- Amazon.co.jp ・本 (258ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062157728
感想・レビュー・書評
-
詳細をみるコメント0件をすべて表示
-
人それぞれ、見えてる世界が違って、価値観が自分とは全然違う人もいる。
自分にとっては当たり前で、なんの変哲もないことでも、ある人にとってはヘヴンなのかもしれない。逆に、ヘルなのかもしれない。 -
人生に起こる不条理なことに人はどのように立ち向かうべきか。問題に「正しい」答えなどはなく自分の納得を見つけるしかないのだろうが、運がよく人の助けや偶然のできごと、先人の知恵や流れる時間などに助けられて道が開けることもあるだろう。
2人の中学生が凄惨な虐めを受ける救いの見えない場面が長く続くこの小説は、あっけないほどスムーズに未来への希望を描き出して終わる。美しい場面だけを見せて。なんだかなあ。そして、この本に限ったことではないが、販売促進用の帯に書かれる言葉はいつも軽薄で不要なもの。 -
胸がざわざわする。
いじめがテーマ、という時点で、
気が重いな、直視したくないなあ、と思うのはきっと
私だけじゃあないはずで。
主人公くんは斜視で、それを原因にいじめられているんだけれど
それにはきっと理由なんかないよ、
仕方ないだろ、ただお前はやり返せないんだろ
それだけなんだろうと言い切る「たまたま強者でラッキーな」いじめっ子サイドの百瀬くん。
それには意味がある、わたしたちの護っているものは美しい弱さで
誰もがいつかそのことに気付く、と信じ込むことで
自分を守ろうとする、同じくいじめに遭っているクラスメイトのコジマ。
この物語の主人公はなんというか、あくまでも猿回しで
百瀬君とコジマちゃんの存在感がやっぱり圧倒的。
いわゆるいじめのシーンも盛りだくさん、
リアリティも盛りだくさん、
ただしそれを、誰かしらの行動によってではなく
思想によってのみ進行させていくという物語の形は新しい。
そして、読んでいてつらい。
タイトルに反して、救いの予感なんてぜんぜんなくって、
ページをめくりたくない、とすら思いながら読んだ。
最初のところ、コジマから渡された手紙は
6Bの鉛筆で書かれたような文字でうすく書かれていて、
何かを切らないと正気を保てないといったかのじょに、
なら僕の髪をきればいいよと主人公が言うシーンなぞは
美しい友情ここに極まれりという、この物語でいう絶頂の時なのですが
そこからは下降の一途です。
コジマは弱さと儚さのかわりに強さと狂信を身につけ、
主人公はそんなコジマと相いれないものを感じる。
百瀬君に抗議してみるも、たまたま運のいい彼の、諦観ともいえる
理論を論破できない。
百瀬君の理論は、
彼がそういうふうに生まれてついているから
たまたま言えるだけであって、
驚くほど他者への想像力が欠落していて、それを仕方がないものと
思っている彼のような存在たちは、一度、手ひどい目にあわせなければ
わからないのかもしれない、とまで考えてしまう。
なんていったらいいのかな、
誰もが目を背けたいところに、体当たりでぶつかられてきたので、
つい目を向けなくちゃあいけなくなりました、という感じ。
意欲作だと思うし、問題作だと思うし、きちんと文学している。
話題になるのもわかるし、評価されるのもわかる。
ただ個人的にはもう読みたくない。
このなかに目新しいなにかを見つけられたわけではなかったし。 -
私が言葉に出来なかったことが、この本に書いてあった
-
重い・・・。
色を感じない本でした。
見えるのは血の色と、アロハシャツの色。
装丁って、本そのものなんだなぁ・・・。 -
非常に重みのある小説でした。読みながら色んなことを考えました。
-
読み返すのも苦しいくらい、ただただ痛くて辛かった。この登場人物たちに共感はしなくていいんだと思うし、カタルシスは起きなくていいのかもしれない(現実はそうじゃないし)けど、ずっと喉の辺りに苦しさが残るストーリーだった。
-
君はなんでそれができないんだ?
自分がされて嫌なことを他人にしてはいけないという倫理観を根底から否定する
ルサンチマンとニヒリズム
ニヒリズムについて「絶対的な価値が消失すること」「絶対的な目的がなくなること」「絶対的な意味がなくなること」といった表現を使います。
ルサンチマン(仏: ressentiment、 (フランス語発音: [rəsɑ̃timɑ̃]) )は、弱者が敵わない強者に対して内面に抱く、「憤り・怨恨・憎悪・非難・嫉妬」といった感情。 そこから、弱い自分は「善」であり、強者は「悪」だという「価値の転倒」のこと。