犬の力 下 (角川文庫 ウ 16-5)
- 角川書店(角川グループパブリッシング) (2009年8月25日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (480ページ)
- / ISBN・EAN: 9784042823056
作品紹介・あらすじ
熾烈を極める麻薬戦争。もはや正義は存在せず、怨念と年月だけが積み重なる。叔父の権力が弱まる中でバレーラ兄弟は麻薬カルテルの頂点へと危険な階段を上がり、カランもその一役を担う。アート・ケラーはアダン・バレーラの愛人となったノーラと接触。バレーラ兄弟との因縁に終止符を打つチャンスをうかがう。血塗られた抗争の果てに微笑むのは誰か-。稀代の物語作家ウィンズロウ、面目躍如の傑作長編。
感想・レビュー・書評
-
果たして「犬の力」ってどういうこっちゃ?と思っていたら訳者の東江一紀さんがあとがきに詳しい解説を載せてくれていました
ただもともとは旧約聖書に出てくる言葉のようなのでその意味というよりは東江さんなりの解釈といったほうが近いようです
もちろんなるほどと思わせる内容なんですが読書新自由主義を標榜する私としてはあえてちょっとひねくれた独自の解釈をしてみました
模範解答なんかクソ喰らえなんだよ!
ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン!(なんかメキシコっぽいこと言ってみたかっただけ!)
まずは作中にも名前が登場するケルベロス、言わずとしれた「地獄の番犬」です
東江さんの解釈では特別関係がないとしていますがやはり『犬の力』と題したこの長編に名前が登場する以上なんの意図もなく登場させたとは考えにくく何かしらの意味があるはずです
ケルベロスといえば冥界の王ハーデスに仕え冥界から逃げ出そうとする者を捕えるのがその役目です
そしてそれはまさに正義の実践者です
もちろんここでの正義は冥界の正義です
正義とは見る者使う者によって簡単に姿を変えます
またある者の正義は別のある者にとっては全く正反対の意味を持つこともあるでしょう
麻薬捜査官の正義、麻薬王の正義、殺し屋の正義、売春婦の正義
「犬の力」とはころころと形を変える残酷で愚劣な「正義の力」だっのでは?
そんな風に思うのです詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
目まぐるしい協力体制と裏切り、緊迫する取引、血みどろの惨劇。後書きにあるように、「人間の思考や感情の根源的な部分を揺さぶる大きく鋭く温かく骨っぽく色っぽい」小説だった。
相当無慈悲なマフィアたちが、愛した女のために身を持ち崩していくのが、ラテンの男の人間味を感じる。
登場人物たちの、感情に揺さぶられて判断を誤る瞬間が描かれていることで、単なるクライムノベルだけでない名作になっているのだと思う。
セクシーなシーンは随所にあるけど、ラストのあの2人の幸福な情事にはしびれた。
でも後書きを読んで、この物語が約三十年間の、ラテンアメリカを中心とした麻薬犯罪の構図を精確になぞっていると知って衝撃を受けた。
政治権力との癒着もあるのが恐ろしすぎる。
麻薬の根絶の難しさを思い知らされるけど、とにかく人道に反する行為への拒絶を表し続けるしかないのかな。
-
ノワールの壮大な群像劇。
その根底にあるものは……。
「犬の力」とは……。
アメリカ映画のように「勧善懲悪」ではない。
完璧なヒーローはいない。
完璧な悪役もいない。
悪意や憎悪が集まり、やがて渦を巻いて深く広く覆い尽くす。
「血みどろの悲惨な笑劇」
ウインズロウは「悪人」を描く。
作品によってはコミカルにも、また、悲しくも。
さらに、その影に隠れた本当の悪を。
殺し屋カランの腕の中で瀕死の司祭パラーダが言う
「わしは赦す」
……絶望的に悲しい。
そして、行き着く先は……。
「わが魂を剣から解き放ちたまえ。
わが愛を犬の力から解き放ちたまえ」 -
すごく面白かった。緻密に設定が練られているので、どこまでがフィクションでどこまでが裏付けのある現実的な設定なのか、分からないし気にならない。
視点がどんどん変わることに加え、正義感に溢れていたはずの主人公のアート・ケラーが、闇を見つめ、どんどんなにか得体の知れないものに飲み込まれていくさまはノワール小説やピカレスク小説の要素もある。圧巻だったのはやはりアクションシーンで、ハリウッド映画のようなスピード感と緊張感が絶妙。文でここまでスピード感がある小説を読んだことがなかったのですごく新鮮だった。 -
復讐の螺旋階段に天井はなく、順番待ちで大渋滞だ。生きるために踏み出した階段への一歩は、戻れない死の順番待ち。ただ時々順番が前後するだけで、生まれた瞬間死に向かう命の終わり方が悲惨なものか、予期しないものか、自分で決めるか。
どう生きるかよりも、死の瞬間をどうくぐり抜けて、そのくぐり抜ける瞬間、もしくは誰かに死の瞬間をもたらすことで、生きることを実感する。
人も動物も罌粟もただそこに存在するだけなのに、誰かの思惑とか思いつきとか機嫌だけで、死のそよ風はあっという間に暴風雨に変わる。嵐の後、何も形を残さず、怨恨だけが次の誰かに受け継がれ、また復讐の螺旋に並ぶ人間を一人増やす。 -
怒涛のクライムサスペンス!
前巻からの勢いもそのままに、圧倒的な筆力をみせつけられます。
大麻薬犯罪を描きながら、殺し屋や運び屋、マフィアをけして英雄の様には書かず、
しかし彼・彼女らの人間的な一面を描く、その技法に脱帽です。
主役はあくまで捜査官であるアートだと思うのだけど、
その他にもたくさんの魅力的な登場人物がいて、
メキシコやアメリカの経済事情にいかに麻薬が密接しているかを浮き彫りにしている作品。
ラストは私はある意味大団円だと思ったけれど、
おそらく読む人によっては意見が分かれると思う。
かなり骨太な作品であるため、未読の方は、覚悟して作品の世界に飛び込んで行って欲しいと思う。 -
長かった、久しぶりに時間かかった。下巻はの途中から一気に麻薬戦争も佳境に入り、後半は主だった登場人物が一気に消えていく。追うものと追われるもの、どちらの強大な組織のトップにいながら、最後は自分たちで決着をつける展開。本人出ていかなくても指揮を執ってやらせればいいのに。主人公は最後死ぬかと思ったけど、悪者サイドがやられてまずまずの終わり方。ただ、途中途中で子供が死ぬシーンがあるのがキツイ。
-
麻薬、暴力、殺人。たくさんの人間の欲、金、地位。そういうものが絡み合っている。でもそれぞれに人生があり、家族がいる。そういうものがしっかりと描かれているから悲劇が際立ち大きな恐怖がある。捜査官アートの企み、麻薬組織内での対立。読み進めるほどに迫力は増していく。麻薬で金を稼ぐ者、利権、権力を利用しようとする者、巻き込まれてしまった者。そのひとつひとつにたくさんの展開がある。アートの苦悩や家族と麻薬組織の撲滅とを天秤にかけようとする心の内。麻薬の世界に嵌り込んだ者たちの圧倒的な物語。
-
なん度でも言おう。「ゼッタイに読むべきだ!」と。『犬の力』に影を落としているのは冷戦構造だ。キューバ危機を皮切りに、アメリカは「裏庭」で共産主義政権が立たないよう軍事的独裁者を支援し続けた。ジョン・マクティアナン監督『閉ざされた森』や、スティーブン・ソダーバーグ監督『チェ』で描かれたように謀略や諜報を駆使し、帝国主義さながらの暴力に訴える方法を臆面なく使ったのだ。その政治的な混沌を利用してラテンアメリカの麻薬シンジケートのドンに治まったアダンと、私怨とも正義とも区別のつかない炎に身を焦がしながらアダンを追うケラー捜査官の対決を軸に、物語は加速していく。本書で描かれる登場人物たちは寄る辺ない「可愛そうな犬たち」だ。お互いが支えあっているのだが、どこか歪んでいる。そして、信仰とか正義とか、そんな高尚なものは信じておらず、感情に従って生きている。そして、この「感情のもつれ」がスカッとするラストを用意するのだ。登場人物により視線が切り替わるたびに展開がコロコロと変わるのだが、作家の企みにワザと乗せられながら、最後のロマンスにハラハラしてください。面白い!
-
ドン・ウィンズロウ!
なんて、久しぶりなんだ。
ニール・ケアリー・シリーズがなんだか呆気なく幕切れとなってしまった(らしい)シリーズ最終作『砂漠で溺れるわけにはいかない』以来の日本お眼見えだったか。それが1996年の作品。本作は2005年の作品。ウィンズロウの上にその間9年の時間が経過していたのか。なんと!
だからというのじゃないだろうけれど、ニール・ケアリーのシリーズとはまた違った空気。違いすぎるくらいに。作者名を伏せたらすぐに回答が出ないくらいに。その代わり全部読み終えたら、何となくわかりそうな気もするけれど。独特のテンポ。音楽的な語り口は、柔らかな青春スパイの日々を描くにしても、血も涙もない皆殺し現場を描くにしてもあまりにリズミカルで淡々と淀みがない。
しかしそれだけではない。何かが違う。透明感はそのままだ。しかし透明感は、ぴんと張り詰めた鉄線のように危険な匂いがする。ひりつくような熱気が血のような鉄分のにおいを運んでくるのかもしれない。とにかく決定的な部分でウィンズロウの物語世界はよりハードでタフな方向に色合いを変えた。
それも本作の場合、大河小説でもある。作者の最長編記録であることは言うまでもない。三人の同郷の男の人生を幼少の頃からそのいずれかの死に至るまで(正確には殺し合うことになる)の腐れ縁を延々と描いたビルディングス・ロマンだ。その間、殺し合いや追跡や逃走や化かし合いや、恋人の獲り合いや、裏切りやらが山ほど積み重なり、それらばかりが淡々と、ただただ砂漠の獣たちの獰猛な闘いみたいに、ばかみたいに繰り返されるのだ。本当にばかみたいに。
アート・ケラーはDEA捜査官、パレーラ兄弟はヤクの元締め。片方には正義、片方には無法の自由と金があり、お互いに凌ぎを削ってサバイバルを繰り返している。他には何の人生も残されていないみたいに。他には幸せの選択肢なんてどこにもないみたいに。
それにしても死闘で築き上げられた一台国境絵巻。こんなタフ・ワールドを書く作家ではなかったよな、というのがウィンズロウに対する今までの勝手な解釈だった。ところがどっこい、奇なんか少しもてらわずに、まったくストレートに物語を語り続けることのできる人だったのだ。けれんみも何もなく、本当に特徴なありゃあしない。ただただ銃をぶっ放して、鮮血と砂が交じり合う乾いた大地の物語。そして美女の悲鳴とコヨーテの遠吠えが交じり合う。
サム・ペキンパの世界だ、まるで。
だけど決して嫌いじゃないぜ、この世界。