- Amazon.co.jp ・本 (258ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062157728
作品紹介・あらすじ
「僕とコジマの友情は永遠に続くはずだった。もし彼らが僕たちを放っておいてくれたなら-」驚愕と衝撃、圧倒的感動。涙がとめどなく流れる-。善悪の根源を問う、著者初の長篇小説。
感想・レビュー・書評
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苦しくて、痛ましくて、二度と頁を開きたくないけれど、胸に突き刺さる物語。
「ロンパリ」と、斜視で生まれてきたことが罪であるかのように罵られ、
筆舌に尽くしがたい暴力に晒される日々を送る中二の「僕」。
別れた父を忘れないための「しるし」として、敢えて汚れを身に纏い、
「わたしたちは仲間です」と僕の筆箱に手紙を忍ばせ、
自分と同じように苛めに静かに耐える「君の目がとてもすき」と言うコジマ。
ふたりは手紙で心を通わせ、時にはふたりきりで会って励まし合いながら
教室では目も合わせず、まるで弾圧下のキリシタンのように苛めに耐え続けるけれど
「したいからするんだよ」「良心の呵責みたいなものなんてこれっぽちもない。」
「僕にとっては苛めですらないんだよ」としれっとして言い放つ、
苛めの影の首謀者 百瀬の態度に端的に表れているように
人間サッカーボールとして蹴られて血みどろにされても
暴力で報復しようなどとは露ほども思わない僕の倫理も、
人を苛めるしかない人間のためにも、美しい弱さで苦難に耐え
乗り越えることこそが自分の使命だと信じるコジマの自己犠牲も、
酷薄な苛めを積極的に続ける人間には届かない。悲しいけれど。
「理論武装」という言葉をそのまま3D化したかのような百瀬の
自分が思うことと世界の間には関係がない、という主張はある意味正しいけれど
だからといって、自分の価値観の中に相手を引きずり込めた方が勝ちと嘯き
そのためには手段を選ばない、彼のような人間が病巣となって
悪意が蔓延していくような世の中になったら・・・と思うと、ぞっとしてしまう。
斜視で全てのものが二重に見えてしまう僕よりも、
自己犠牲に酔って壊れていくコジマよりも、百瀬がいちばん病んでいる。
雨に打たれ、痩せた身体を晒し、自己犠牲の恍惚の中で苛める側に微笑むコジマにも
コジマが好きだといった斜視を手術で治してしまったことを懺悔するかのように
はじめて像を結んだ世界の美しさを誰とも分け合えないと思う僕にも、伝えたい。
身体の不自由さや、不幸な環境を敢えて維持して繋がって
痛々しいほどの自己犠牲に耐えてまで、理不尽な苛めに対抗することなんてないんだよ。
「目なんて、ただの目だよ。」と言ってくれたお母さんや
たった1万5千円で済む手術の可能性を知らせてくれたお医者さんのように
今、手に入れられるものを素直に健やかに受け入れて自分を救うことで
大切な誰かに手を差し伸べられる人にだってなれるんだよ、と。-
まろんさんこんばんは。
わたしのブクログにコメント、フォローをありがとうございました!
この『ヘヴン』のレビューがすごくすごく胸に響いて...まろんさんこんばんは。
わたしのブクログにコメント、フォローをありがとうございました!
この『ヘヴン』のレビューがすごくすごく胸に響いて、それからとても気になってこっそりおじゃましていました///なので余計うれしいですありがとうございます。
『ちょんまげぷりん』は映画だけじゃなかったんですね!はじめて知りました。わたしも原作、読んでみたいと思います♪
読書ペースはスローなのですが、まろんさんみたいにたくさん本を読んで、消化できる人になりたいです。
こちらこそよろしくお願いします(∩^^∩)2013/01/08 -
ほしさん、コメントありがとうございます♪
光栄なお言葉に、うれしくて猫を抱いてくるくる回っている私です(*'-')フフ♪
『ちょんまげぷり...ほしさん、コメントありがとうございます♪
光栄なお言葉に、うれしくて猫を抱いてくるくる回っている私です(*'-')フフ♪
『ちょんまげぷりん』は、かなり前に別タイトルで出版された本だったらしいのです。
改題されて、これは誰?!と思うようなイケメンの表紙になって文庫化されています♪
なんと、現代→江戸時代という逆パターンのタイムスリップを描く、2巻目まであったりします。
お読みになったら、ぜひレビューで感想を教えてくださいね(*^_^*)2013/01/10
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川上未映子さんの作品、初読みです。ちょっと期待とはずれていたかな…ってのが正直な感想です。壮絶ないじめにあっている僕とコジマ…いじめのシーンを読むのは結構応えました…。序盤から納得できない描写もあったりして…次は別の作品を読んでみたいと思いました。
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人間のありかたと社会との関わりを根本的に問い直す本。読みやすい文章で率直に様々なことが書かれている。乳と卵の前衛性とは随分違った、率直で正統派の雰囲気に驚かされた。
内容は、端的に集約すれば、コジマの主張と百瀬の主張にある。しかしこの本はその正反対なあり方のどちらを取るかに重きが置かれているわけではなく、両方の間揺れ動きながらただ結末を迎える。コジマの主張は揺るぎなく強く美しいが、現実味を欠いた部分があり、特に最後のくだりではひとりよがりさも露呈したかな、という印象。一方の百瀬は、達観していて現実的だが、どこまでも冷酷ではっきり言って人間の情のようなものがかけらもない。こちらも、自分は自分、世界は世界というある意味のひとりよがりの側面も見える。どちらが正しいとかではなく、極論に近いものをふたつ並べることで、自分の求める真理や正義のようなものに近づいていくという姿勢は非常に学問的であり文学的であり、ストーリーも面白い上ここまでの内容を含むという本はなかなかないと思う。
個人的には、あえて語られていない様々な伏線が気になります。僕がトイレで聞いた二ノ宮と誰かの声。体育の授業をいつも休んでいる百瀬が病院にいた理由。百瀬の妹について。二ノ宮の百瀬への過剰な反応。またコジマや僕の家庭環境についても、描写はあったけれどもまだまだ設定はあったのに出し切っていないような、そんな印象を受けました。小出しにするのがとても上手い。ひとつ言えるのは、百瀬はかなり死に近いものとして存在しているかもしれないということ。それこそが百瀬の主張を固める素材なんじゃないかなあ。どちらにしろ、色々な側面から見てとても上質な小説だった。もう一度読みます。 -
もし自分の子供がいじめられてたら、学校なんか行かなくていい、と言おうと思っている。
では、自分が教師だったらどう言うだろう。いじめられてる子どもを守れるだろうか。ニュースや新聞で見るような無責任な教師には絶対なりたくないと思いつつ、どうすれば子どもたちを守ってあげられるかが分からずにいる。
無闇に助けても、裏でいじめが悪化してしまうこともあるし、その場しのぎの仲直りなんて無意味だ。
わたしが教師だったら、学校だけが全てじゃないと言うことしか出来ないかもしれない。
学校という場所は、不安定な気持ちが子どもの数だけあるから、難しい現場だと大学で勉強をしながら、常日頃感じている。
とても身近なものになってしまったいじめについて、もっとしっかり考えていかなくてはいけないと、強く考えさせられた。 -
いじめの描写を読むのが辛くて、本当にこんなことやる人間がいるの?って思ったけど実際いるんだよな…
自分の子どもや孫がこんな目にあったら、この物語のお母さんと病院の先生のように困難を解決するよう導くことができる大人でいたいと思った。
以下読んでいて憤りを感じた部分。
百瀬がしたいことをやってるだけだ、したいことは正しいとは限らないって言ってるのに、大人に見つからないようにやるのは何でだ?って主人公に聞かれたら、面倒だからだよと言った時。
コジマが斜視の手術の話を聞いて、自分だけ逃げるのは許さないという反応をした時。