨てよ、町へ出よう (角川文庫)

著者 :
  • KADOKAWA
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  • Amazon.co.jp ・本 (336ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784041315224

作品紹介・あらすじ

あなたの人生は退屈ですか。どこか遠くに行きたいと思いますか。あなたに必要なのは見栄えの良い仕事でも、自慢できる彼や彼女でも、お洒落な服でもない。必要なものは想像力だ。一点豪華主義的なイマジネーションこそが現実を覆す。書を捨てよ、町へ出よう-。とびきり大きな嘘を抱えながら。家出の方法、サッカー、ハイティーン詩集、競馬、ヤクザになる方法、自殺学入門etc…。八歳にして詩を書き、時代と共に駆け抜けた天才アジテーター・寺山修司による、100%クールな挑発の書。

感想・レビュー・書評

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  • 『書を捨てよ、町へ出よう』。
    元来ひきこもりがちで出不精、本棚の前で背表紙を眺めているだけでも有意義な一日を過ごせる自信がある私にとっては、出会った瞬間から衝撃的な言葉だった。
    それからは事あるごとに、おまじないか合言葉のように「書を捨てよ、町へ出よう」と心の中で唱えてきたけれど、実際に読むのはこれが初めて。
    三島由紀夫の『不道徳教育講座』のような内容かと思っていたら、寺山修司のふざけたエッセイのようなもので、椅子から転げ落ちそうになった。
    彼は21歳のときはじめての本を出版し、創作活動に勤しんでいたものの、病気になって三年間の入院生活を送っていたのだそう。
    病床での友人との手紙のやり取りや、戦争への捉え方の変革を経て、彼はついにブッキッシュな生活から遠ざかろうと決心した。そして快方するやいなや、町へ飛び出し、生活を一変させたのである。
    青年よ大尻を抱け、新宿のロレンス、競馬のメフィスト、馬の性生活白書……。
    なんなのそれ、めっちゃ面白い。馬鹿馬鹿しくて、くだらなくて、出先で顔を顰めたり笑いを堪えたりしながら読んだ。しみじみと、読んで良かった。

    寺山修司は、自分は「青春煽動業をやってきた」と言っていたそうだが、言い得て妙。ここにあるのは、煽られるような青春!
    私には青春といえるようなものは無かったし、書を捨てるなんて到底出来るとも思えない。
    町へ出るのは相変わらず億劫だけれど、でも町へ出ると、いつもそれなりにちゃんと楽しい。
    わかってる。ふと夢から醒めたように、このまま家の中でじめじめと文字を追い続けるだけで死んでいくの?と思ったりもするんだよ。
    三十路にもなって、羨望とも観念ともつかないような気持ちでそれを実感している。
    だから私は、これから先の人生でも飽くことなく何度も「書を捨てよ、町へ出よう」と唱え続けるのだと思う。いじましく、書をカバンにしのばせながら。外は春の匂いがして、咲き始めた桜はとてもきれい。

  • 聴き終わりました。

    70年代初めの、猥雑な感じ。
    若さは正義だな、もう戻れないけど。

  • 出版社の夏の100選とかにいつもエントリーされていて、気になっていた一冊。
    タイトルも捻りが聞いていて、どんな内容なんだろうとワクワクして読んだけど、、、。
    色々と期待と大幅に違った(汗)
    なぜ母と寝てはいけないかを考えてみたり、母にお金を要求する手紙と、馴染みの女へのラブレターの中身を間違えて送って怒られたとか、母の立場からすると腹しか立たないんですけど(笑)
    大学生くらいに読んでもらって、評価するかどうか討論してみて欲しい。

    巻末に現代だと違反にあたったり、差別的な用語があるが、時代背景を正確に表現するために敢えて残してあると注釈が付いてた。
    小学生とかも手に取るおすすめ100選に選ぶなら、これ巻末じゃなくて巻頭に載せた方がいいと思うよ角川さん。


    ○えー…と感じた所
    話の内容の7割が競馬かパチンコか、風俗の話。しかも45年前の話で単語の意味がわからなかった。トルコ風呂とかうっかりググってしまった。あと、わかっちゃいたけど、女性蔑視の気がある。蔑視というか下の生き物と思っているというか…。生きてたら80~90歳代の人かな?
    もちろん全員こうじゃないってわかってるけど、この考え方が当たり前の時代がおじいちゃん世代なんだから、親世帯との同居もすんなり上手く行くわけないよね。
    あと、海外のを含め、詩や他の(おそらく哲学書)著書の引用が多く、馴染みがない分とっつきにくかった。
    ※引用だときちんと書いていることは評価する

    ○ほぅ!と思ったところ
    ・月光仮面(これもググった(笑))やタイガーマスクは国際問題に介入できないという話
    これから正義の話をしようの著書の内容を思い出した。鬼滅の刃も鬼側の視点も面白いと評価されている。
    特に国際問題は双方の正義がぶつかるので、絶対的な悪が見つけにくい。だから正義のヒーローは国際紛争には絶対登場できないという記述があって、ちょっと納得した。
    ただ、最近のヒーローは地球を守ってるから、宇宙人と交流が発生するまで、まだまだ戦えそうだなとも思った。(笑)

  • 初めて手にした寺山さんの著書。
    一読二読してみて、本書のタイトルの意味を理解できたかどうかが、この本(ひいては寺山さん)が自分に向いているかどうか、分かれるでしょう。

    途中途中に詩や歌謡曲の歌詞を織り交ぜてくれる事で、つい感傷に浸ってしまいました。心に残る、ついメモを取りたくなる言葉が多いです。
    売ったり手放したりせずに一冊、いつでも読めるところに置いておきたい本。人生の指南書の一つですね。

    この本の中で一番好きな章は自殺学入門ですね
    自殺とは死への純粋な憧れからの行動であり、何か生きてる上で足りないものがちょっとでもあればそれは他殺や病死になってしまうので自殺ではなくなる・・・とは、とても納得。今まで言いたいけど語彙力とイマジンが足りなくて手が届かなかった所に、やっと届いたという感じ。
    この自殺論を理解したところで、「女がよく口にする”死にたい”はバカンスに行きたいと同義」という言葉を見たときの納得感にも説明がつきました。
    大半が生の様々な苦しみから逃避したいというだけのものであり、実際に自殺したいという意味ではなく、ただ逃避したいという意味しか持たない、という風に。
    何かからの逃げは他殺や病死と等しいのですね。”自殺”とは尊くあるべきものなのだと、そういう死生観がとても私のそれと重なり、快感のような物を覚えました。

    丁度読む直前にTwitterで「スイスで70万円で安楽死させてくれる」という話を知り、安楽死が金で買える時代になったとは、人類は進歩したものだなあ…と思ったところで、検索から飛んできた人から「70万円は高すぎる」と絡まれ、私は「リーズナブルな安楽死というのはあまりにチープすぎる考え方ではないだろうか、死に価値を見出す人間ならば、ある意味金銭というそれなりの努力がひとつのハードルであっても良いことなののでは」と返したのですが、私の考え方は死の尊厳を重んじた正しい”自殺”の手段としてのものであり、向こうは社会的弱者に対する国家的サポート…という考え方をしていたので、話が噛み合いませんでしたね。
    まあそれはそれとして、現段階では実際我が国においての倫理感の展望が初めの一歩すら踏めていない状況なので、数段も先の話なのではなかろうか…ということで話をまとめてしまいましたが…
    長くなりましたが、そんなやり取りの直後に自殺学入門の頁を読んだので、より感動を呼びましたね。


    さて、心に残ったさまざまなお話や言葉をメモがてらコメントがてら、続けていきます。
    ●「その時代の少年犯罪こそが、その時代の国家犯罪の反映だと思われる」
     ーーー学校教育への造反、あらゆる既成概念への造反がやがて国家という概念への疑いにたどりつく……とのこと。
    酒鬼薔薇事件や、LINEリンチ事件など、ちょっと考えさせられました。

    ●「印刷機械は実は詩人に猿ぐつわをはめるためのものだったのである。」
     ーーー目から鱗です。もっと詩人はもっと様々な表現手段のある「肉声」で、受け取り手との「対話」があるべきなのだということです。
    詩人だけでなく、インターネット、携帯端末が発達して何をするにも肉声である必要が無くなって来ている現代においては、我々にも当てはまる事でしょう。

    ●「親は本来的には、子を所有しようとするエゴイズムと幸福観とを重複させ、正当化する理念しか持っていない場合が多い。親の思想というのは、いわば「子守唄の思想」であって、醒めようとする子供を、家庭の和という眠りにおとしこもうとする考えに貫かれている場合が多いのである。家庭だけを核として考えると、「親と話しあう時間」の量が問題になるかも知れないが、彼らは「仲間と話しあう時間」を十分に持っていた。むしろ重要なのはそのことではなかったろうか。なぜなら、従来の模範少年たちは親とばかり話しあっていて、仲間と話しあう時間が少なすぎたために「親の作りたいような型」にスッポリはまった成長のしかたしかできなかった……と考えられていたからである。」
     ―ーーここまで(本書の終盤でした)読んで、現状の自分を反省し、やっと本書のタイトルの意味がわかってきたところでした。

    寺山さんは一点豪華主義の視点からロックの考え方(退屈や模範や教育から抜け出す反骨精神)を持つ人であると私は理解しています。
    現状への満足、平均化、停滞、「あした何が起こるかわかっている、何のために生きているかわからなくなってしまう」状況に落ち込むこと、新鮮さを感じられない感受性しか持たないでいることはダメなのだ……ということを学びました。

    そして、カレー人間とラーメン人間の例え話から始まる、自宅カレー人間は家庭の味だから現状維持型の保守派、ラーメン人間は街の味だから欲求不満型の革新派が多く、カレーは家庭の幸福のシンボルでホワイトカラーの典型であり、ラーメン人間は何時も少し貧しく階級的な不満が付き纏う……しかし、ハングリー精神を持ち合わせているという話。
    この、2つの価値観と幸福論を照らし合わせて総括するとつまりは、「現状に満足する人間に想像力の創造などはできない」。
    本書終盤の「子守唄の思想」もそうでした。そこまで「ウウム・・・」と色々と考えさせられながら読んでみて、現状の自分と照らし合わせて実感として理解したとき、カレー人間とラーメン人間の話の終わりに唐突に降ってきた言葉「幸福とは幸福をさがすことである(ジュール・ルナアル)」の言葉に帰ってくるのか、と、感動しました。

    ●「歌謡曲人間は、つよい人間である。すぐ消えてなくなる歌の文句を拠りどころにして、にっこり笑って七人の敵に立ち向かっているような男でなければ、時代の変革への参与など、とてもできるものではない。だからこそ、わたしは日本人一億総「歌謡曲人間化」をすすめたいと思うのである。」
     ーーー本書の一番最後の言葉です。そう言うだけありやはりこの本でも、歌謡曲の歌詞が随所で散りばめられています。
    中でも私は「人に好かれていい子になって 落ちて行くときゃ一人じゃないか(畠山みどり 出世街道)」、「どうせあたしをだますなら 死ぬまでだましてほしかった(西田佐知子)」・・・が好きです。
    現代であれば、口ずさむだけでなく、ブログやツイッターに歌詞を呟く事も「歌謡曲人間」に含まれるのでしょう。
    瞬間瞬間に歌の文句を心の拠り所にしている人間は強い。この考え方には目から鱗でした。そういえば、心当たりがあるような気もしますし。私も歌詞に頼っているところがありますので…


    本書の裏表紙に「あなたの人生は退屈ですか。どこか遠くに行きたいと思いますか。あなたの人生に必要なものは想像力だ。一点豪華主義的なイマジネーションこそが現実を覆す。書を捨てよ、町へ出よう」
    というような事が書いてありますが、そのとおりだ・・・と、このレビューを書きながら思いました。笑
    つい、長くなってしまいましたが。そういう本です。

    さよならだけが人生ならば また来る春は何だろう。
    はるかなるかな地の果てに 咲いてる花は何だろう

  • 贅沢したいよう。お金はないけど。
    ーじゃあどこか一点だけお金をかけて、まぁ他は諦めて。

    こんな具合に、「現状を変えたいなら、多少の犠牲は覚悟しないと」と訴えかけてきます。

    結構過激なこと言ってます。
    自殺もありじゃない~?なんて話も出てきたり。

    でもこの著者、すごく優しいんです。
    キツイこと言ってても、それは「まぁ頑張れや」と励ますため。
    自殺肯定論も、結局は「生きてほしい」と訴えているような気がしてなりませんでした。

    読んだら愛あるシッペがもらえるかも。

  • 思ってたより吹っ飛んだ思考の並ぶ文章だった。以前読んだものとしては不道徳教育講座に近い。むしろ序盤の倫理観と下ネタ量は確実にこちらのほうが危ういものが多い。タイトルが有名で、先行して「読書ばっかりしている人が何処に町という場所に目線がいったのか?」という意識を持っていたため、最初の数ページでの衝撃がでかかった。
    完全な時事ネタであるにはあるんだけれども、思考の回転は早いことが読み取れるし文章はなめらかに感じる。受けいれやすさは人を選ぶ内容は多いものの、若者への支持はあったんだろう。

    そしてもう少し読み進めていく内に当時を生きている人たちの悲哀に似た著者の文章が目に付く様になってきた。この視線でどういう風にこの人たちを捉えていたのか少しわからない。ただ文にしているというよりも、他人との巡り合わせから思考実験の一種の様にも見えた。競馬の話はわからないが…

  • 書を捨てる、という宣言にも、書が必要とされている。

    そのような一種の矛盾は、とうに凌駕され
    私の中の衝動は、遠く何処かの「町」を目指すようになる。

    町は、私を放っておかない。
    町が、私と交わる。
    町で、私は、新たな「私」を孕む。

    読むほどに実験されてくような感覚が愉快。
    むらむらと、湧きあがる情動。行動。
    そしてそれら総てが、この手の「書」に端を発していることに気づいた時
    袋小路の感覚が、またとにかく愉快。

    しばらく、同じ感銘は受けていないと思う。
    なぜかいつも、走りだしたいような読後感がある。
    それが、「書」を捨てる始まりなのか
    それとも「書」を捨てられない快感の証明なのか

    幾度でも、目を通す毎に、新しい「欲」を感じてしまう作家。
    彼の死ほど、惜しいものも滅多にないと思う。

    • Kawanoyさん
      これちなみに 6年ぐらい前のレビュー。
      若い。
      これちなみに 6年ぐらい前のレビュー。
      若い。
      2011/06/07
  • 分かりやすくはあるが、三島の「不道徳教育講座」を彷彿させる、ブレイボーイの件などには少し興ざめ。映画版は実験映像を駆使しているが、成熟期から比べると、恥ずかしさを憶える荒削りさを、発想の評価で見守っていただきたい。

  • 原作のエッセイを読んで、いまいち分かりにくかったのだが、年配の友人に寺山修司ってどういう人?って尋ねたら、映画の方が面白いよと言われて読後に鑑賞もしてみた。

    確かに面白かった。原作で読んだ言葉たちが繋がった。「書を捨てよ町へ出よう」とは「町そのものを書物のように読むべし」ことだそうだ。町とはそこに生きている人間、光の当たらない人々の言葉なんだろうなと思った。主人公とその家族、人力飛行機で祖国へ帰ろうとする在日朝鮮人、ゲイの文通欄の言葉、娼婦、尋ね人の言葉、犯される少女の叫び、姥捨山に送られる老婆、街中の落書き、看板、街頭インタビュー、悪態をつく若者、気持ちの吐き出せないさまざまなマイノリティの言葉が出てくる。それが町の言葉なんだろうなと。

    今の時代でも彼らの言葉は街中に、そしてネットの中に溢れている。でも、ないものにされてしまっている。そして眉をひそめて批判する人々があまりにも多いことに、何も変わってないんだろうと思ってしまう。

  • 【本の内容】
    あなたの人生は退屈ですか。

    どこか遠くに行きたいと思いますか。

    あなたに必要なのは見栄えの良い仕事でも、自慢できる彼や彼女でも、お洒落な服でもない。

    必要なものは想像力だ。

    一点豪華主義的なイマジネーションこそが現実を覆す。

    書を捨てよ、町へ出よう―。

    とびきり大きな嘘を抱えながら。

    家出の方法、サッカー、ハイティーン詩集、競馬、ヤクザになる方法、自殺学入門etc…。

    八歳にして詩を書き、時代と共に駆け抜けた天才アジテーター・寺山修司による、100%クールな挑発の書。

    [ 目次 ]
    第1章 書を捨てよ、町へ出よう
    第2章 きみもヤクザになれる
    第3章 ハイティーン詩集
    第4章 不良少年入門

    [ POP ]
    今、本を持っていてもてる時代では決してないでしょう。

    ましてや寺山修司のような観念的な読みものなど、30年前にタモリによって脱構築されていらい無用の長物となって久しいのでここではあえて内容は読まずに、タイトルを真に受けて、読書なんてやめてクラブにでも出かけてしまいましょう。

    図々しい人間ほどモテるということはこの本には書いてありません。

    [ おすすめ度 ]

    ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
    ☆☆☆☆☆☆☆ 文章
    ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
    ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
    共感度(空振り三振・一部・参った!)
    読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)

    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

  • 一点破壊主義、自殺学入門。これは詩的エッセイでありながらにして実用書である。

  • 著者である寺山修司の人生観を纏めた本。
    一見いい加減な内容に感じつつも、所々から著者の見識の広さや人生経験の豊かさを伺えた。
    特に印象的だったのは、「一転豪華主義」という考え方。つまり、老後までの生活設計が予想出来る中、何か1つだけ思いっきり投資し、自らの将来に挑戦しろというもの。そのようにダメ元で挑む姿勢を、何歳になっても持ち続ける事は大変だろうと感じたが、八方塞がりな状況下なればこそやる意義があるのでは。
    「幸福とは幸福を探すこと」と綴ってある通り、少なくとも退屈はしない生き方になると予想。

  • wikipediaによると、本書の著者は歌人、演出家、小説家・・・・等、様々な肩書きを持ち、本業を問われると「僕の職業は寺山修司です」と返すのが常で、ついた異名が「言葉の錬金術師」と言う人物。

    本書は、この「言葉の錬金術師」が野球、競馬、自殺、家出、消費行動など様々なテーマで書き連ねたエッセイ集です。

    読んでいくと、例えば著者の以下の様な言葉

    ・道徳などというものは、所詮は権力者が秩序と保身のために作り出すものにすぎないということは、今では知らないものなどいないのだから。
    ・与えられた「正義」のためにばかり働いてきて、それを見きわめる「正義観」など、もつことができなかったのである。

    が載っており、これらが書かれたのが1960年代と言う事や今もこの様に考える人もいると言う事を併せて考えると、インターネットは当たり前、携帯電話も当たり前と言う時代になっても、結局、社会や人間の本質は何も変わらないのではないかと考えてしまいます。

    つまり、

    若い世代が、自分たちより年上の世代を否定し、年上の世代も若い世代を否定する。
    しかし、年上の世代も若かりし時には、今、若い世代が自分たちを否定する際に用いるロジックと同じロジックをもって、自分たちよりも年上の世代を否定してきた。
    そして、今の若い世代も、年を取れば、今の年上の世代を同じ立場になる。

    と言う事を実感させてくれる内容です。

    ソープランドの事をトルコ風呂と書いてある等、時代を感じさせてくれる文章なのに、(少なくとも本質的な意味合いでは)古い感じが全くしないエッセイ集と言った所でしょうか。

    鋭く激しい言葉を読みたい時におすすめです。

  • ピカレスク、という言葉を思い出す。

  • 寺山修司って随分と前にこの世を去っていたんですね。本屋でよく彼のコーナーがあるから今も存命なのかと思ってた。マジ無知。
    いつも思うことだけれど、彼にしても村上龍にしても、吉本隆明や柄谷行人、リリー・フランキーなどの揺るがない主張を言い切ることができる人たちは(根拠のない事柄を執念深く肯定したりもする)、どこかで自分という人間を演じているのかなと感じてしまう。
    彼らが常人の持つインスピレーションや言語選択能力を遥かに上回る才能を持ち合わせていることは認めざるを得ないし、事実その通りだろう。
    ただ、社会問題に切り込む際、分かりにくい比喩で説明を試みることをどこかで彼ら自身が「洒落ている」だとか自らのインテリジェンスの賜物であるとの認識が少しはある気がする。そうでなければ、読者の半分以上が理解出来ないであろう文章を自信満々に世に送り出すことは出来ないと思うし、それこそ彼らが真に自身の個性的でアンビバレントな感性に自信を持っているのならば、本気で感覚のみを拠り所にした文章に頼るべきだと私は思う。

    彼らの文章を理解出来なかった読者の中には、視野の狭さや知識不足を憂う人たちもいるだろう。私は断固として言いたい。特に本書の著者、寺山修司の文章はそういう風に読むべきではないと。かつてこれ程までに感覚に頼って文章、言葉を追ったことは無かったように思う。彼が創り上げた文章に対しては人それぞれ受け取り方が異なるはず。その観点から、本書は良書である。明らかに良書。

    けれども読む価値の問題になると閉口してしまう。読みたければ読めばいいし、少し読んで部屋の片隅にほっぽっておいても良いかと。
    私が言いたいのはこうだ。
    寺山修司の本を読んで自分の生き方の糧にしたり、真似をしたりするのは無茶苦茶ダサいけれど、ある文章を読んだ後で全速力で雄叫びあげながら走り出したり、自分の存在を愛してあげるのはありだと思う。

    ベストセラーの恋愛小説よりも、本書のような捻くれた本を読むことで、愛や生命力を感じるのは単に私の価値観が狂ってるからなのだろうか。甚だ疑問。

  • 帰省の暇潰し、寺山修司本三冊目。

    この人は思想が確立しているから、読む冊数を重ねるほどわからなかったことが見えてくる実感があって学習意欲が掻き立てられる。

    個人的には終章の自殺のライセンスの項の思想がすごく刺激的でした。

    何一つ不自由がないのに避けられない不条理な死こそが自殺であり、極めて贅沢なもの。

    どうせ死ぬなら自殺へ進もう。それこそが生きる力になるクリティカルモメントだ。…そういう解釈を書いている訳ではないんだけど、僕はそんな風に受けとりました。自殺をテーマにしているのに、読めば読むほど生きる力が湧いてくるこの人の文章には毎度脱帽する

  • うわー、この人ダメだぁ。
    ものすごい褒め言葉として。

    書いてあることに説得力があるし、
    ダメな方向にものすごく勇気づけられるけれど、
    実際に書いてある通りに生きようとすると破滅しますね。

    でも、わけのわからない勇気。
    たまに必要かもしれない。

  • なんせかタイトルが有名。
    エッセイだとは知らなかったけれど。
    寺山修司さんの言葉の選び方、文章のセンスはさすが、という感じで。
    やっぱり中には「おおっ」と思わしてくれる、シャープな物事の考え方、切り口が光るものも。

    でも後半がなんかダラダラというか、趣味個人世界入りすぎてあんまり面白く無いというか、全体的にクオリティがまちまち過ぎて
    一冊通して楽しむには、どうなんだろう。
    まぁ好みの問題か。

  • 刺激的な美しい言葉が並ぶ。自分勝手な論理とするどい意見。年を重ね自分が揶揄されアジられる側になってしまったことに気づかされる。若いときなら共感できたかも。

    でも、そんな寺山修司に憧れている。

  • 寺山の代表的なアジテート。

    親、親の世代、老人の世代への攻撃的な叛逆。
    抑圧された幼少期の開放。
    自由の獲得と謳歌。
    そしてその前衛的表現。

    と、いいつつハイティーン詩集は公募?なのだから、
    寺山の表現というよりは世相の反映である。
    ただし、マジョリティはいない。

    最近の親子関係も大して変わっていないと思う。
    いや、以前より封殺されている気がする。

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著者プロフィール

詩人、歌人、劇作家、シナリオライター、映画監督。昭和10年12月10日青森県に生まれる。早稲田大学教育学部国文科中退。青森高校時代に俳句雑誌『牧羊神』を創刊、中村草田男らの知遇を得て1953年(昭和28)に全国学生俳句会議を組織。翌1954年早大に入学、『チェホフ祭』50首で『短歌研究』第2回新人賞を受賞、その若々しい叙情性と大胆な表現により大きな反響をよんだ。この年(1954)ネフローゼを発病。1959年谷川俊太郎の勧めでラジオドラマを書き始め、1960年には篠田正浩監督『乾いた湖』のシナリオを担当、同年戯曲『血は立ったまま眠っている』が劇団四季で上演され、脱領域的な前衛芸術家として注目を浴びた。1967年から演劇実験室「天井桟敷」を組織して旺盛な前衛劇活動を展開し続けたが、昭和58年5月4日47歳で死去。多くの分野に前衛的秀作を残し、既成の価値にとらわれない生き方を貫いた。

「2024年 『混声合唱とピアノのための どんな鳥も…』 で使われていた紹介文から引用しています。」

寺山修司の作品

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