- Amazon.co.jp ・本 (336ページ)
- / ISBN・EAN: 9784041315224
作品紹介・あらすじ
あなたの人生は退屈ですか。どこか遠くに行きたいと思いますか。あなたに必要なのは見栄えの良い仕事でも、自慢できる彼や彼女でも、お洒落な服でもない。必要なものは想像力だ。一点豪華主義的なイマジネーションこそが現実を覆す。書を捨てよ、町へ出よう-。とびきり大きな嘘を抱えながら。家出の方法、サッカー、ハイティーン詩集、競馬、ヤクザになる方法、自殺学入門etc…。八歳にして詩を書き、時代と共に駆け抜けた天才アジテーター・寺山修司による、100%クールな挑発の書。
感想・レビュー・書評
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『書を捨てよ、町へ出よう』。
元来ひきこもりがちで出不精、本棚の前で背表紙を眺めているだけでも有意義な一日を過ごせる自信がある私にとっては、出会った瞬間から衝撃的な言葉だった。
それからは事あるごとに、おまじないか合言葉のように「書を捨てよ、町へ出よう」と心の中で唱えてきたけれど、実際に読むのはこれが初めて。
三島由紀夫の『不道徳教育講座』のような内容かと思っていたら、寺山修司のふざけたエッセイのようなもので、椅子から転げ落ちそうになった。
彼は21歳のときはじめての本を出版し、創作活動に勤しんでいたものの、病気になって三年間の入院生活を送っていたのだそう。
病床での友人との手紙のやり取りや、戦争への捉え方の変革を経て、彼はついにブッキッシュな生活から遠ざかろうと決心した。そして快方するやいなや、町へ飛び出し、生活を一変させたのである。
青年よ大尻を抱け、新宿のロレンス、競馬のメフィスト、馬の性生活白書……。
なんなのそれ、めっちゃ面白い。馬鹿馬鹿しくて、くだらなくて、出先で顔を顰めたり笑いを堪えたりしながら読んだ。しみじみと、読んで良かった。
寺山修司は、自分は「青春煽動業をやってきた」と言っていたそうだが、言い得て妙。ここにあるのは、煽られるような青春!
私には青春といえるようなものは無かったし、書を捨てるなんて到底出来るとも思えない。
町へ出るのは相変わらず億劫だけれど、でも町へ出ると、いつもそれなりにちゃんと楽しい。
わかってる。ふと夢から醒めたように、このまま家の中でじめじめと文字を追い続けるだけで死んでいくの?と思ったりもするんだよ。
三十路にもなって、羨望とも観念ともつかないような気持ちでそれを実感している。
だから私は、これから先の人生でも飽くことなく何度も「書を捨てよ、町へ出よう」と唱え続けるのだと思う。いじましく、書をカバンにしのばせながら。外は春の匂いがして、咲き始めた桜はとてもきれい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
聴き終わりました。
70年代初めの、猥雑な感じ。
若さは正義だな、もう戻れないけど。 -
贅沢したいよう。お金はないけど。
ーじゃあどこか一点だけお金をかけて、まぁ他は諦めて。
こんな具合に、「現状を変えたいなら、多少の犠牲は覚悟しないと」と訴えかけてきます。
結構過激なこと言ってます。
自殺もありじゃない~?なんて話も出てきたり。
でもこの著者、すごく優しいんです。
キツイこと言ってても、それは「まぁ頑張れや」と励ますため。
自殺肯定論も、結局は「生きてほしい」と訴えているような気がしてなりませんでした。
読んだら愛あるシッペがもらえるかも。 -
書を捨てる、という宣言にも、書が必要とされている。
そのような一種の矛盾は、とうに凌駕され
私の中の衝動は、遠く何処かの「町」を目指すようになる。
町は、私を放っておかない。
町が、私と交わる。
町で、私は、新たな「私」を孕む。
読むほどに実験されてくような感覚が愉快。
むらむらと、湧きあがる情動。行動。
そしてそれら総てが、この手の「書」に端を発していることに気づいた時
袋小路の感覚が、またとにかく愉快。
しばらく、同じ感銘は受けていないと思う。
なぜかいつも、走りだしたいような読後感がある。
それが、「書」を捨てる始まりなのか
それとも「書」を捨てられない快感の証明なのか
幾度でも、目を通す毎に、新しい「欲」を感じてしまう作家。
彼の死ほど、惜しいものも滅多にないと思う。 -
分かりやすくはあるが、三島の「不道徳教育講座」を彷彿させる、ブレイボーイの件などには少し興ざめ。映画版は実験映像を駆使しているが、成熟期から比べると、恥ずかしさを憶える荒削りさを、発想の評価で見守っていただきたい。
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原作のエッセイを読んで、いまいち分かりにくかったのだが、年配の友人に寺山修司ってどういう人?って尋ねたら、映画の方が面白いよと言われて読後に鑑賞もしてみた。
確かに面白かった。原作で読んだ言葉たちが繋がった。「書を捨てよ町へ出よう」とは「町そのものを書物のように読むべし」ことだそうだ。町とはそこに生きている人間、光の当たらない人々の言葉なんだろうなと思った。主人公とその家族、人力飛行機で祖国へ帰ろうとする在日朝鮮人、ゲイの文通欄の言葉、娼婦、尋ね人の言葉、犯される少女の叫び、姥捨山に送られる老婆、街中の落書き、看板、街頭インタビュー、悪態をつく若者、気持ちの吐き出せないさまざまなマイノリティの言葉が出てくる。それが町の言葉なんだろうなと。
今の時代でも彼らの言葉は街中に、そしてネットの中に溢れている。でも、ないものにされてしまっている。そして眉をひそめて批判する人々があまりにも多いことに、何も変わってないんだろうと思ってしまう。 -
【本の内容】
あなたの人生は退屈ですか。
どこか遠くに行きたいと思いますか。
あなたに必要なのは見栄えの良い仕事でも、自慢できる彼や彼女でも、お洒落な服でもない。
必要なものは想像力だ。
一点豪華主義的なイマジネーションこそが現実を覆す。
書を捨てよ、町へ出よう―。
とびきり大きな嘘を抱えながら。
家出の方法、サッカー、ハイティーン詩集、競馬、ヤクザになる方法、自殺学入門etc…。
八歳にして詩を書き、時代と共に駆け抜けた天才アジテーター・寺山修司による、100%クールな挑発の書。
[ 目次 ]
第1章 書を捨てよ、町へ出よう
第2章 きみもヤクザになれる
第3章 ハイティーン詩集
第4章 不良少年入門
[ POP ]
今、本を持っていてもてる時代では決してないでしょう。
ましてや寺山修司のような観念的な読みものなど、30年前にタモリによって脱構築されていらい無用の長物となって久しいのでここではあえて内容は読まずに、タイトルを真に受けて、読書なんてやめてクラブにでも出かけてしまいましょう。
図々しい人間ほどモテるということはこの本には書いてありません。
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
一点破壊主義、自殺学入門。これは詩的エッセイでありながらにして実用書である。
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著者である寺山修司の人生観を纏めた本。
一見いい加減な内容に感じつつも、所々から著者の見識の広さや人生経験の豊かさを伺えた。
特に印象的だったのは、「一転豪華主義」という考え方。つまり、老後までの生活設計が予想出来る中、何か1つだけ思いっきり投資し、自らの将来に挑戦しろというもの。そのようにダメ元で挑む姿勢を、何歳になっても持ち続ける事は大変だろうと感じたが、八方塞がりな状況下なればこそやる意義があるのでは。
「幸福とは幸福を探すこと」と綴ってある通り、少なくとも退屈はしない生き方になると予想。 -
wikipediaによると、本書の著者は歌人、演出家、小説家・・・・等、様々な肩書きを持ち、本業を問われると「僕の職業は寺山修司です」と返すのが常で、ついた異名が「言葉の錬金術師」と言う人物。
本書は、この「言葉の錬金術師」が野球、競馬、自殺、家出、消費行動など様々なテーマで書き連ねたエッセイ集です。
読んでいくと、例えば著者の以下の様な言葉
・道徳などというものは、所詮は権力者が秩序と保身のために作り出すものにすぎないということは、今では知らないものなどいないのだから。
・与えられた「正義」のためにばかり働いてきて、それを見きわめる「正義観」など、もつことができなかったのである。
が載っており、これらが書かれたのが1960年代と言う事や今もこの様に考える人もいると言う事を併せて考えると、インターネットは当たり前、携帯電話も当たり前と言う時代になっても、結局、社会や人間の本質は何も変わらないのではないかと考えてしまいます。
つまり、
若い世代が、自分たちより年上の世代を否定し、年上の世代も若い世代を否定する。
しかし、年上の世代も若かりし時には、今、若い世代が自分たちを否定する際に用いるロジックと同じロジックをもって、自分たちよりも年上の世代を否定してきた。
そして、今の若い世代も、年を取れば、今の年上の世代を同じ立場になる。
と言う事を実感させてくれる内容です。
ソープランドの事をトルコ風呂と書いてある等、時代を感じさせてくれる文章なのに、(少なくとも本質的な意味合いでは)古い感じが全くしないエッセイ集と言った所でしょうか。
鋭く激しい言葉を読みたい時におすすめです。 -
ピカレスク、という言葉を思い出す。
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寺山修司って随分と前にこの世を去っていたんですね。本屋でよく彼のコーナーがあるから今も存命なのかと思ってた。マジ無知。
いつも思うことだけれど、彼にしても村上龍にしても、吉本隆明や柄谷行人、リリー・フランキーなどの揺るがない主張を言い切ることができる人たちは(根拠のない事柄を執念深く肯定したりもする)、どこかで自分という人間を演じているのかなと感じてしまう。
彼らが常人の持つインスピレーションや言語選択能力を遥かに上回る才能を持ち合わせていることは認めざるを得ないし、事実その通りだろう。
ただ、社会問題に切り込む際、分かりにくい比喩で説明を試みることをどこかで彼ら自身が「洒落ている」だとか自らのインテリジェンスの賜物であるとの認識が少しはある気がする。そうでなければ、読者の半分以上が理解出来ないであろう文章を自信満々に世に送り出すことは出来ないと思うし、それこそ彼らが真に自身の個性的でアンビバレントな感性に自信を持っているのならば、本気で感覚のみを拠り所にした文章に頼るべきだと私は思う。
彼らの文章を理解出来なかった読者の中には、視野の狭さや知識不足を憂う人たちもいるだろう。私は断固として言いたい。特に本書の著者、寺山修司の文章はそういう風に読むべきではないと。かつてこれ程までに感覚に頼って文章、言葉を追ったことは無かったように思う。彼が創り上げた文章に対しては人それぞれ受け取り方が異なるはず。その観点から、本書は良書である。明らかに良書。
けれども読む価値の問題になると閉口してしまう。読みたければ読めばいいし、少し読んで部屋の片隅にほっぽっておいても良いかと。
私が言いたいのはこうだ。
寺山修司の本を読んで自分の生き方の糧にしたり、真似をしたりするのは無茶苦茶ダサいけれど、ある文章を読んだ後で全速力で雄叫びあげながら走り出したり、自分の存在を愛してあげるのはありだと思う。
ベストセラーの恋愛小説よりも、本書のような捻くれた本を読むことで、愛や生命力を感じるのは単に私の価値観が狂ってるからなのだろうか。甚だ疑問。 -
帰省の暇潰し、寺山修司本三冊目。
この人は思想が確立しているから、読む冊数を重ねるほどわからなかったことが見えてくる実感があって学習意欲が掻き立てられる。
個人的には終章の自殺のライセンスの項の思想がすごく刺激的でした。
何一つ不自由がないのに避けられない不条理な死こそが自殺であり、極めて贅沢なもの。
どうせ死ぬなら自殺へ進もう。それこそが生きる力になるクリティカルモメントだ。…そういう解釈を書いている訳ではないんだけど、僕はそんな風に受けとりました。自殺をテーマにしているのに、読めば読むほど生きる力が湧いてくるこの人の文章には毎度脱帽する -
うわー、この人ダメだぁ。
ものすごい褒め言葉として。
書いてあることに説得力があるし、
ダメな方向にものすごく勇気づけられるけれど、
実際に書いてある通りに生きようとすると破滅しますね。
でも、わけのわからない勇気。
たまに必要かもしれない。 -
なんせかタイトルが有名。
エッセイだとは知らなかったけれど。
寺山修司さんの言葉の選び方、文章のセンスはさすが、という感じで。
やっぱり中には「おおっ」と思わしてくれる、シャープな物事の考え方、切り口が光るものも。
でも後半がなんかダラダラというか、趣味個人世界入りすぎてあんまり面白く無いというか、全体的にクオリティがまちまち過ぎて
一冊通して楽しむには、どうなんだろう。
まぁ好みの問題か。 -
刺激的な美しい言葉が並ぶ。自分勝手な論理とするどい意見。年を重ね自分が揶揄されアジられる側になってしまったことに気づかされる。若いときなら共感できたかも。
でも、そんな寺山修司に憧れている。 -
寺山の代表的なアジテート。
親、親の世代、老人の世代への攻撃的な叛逆。
抑圧された幼少期の開放。
自由の獲得と謳歌。
そしてその前衛的表現。
と、いいつつハイティーン詩集は公募?なのだから、
寺山の表現というよりは世相の反映である。
ただし、マジョリティはいない。
最近の親子関係も大して変わっていないと思う。
いや、以前より封殺されている気がする。