戦艦大和ノ最期 (講談社文芸文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (202ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061962873

感想・レビュー・書評

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  • 収録内容は以下の通り。

    本編
    「戦艦大和ノ最期」初版あとがき
    決定稿に寄せて
    「鎮魂戦艦大和」あとがき
    鶴見俊輔: 解説
    古山高麗雄: 作家案内

    戦中のうちから、戦争の方針について反対意見が多数あったこと、それらが自由闊達に議論されていたことが分かって良かった。

  • 副電測士の少尉であった著者による、戦艦大和の最後の出撃をえがいた記録文学です。

    太平洋戦争の敗色が濃厚になっていくなかで、大和は片道の燃料だけを積んで、生還を期することのない「天一号作戦」の実行をおこないます。「日本ノ新生ニサキガケテ散ル マサニ本望ジャナイカ」と語る臼淵大尉と、それでもなお戦いのなかで死んでいかなければならないことの理由を求めようとする者との認識のちがいが浮き彫りになりつつも、大和は進路を進めていきます。たびかさなる集中砲火を浴び、著者も死の淵をさまようことになりますが、生きたいという「希求」ではなく、生きなければならないという「責務」によって、著者はロープをつかみ、救出されることになります。

    巻末の「作家案内」を執筆しているのは、「祖国と敵国の間」の作品がある古山高麗雄です。古山は、戦争のなかで著者とは異なる立場に立つことになりましたが、古山のこの作品の書評を依頼された著者は、「こんなに苦しい原稿を書いたことは初めてだ」と語りながらも、原稿用紙30枚におよぶ書評を執筆します。二人のあいだに立場のちがいはありながらも、ともに戦争をくぐり抜けた者としてのことばの重さを感じます。

  • 吉田満 「戦艦大和ノ最期」 戦艦大和の電測員であった著者が、天一号作戦における戦艦大和の出撃から自爆までを記録した本。


    戦争の不条理、悲哀、残酷さ、昂揚感など戦争の全てを再現している感じ。カタカタ文語体の文章が 軍隊を象徴しているように感じる〜規律的というか、ガラパゴス的というか。


    天一号作戦は、往路のみの燃料を搭載し、敵国の標的となれというもの。もはや作戦ではない。この時点で降伏せず、原爆投下まで国家の損失を広げた理由を知りたい


    敵国の的確な攻撃力に対して「敵ながら天晴との感慨湧く。達人の稽古を受けて恍惚たる如き爽快味あり」と感じるあたり、後に日本銀行で日本経済を復興させた人物だけあって、自分と周辺を俯瞰する能力が凄い


    臼淵大尉の言葉「進歩のない者は決して勝てない。負けて目ざめることが最上の道だ〜我々は 日本の新生にさきがけて散るのだ」が玉砕の本質なのだと思う。無理やりな論理構成だが、それで自分を納得させるしかないといった感じ

  • 文語体

    特攻部隊。自分が死ぬとわかりつつも、戦いに一部興奮、やりがいを求める部分もあり。

    大和と米軍機動部隊の攻防。波状攻撃。
    大和沈没後の誘爆、駆逐艦で救助されるまでの出来事。ここが一番生々しかった。
    生きているのが苦しい、死んでやろうか。

    駆逐艦のスクリューで巻き込まれて、、

  • 916-Y
    文庫

  • 本文は文語体で、馴染みがない文章なので難しかったが、その後の著者の解説を読むとなぜ文語体が用いられたのかが分かる。大和の特攻、必敗の作戦に赴き、援護もなく立ち向かっていくがやられ放題、最後には沈んでいく様がなんとも悲しい。生き残ってもまた苦悩、、、

  • 1

  • 有名な本だけど,初めて読んだ。
    吉田氏は大和の最後の天一号作戦に副電測士の少尉として乗り組んだ方。大和の生き残りだ。
    文語体で漢字カナ交じり文だけど,改版で新仮名づかいになっているのはいまいち違和感。旧仮名でいいのにね…。

    引用のとこは旧仮名。p.15のこれは手紙の引用
    “便箋ニ優シキ女文字ニテ誌ス 「お元気ですか 私たちも元気で過してゐます ただ職務にベストを尽して下さい そして、一しよに、平和の日を祈りませう」”

    かなが旧仮名でカナが新仮名というのはどうも違和感。でも改版当時(1981)はもうこの方が売れる,という判断だったのだよねぇ…。

    GHQの検閲がなくなってようやく世に出た初版のあとがきに何か感じ入ってしまった。
    "戦歿学生の手記などを読むと、はげしい戦争憎悪が専らとり上げられているが、このような編集方針は、一つの先入主にとらわれていると思う。戦争を一途に嫌悪し、心の中にこれを否定しつくそうとする者と、戦争に反撥しつつも、生涯の最後の体験である戦闘の中に、些かなりとも意義を見出して死のうと心を砕く者と、この両者に、その苦しみの純度において、悲惨さにおいて、根本的な違いがあるであろうか。"pp.167-168
    "このような昂りをも戦争肯定と非難する人は、それでは我々はどのように振舞うべきであったのかを、教えていただきたい。我々は一人残らず、召集を忌避して、死刑に処せらるべきだったのか。…戦争を否定するということは、現実に、どのような行為を意味するのかを教えていただきたい。単なる戦争憎悪は無力であり、むしろ当然すぎて無意味である。誰が、この作品に描かれたような世界を、愛好し得よう。"p.168
    21歳の若き少尉として大和に乗り組み,多くの戦友とともに艦を喪い,九死に一生を得た著者は,終戦直後にこの作品の初稿を書き上げたという。それは彼という人間の内から出てきた真実の声に違いない。戦争への反省は,文学の仕事ではなくて,批評の仕事だろうと思う。

    戦後の観点からの批判を加えることをしない「戦争記録文学」が当時は格好の非難の的になったこと。
    事実とデータを提示して,東電や政府を論難することのない早野先生が御用学者呼ばわりされるのも,これのミニチュア版なのかも知れない。

  • 映画「男たちのYAMATO」を見て、この有名な本のことを思いだし、読んでみました。

    著者は21歳の海軍少尉として戦艦大和に乗りこみ、その撃沈を生き延び、終戦直後、わずか1日でこの小説の初稿を書き上げたということです。

    大和の最後を描いたこの作品、映画の幾つかの印象的なシーンは、この小説からそのままとられています。たとえば、長島一茂演じる臼淵大尉が、激しく言い争う士官の間に割って入って語るときの言葉とか、特攻作戦を伝える特使にくってかかる若手艦長のシーンとか。

    映画では、戦闘シーンは15分程度だったと思いますが、実際には約2時間、壮絶な(というか制空権、制海権が失なわれた海を行く大和へのほぼ一方的な)戦闘が繰り広げられ、そして巨大戦艦が爆沈した後、放り出された乗組員たちは重油の海の中を2、3時間漂い、ようやく僚船に救出されます。

    この作品は、その戦闘の経緯を描いたドキュメンタリーです。

    文語体、カタカナという、われわれには読み慣れない文体で書いてあるので、とっつきにくいところはありますが、それゆえに独特の臨場感と緊迫感があります。

    雲ノ切レ間ヨリ大編隊現ワル 十数機ズツ編隊ヲ組ミ、大キク右ニ旋回
    正面ニ別ノ大編隊 スデニ突撃隊形ニ入リツツアリ
    「敵機ハ百機以上、突込ンデクル」 叫ブハ航海長カ
    雷撃、爆撃トモニ本艦ヘノ集中ハ必至
    艦長下命「射撃始メ」
    高角砲二十四門、機銃百二十門、一瞬砲火ヲ開ク
    護衛駆逐艦ノ主砲モ一斉ニ閃光ヲ放ツ
    (p72 開戦)

    第二波去ルヤ踵ヲ接シテ第三波来襲
    左正横ヨリ百数十機、驟雨ノ去来セル如シ
    直撃弾数発、煙突付近ニ命中
    塚越中尉、井学中尉、関原少尉、七里少尉ラ相次イデ戦死
    機銃指揮官戦死ノ報アトヲ絶タズ
    艦橋ヲ目指シテ投下サレタル爆弾ノコトゴトクガ外レ、コレヲ囲繞防衛セル機銃群ニ命中セシタメナリ
    魚雷命中、左舷ニ二本
    傾斜計指度僅カニ上昇ヲ始ム
    (p87-88 間断ナキ猛襲)

    治療室ニ辿リ着キ、 傷ヲ縫合スル
    軍医官二名、全身ニ返リ血ヲ浴ビ、マナジリヲ決シテ「メス」ヲ揮ウ
    応急治療室ニハ浴室ヲ使用ス 湯水ノ流ルル「パイプ」ニ、血ヲ通スタメナリ
    他ノ室ナラバ、ヤガテ血ノ海トナリ、血ニ溺ル
    室ノ一隅ハ、天井ヨリ堆キ坂ヲナシテ死体ノ山ナリ
    (p148 救出)

    戦争について書かれた作品の中で、一度は読んでおくべき作品だと思います。
    最初は読みにくいですが、一度読みはじめたら止まりませんから。

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