- Amazon.co.jp ・本 (248ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061496675
感想・レビュー・書評
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フランス文学の悪女を、男性の心理だけでなく当時の風俗なども加えて、鋭い視点で迫っている一冊。一見、読み流してしまう悪女の気まぐれな行為も、数奇な展開もすべて納得する理論で説明する作者さんは、おみごとです。最後のウッフンとゴレンジャーガールの説明も、痛快。
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いろいろ勉強になりました。
鹿島さんの語り口が面白いので、この人の本は一通り読んで、できれば集めたい。
とりあえず、『ナナ』『マノン・レスコー』は読もう -
悪女とはかくあるべきかと感じました。
論理に飛躍というかこじつけのところが間々見られましたが
もともとの文が雑誌向けということである程度はしかたないのかなぁ。
その分、とても読みやすいかと思います。
妖艶な魅力持つ悪女になりたい方はこれで勉強してみてはどうでしょう? -
世に言う悪女とは何たるものか、そして、それに騙されたり魅了されたりする男とは何たるかを知りたくて買ってみました。
フランス文学に登場する、男を惑わす、ファム・ファタルなる女性について、詳しく解説し、男が騙されたり魅了されたりする心理的プロセスを細かく分析(心理学ではないが)している。
鹿島氏曰く、悪女とは男だけではなく、己の身をも滅ぼすもの、だそうだ。
かつてのフランス文学に登場する「悪女」に共通する項目をいろいろと眺めていると、それこそちょっとしたボーダーライン心性を遺憾なく発揮したような女性なんだろうなと思うのである。
この本にはいろんなタイプの「悪女」なるものが登場して、それぞれが個性的でなかなか楽しく読めるのだが、ふとした疑問が。
「悪女」がいろんなテクニックを意識的・無意識的に駆使して男を翻弄するのはよくわかったし、それに男が魅了されるのもよくわかった。
だけど、どうして、男は「わかっちゃいるけどやめられない」的に「悪女」に捕らえられてしまうのだろうか?
単なる性欲のみの動物的な生き物だからという説明は成り立たない。鹿島氏もこれについて触れているが、動物的に本能を満たすだけならば、それは幸せな事だそうだ。なぜなら、そういう類いの人は、性欲の処理をした時点でエロス欲求も解消されるからだそうだ。
であれば、エロスとは一体なんなんだろうか?ちょっと勉強不足でよくわからないが、タナトスの対義語だったっけ?
おそらくは、個体保存以上に広範な定義で、もっと実存的な自己保存的な概念なのかもしれない。
であれば、「悪女」に引っかかるような男性、あるいはボーダーライン的な女性に引っかかるような男性は、「悪女」とのつながりから、実存的な自己確認をせざるを得ない、あるいは「悪女」とつながることでしか自己確認ができないということなのだろうか。
ちょっとよくわからなくなってきたけれど、とにかく、悪女とつきあう事はとても悲しい事のようだ。
この本には、ハッピーエンドを迎えた悪女とその連れ合いは登場しない。
今度は、ハッピーエンドを迎えた「悪女」の物語や、「悪男」について何か書いてもらいたいな。 -
エロし笑!!別に悪女を狙ってるわけじゃありませんが、面白いです。
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まず、誤解のないように言っておきたいのは、悪女になりたくて買ったわけではなく、あくまでフランス文学の手引きとして買ったんですよ。
平易な文章で読みやすく、古典のあらすじもさらえます。機会があれば、紹介されていたものの原文を読もうと思う。 -
<感想>
そもそも、悪女とファム・ファタルは根本で定義が異なるのでは?という疑問が沸きました。
『マリ・クレール』『FRaU』連載ということで、多少人の興味を引くような進め方をしているように思います。
読みやすく、頭に入っていきやすいですが、もっと専門的に知りたい人にはちょっと物足りないかもしれません。
世紀末芸術の入門書という位置づけでよいと思います。 -
いろんな悪女が出てくる物語の大筋が書いてあるので、意外に面白かった。
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文学作品から様々なタイプの悪女(悪女自覚型、処女の無自覚悪女型、才能食いの悪女など)が紹介されている。
悪女と言うと自覚的に男から金を搾り取る女かと思いきや大間違いで、金に執着しないタイプの悪女も勿論、自分が悪女である自覚の無いタイプすらある。
ただ、入門と書いてあるが、私がそれを目指すのは難しそうだ。 -
フランス文学のヒロインたちを題材に悪女の手管を伝授しますというふれこみ。文学論として読んでも、ハウツーとして読んでも、それなりの成果はある感じ。カルメン、椿姫ら有名どころはさておき、プルースト、バタイユなど難解テキストの読解が刺激的。章が進むにつれ、鹿島先生、どんどん筆が軽くなっていき、講義としてのライブ感もいい感じ。何度か吹き出しました。