生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)

著者 :
  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (286ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061498914

感想・レビュー・書評

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  • 高校で学習した「生物」と「化学」がやっと繋がった。さらに「物理」にもつながって、生きていることの不思議さがますます実感できる。
    日本とアメリカの研究室事情もわかり、科学エッセイ、科学歴史としても面白い。
    今まで不思議に思っていたことが、やっぱり研究者にとっても不思議なことだったのか、となんだか嬉しくなってしまう。

  • ・なんで読んだ?
    ずっと気になっていた。

    ・つぎどうする?
    「動的平衡」を読みたい。ちょっとわからないところがあったから。

    ・めも
    おそらく終始、エイブリーを支えていたものは、自分の手で振られている試験官の内部で揺れているDNA溶液の手ごたえだったのではないだろうか。DNA試料をここまで純化して、これをR型菌に与えると、確実にS型菌が現れる。このリアリテイそのものが彼を支えていたのではなかったか。別の言葉でいえば、研究の質感といってもよい。これは直感とかひらめきといったものとはまったく別の感覚である。研究とはきわめて個人的な営みといえるのである。

    生命とは自己複製を行うシステムである。DNAは2対の螺旋状で、AとT、CとGのペアでできている。日常的に紫外線や酸化的なストレスで配列が壊れていながら、片方を元に修復されている。

    なぜ原子はちいさく、われわれの身体はこんなに大きいのか。原子にたいしてずっと大きい必要があるから。原子は常にランダムな熱運動をしている。生命の秩序ある現象は、平均的なふるまいとして顕在化する。原子のルート分だけ異常値が出る。100の原子には10の異常が出て、10%の誤差率で不正確になるが、100万の原子であれば1,000の異常が出て0.1%になる。生命体が原子ひとつに対してずっと大きい物理学上の理由はここにある。生命現象に必要な秩序の精度を上げるため。

    エントロピーとは乱雑さ、ランダムさを表す尺度である。拡散はその途上では濃度勾配という情報をもたらすが、やがては一様に広がり平衡状態に達する。物質の勾配のみならず、温度の分布、エネルギーの分布、化学ポテンシャルと呼ばれる反応性の傾向も、すみやかにその差が解消されて均一化する。熱力学的平衡状態、あるいはエントロピー最大の状態と呼ぶ。いわば世界の死である。すべての物理学的プロセスは、物質の拡散が均一なランダム状態に達するように、エントロピー最大の方向へ動き、そこに達して終わる。これをエントロピー最大の法則と呼ぶ。

    秩序は守られるために絶え間なく壊されなければならない。エントロピー最大の法則に抗う唯一の方法は、システムの耐久性と構造を強化することではなく、むしろその仕組み自体を流れの中に置くこと。
    生命とは動的平衡にある流れである
    dynamic equilibrium

  • そもそも「生物」とは何か、という定義は難しい。ウイルスを顕微鏡で見るとまるで何かの結晶のような幾何学模様で、個体としての差異がまるでない。これは生物なのか?

    と、いうようなところから始まって著者の米国での学究生活のエピソードと生き物、とくに細胞の働きの不思議さ、それを突き止めるための研究の厳密さ、競争の激しさと醜さなどまさにDNAのようにらせん状に物語が進んでいく。

    ちなみに麻布中学校の入試問題で「ドラえもんは生き物と言えるか答えなさい」(というような)問題が出た、と数年前に話題になっていたと思うが、出題者はこの本を読んだ(あるいはこの本が好きになるような子に来てほしいと考えている)、と見た。

    示唆のあった文章をいくつか引用。
    「仮説と実験データとの間に齟齬が生じたとき、仮説は正しいのに、実験が正しくないから、思い通りのデータがでないと考えるか、あるいは、そもそも自分の仮説が正しくないから、それに沿ったデータが出ないと考えるかは、まさに研究者の膂力(りょりょく)が問われる局面である。・・・ここでも知的であることの最低条件は自己懐疑ができるかどうかということになる。」(P67)

    「私たち(研究者)は輝くような希望と溢れるような全能感に満たされてスタートを切る。…幾晩でも寝ずに仕事をすることをまったく厭うことがない。経験を積めば積むほど仕事に長けてくる。何をどうすればうまくことが運ぶのかがわかるようになり、どこに力を入れればよいのか、どのように優先順位をつければよいのかが見えてくる。
    ・・・しかしやがて、最も長けてくるのは、いかに仕事を精力的に行っているかを世間に示すすべである。仕事は円熟期を迎える。皆が賞賛を惜しまない。鳥は実に優雅に羽ばたいているように見える。しかしそのとき、鳥はすでに死んでいるのだ。」(P86)

    同じ著者の「動的均衡」も必読の予感。

  • "素晴らしい著書。筆者は、科学的知識のない一般の人々に、見事なわかりやすい比喩を用いて生命の営みを伝えてくれる。小さな細胞、原子、核から生き物が普遍性を持って機能している仕組みを喝破する。
    本当に面白い。ただ、私はこの本の内容を正確に他人に伝えるまでには至っていない。
    理解した気分にいる程度。この本を読んだきっかけから科学者を目指す人がきっと出てきます。
    そんなことになったら著者が一番喜ぶのだろうなぁ"

  • 最近思うのですが、ベストセラーになるような学術本にも松竹梅というランクがあるようです。

    梅は、内容をろくに理解できず面白くもないのに流行で売れてしまう本。

    竹は、難解で100%理解するのは無理だとしても、知的興奮を味わえることができる本。

    松は、読んだ後、感動すら覚え文句なく座右の書にしたいと思わせる稀有な本。

    私は、この本は竹として評価しました。

    特に、面白かったのは、あるDNAを完全に欠如させた細胞でもマウスは健全に生存し、あるDNAを部分的に欠如させた中途半端に不完全な細胞では、異常をきたしてしまうという発見です。
    これが機械であれば逆で、完全に壊れた部品が混じればそもそも機能しないだろうし、少し壊れたくらいなら何とか動くはずだし、最悪でも本体を傷つける暴走はしないでしょう。
    しかも、この発見は、科学者のその場の思い付きで検証されたという点に、化学の奥深さ、あえて言えば予測不能な神秘さがあるような気がします。

    そして確実に言えるのは、最先端で最高度の生物学の集合体、それが人間を代表とする生物だということです。

    例え日々を漫然と過ごしていたとしても、我々の体の内部ではトンデモナイ高度な生体維持のための営みが為されていることに思いをいたせば、前向きになれるような気がするのは私だけでしょうか?

    期待以上に楽しめた1冊でした。

  • 動的平衡より先に本書を読みました。
    私は文系なので、理系の知識は一切ありませんが、専門的な用語を無視して読んでも大変興味深い作品であると思います。
    福岡先生の文章の滑らかさは圧巻で、小説を読んでいるかのような錯覚に陥ります。
    また、理系の方ならではの着眼点や理論構成は、文系の方にとっても非常に勉強になるものであると考えます。

  • 遺伝子はDNAの発見の過程にある科学者たちの悲喜こもごものエピソードを通じて、科学とは何ぞや、生物とは何ぞやということが学べる。文系の自分が読んでもとても面白かった。他分野だからこそ、読むものすべて新鮮で、自分の中の知識の引き出しが増えた感じになる。読んでよかった。

  • 生物学に限ったことではないが、「象牙の塔」では我々が窺い知れない苦労や努力がある、そんな書き出しからすんなりと遺伝子工学の話題へと進んでいく。学術解説書ではなく、読み物としての生物譚という感じ。生物とは何か? の答えとして、時間的に不可逆的で、一度折りたたんだら二度と解くことができないという言葉が印象的。しかし、何より自分の印象に残ったのは、著者の少年時代を語るエピローグである。アオスジアゲハとトカゲの回想は、生物は、そして生命は何かを象徴的に表している。

  • プロローグ
    ノックアウトマウスに機能不全が見られないことがあることから、生命というあり方にはパーツが貼り合わされて作られるプラモデルのようなアナロジーでは説明不可能な何か特別なダイナミズムが存在し、そのダイナミズムの感得こそが生物と無生物の識別を可能にしているのではないか、という主張。

    2章
    ウイルスは優れて幾何学的な美しさを持っていた。大小や個性や偏差がないのは、生物ではなく限りなく物質に近い存在だったからである。生命を自己複製するものと定義するなら、ウイルスは紛れもなく生命体であるが、寄生虫のようなものなので、ウイルス粒子単体を見れば生命の律動はないと言える。

    3章
    エイブリーは、DNAこそが遺伝子の物質的本体であることを示そうと確信していたが、それは実験台のそばに最後まであった彼のリアリティに基づくもので、直感やひらめきではなかった。
    突然変異や進化そのものも、DNAの文字上に起きたごくわずかな変化がタンパク質の文字を書き換え、それが場合によってタンパク質の作用に大きな変更をもたらすことで引き起こされるのである。

    4章
    DNAは相補的に対構造を持っているので、部分的な修復が可能である。それだけではなく、DNAが自ら全体を複製する機構をも担保していることが重要だ。

    12章のニューヨークの描写はなるほどと納得させられた。こんなことを書いている人は見たことないけど、そういうことなのかと思った。

    後半はまだじっくり読んでないということもあるが、よく理解できなかった。分かるような分からないような。

  • 三葛館新書 460.4||FU

    和医大図書館ではココ → http://opac.wakayama-med.ac.jp/mylimedio/search/book.do?target=local&bibid=48920

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著者プロフィール

福岡伸一 (ふくおか・しんいち)
生物学者。1959年東京生まれ。京都大学卒。米国ハーバード大学医学部博士研究員、京都大学助教授などを経て、青山学院大学教授。2013年4月よりロックフェラー大学客員教授としてNYに赴任。サントリー学芸賞を受賞し、ベストセラーとなった『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)、『動的平衡』(木楽舎)ほか、「生命とは何か」をわかりやすく解説した著書多数。ほかに『できそこないの男たち』(光文社新書)、『生命と食』(岩波ブックレット)、『フェルメール 光の王国』(木楽舎)、『せいめいのはなし』(新潮社)、『ルリボシカミキリの青 福岡ハカセができるまで』(文藝春秋)、『福岡ハカセの本棚』(メディアファクトリー)、『生命の逆襲』(朝日新聞出版)など。

「2019年 『フェルメール 隠された次元』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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