他人を見下す若者たち (講談社現代新書)

著者 :
  • 講談社
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本棚登録 : 1984
感想 : 294
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061498273

感想・レビュー・書評

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  • 「自分を肯定化する」為に「相手を否定する」という考え方にはなるほどと思う。
    が、レビューにも沢山書いてあったけど、こういったタイプの人は年代に関わらずにいるような気がするし、全体的には「今の若者は…」風を感じてしまうところもある。
    自分ばかりを見つめるようにしたのは、それまでの全体主義的、団体主義的な考え方の教育から、自分探しや、個性を重視したため、だろうか…あくまで「だろうか。」でも私のは論文でないから、主観です。
    そうなると、揺れ戻しが当然起こり、またしても「組織が…」とか「示しが…」とか言い出すのも、これもまた時代の流れなのか…?

    結局、どこにも正解はなくって、やはり自分の目で見て自分の耳で聞いて、考えて、判断して、自分の言葉でしゃべることができる、もちろん相手の事も考えて、というのが目指すところなのかもしれない。

    時代の雰囲気で教育なんてどうにでも変わるし、若者も作られて行く、というお決まりの着地点になってしまった…

    せめて、自分の頭で考えよう。

    注:他のブログから引っ越し中のため、ここで言っている「レビュー」は「ブクログ」のものではありません。

  • 「仮想的有能感」…この言葉は発行後5年を経た今でも十分通用する、むしろ悪い方に向かっているような、そんな暗澹たる気持ちにもなりますが、そのモヤモヤを少しでも理解する助けにはなると思いました。せめて自分はそうならないようにしたい!

  • 感情表現ができなくなった若者。ゆがんだプライドとコンプレックスを分析。

  • 明治以降、日本の価値観はめまぐるしく変わっているわけで、同じ時代に生きていても世代間で同じ価値観を共有できている瞬間なんてないのではないだろうか。それなのに「最近の若者は」って何でも若者のせいにする風潮は誰にも良い効果は得られないと思う。■本書の中でも、現在の環境をいろいろ分析しているが、それが「若者」にだけ悪影響を与える充分な理由になっていない。「比較的若者に顕著に表れている」という著者の感覚にすぎず説得力がない。そもそも年寄りだって、「家長だから偉い」とかそういう古い概念だけで、無関係な人に対しても偉そうにしている人、多くないか?

  • やる気がなく、謝まらず、他人を軽視し、すぐキレる若者たち。そして、根拠のない有能感に浸る若者が増えている。教育心理学の研究データが示す新しい日本人像を紹介しつつ、その変化の最も根源的な要因を追究する。
    (「MARC」データベースより)

    読了するまでに思いの外、時間を要した。それは恐らく、本書の構成に問題があるように思える。理論の展開に流れがなく、論点があっちこっちへ飛び、気がつくと先ほど読んだことと同じようなことが書かれていたりする。内容を咀嚼して消化するまでにかなり時間を要する。そのせいか、途中で飽きがきてしまい、読み流してしまった。
    この状態で感想を書くのは、気が進まないけれど、記録として残しておくことにする。

    まずは、このタイトル。「他人を見下す若者たち」。これは失敗だと思う。このタイトルに釣られて本書をめくった人(私も含め)は、少なからず失望することになるのではないだろうか。なんとか若者の他者に対する侮蔑感情について理論づけようとしているのだけれど、読んでいるうちに「若者だけじゃないのでは? 何故に若者だけに限定するの?」との疑問が生じる。著者に言わせると、若者の持つ他者への侮蔑感情は自分の経験に裏付けされていないもの、本書で定義されるところの「仮想的有能感」であるということになる。一方、中高年が持つ他者への侮蔑感情は自分の経験に裏付けされたものである「自尊感情」からくるものだということだ。

    確かに、若者たちが蔑視する対象は、具体的に自分には関係のない人たちに限定されるのかもしれない。それは芸能人であったり、あるいは政治家であったり、犯罪者であったり。自分がその立場になることがないと思われるものが対象となることが多い。自分の実際の経験と比べることがないからこそ、簡単に批判し、「死ね」などという過激な言葉を投げつけることもできるのかもしれない。
    一方、中高年者がもつ蔑視感情は誰に向けられたものか。自分より格下(と本人が思っている)の若者だろうか。
    自分の経験と照らし合わせて、「今の若者は・・・」とお決まりの台詞を口にするわけだ。

    しかし、あたりまえだが、これを「若者」と「中高年」とに単純に分けることはできない。「若者」のなかにも「中高年」のなかにも当てはまらない人は多く存在する。ま、数で言うと少数派になるのだろうか・・・。

    最近よく感じるのは、若者だろうがそうでなかろうが、「想像力」の欠如している人が多くなっているのではないか、ということ。相手の立場にたって物事を考えることが出来ないと言い換えてもよいかもしれない。
    困っている人をみて、その人の気持ちを想像する。自分の行動が他人にどのように受け止められているか、それを想像する。そういう力が衰えているのでは?と思うことが頻繁にある。だからこそ、簡単に人を嗤い、平気で迷惑行動を起こす。

    他人を見下すことによって、自分を持ち上げる。自分自身は変わっていないのに、それで偉くなったような気分に浸る。実態のない自信。「努力」という裏付けのない自信。
    何も「若者」に限定することはない。それを世相のせいだというのであれば、あらゆる世代にいても不思議ではないのだから。

    今回、図書館で借りているため再読の時間がない。機会があれば、もう一度ゆっくりと読みたいと思う。

  • 「最近の若者は・・・」的な論調だった。

    だがあまりに根拠が脆弱すぎる。
    というより根拠がないものが多い。

    たとえば、社会的迷惑行為いたる若者たちが急増しているという。
    しかし、本書にはいまいち根拠がしめされていない。
    本書ではそうした若者が急増していることを前提に話が進められていく。

    あまり共感する部分は多くなかったかな。
                                                                                                   

  • 信憑性の低い数値ばかりで無理に結論へ導いていた感があり、解決策もよく聞く一般論であった。最近の若者が、他者軽視の反発によって仮想的に自尊心を高める傾向にあると著者は言っていたが、これは若者に限らないで普遍的に言える事だと思う。ちなみに私は委縮型でした。

  • 仮想有能感というキーワードが繰り返されている。若者に文句をいうオヤジのイメージが強く、
    理不尽な考察が多く感じた。データの取り方に偏りを感じるため、参考にできない。他者の為に考えるというのはどの世代であってもできている人とそうでない人はいるだろう。

  • 自分に甘く、他人に厳しい<br />すぐにいらつききれる<br />悪いと思っても謝らない<br />無気力、うつになりやすい

  • まず第一に、読みにくい。
    2点ほど理由が考えられる。推論に至るまでのデータの信憑性が薄いことと、「仮想的有能感」など言葉の定義がよくわからないことである。
    文章全体を通して、一人のオヤジの「今頃の若いもんは…」という愚痴のように聞こえてしまう。が、実際に日々の生活の節々で’違和感’(例えば、電車などで年配者に席を譲らない高校生だとか、心の底から「ごめんなさい」や「ありがとう」を言えない人が多いだとか…etc)を感じざるを得ないのは、本書に書かれてあるような意識:『他者にはほとんど興味がなく、自分と自分のごく周辺だけにしか興味がない』『自分の非が明らかになる前に他人の非を責めて、自らの有能感を保つ』『根拠のない有能感を抱いている』などなどを多くの人が抱いているからなのかも。。。と感じた。
    昔は良かったという視点から論じている感は否めないが、このままでは生き難い世の中になってしまうかもしれないけど、それでいいんですか?という問いかけに対して、根拠は薄いながらも’生き難い世の中になってしまった’根本的原因を作者なりに示したのが本書ではないだろうか。

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著者プロフィール

中部大学特任教授

「2019年 『内発的動機づけと自律的動機づけ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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