- Amazon.co.jp ・本 (370ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062171120
感想・レビュー・書評
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在特会って、すごく暴力に弱そう。ここは暴力と言うよりもゲバルトという方があっているかもしれないけど、反対勢力にそれをかけられたら脆いと思う。
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そもそも彼らはなんでこんなことを主張するのか。
これにあるのは、ネット上でのエスノセントリズムに満ちた罵詈雑言が不思議だからだ。どこのどんな面した連中がこんなことを書いているのだ? と。それを実際に見てみたいという気持ちはわく。
で、実際に面出しした連中が現れたし、それを追ったルポということになる。
結果は、なんというなく予想通りという感じで意外性はない。
意外性がないだけに、疑う気持ちもわく。
だれしもがもつ憎悪や恐怖、そして差別感情を、匿名だから言いたい放題言うという見方。特別な存在ではなく、そこに心の闇を拡大するツールがあったというものだ。
なぜそうするかというと、社会が不安定になって、仲間を求めるからで、仲間を作る手段として恐怖や憎悪を利用している。
だから、実際の「敵」が恐るべきものなのか、憎むべきものなのかは、どうでもいい。
著者はあえてこの用語や説明を使っていないけど、ナチス台頭時のドイツと同じであり、階級脱落や無産階級であり、疎外であり共同体の喪失だ。エーリッヒ・フロムの自由からの逃走の見立てである(エーリッヒ・フロムについては本書内で言及している。)
これ(自由からの逃走の見立て)は私も妥当だと思う。というか、そういうふうにしか見えない。
2ちゃんねるでもそういうことなんだろうなあと思っていて、面出しした連中のルポを読んでみたら、実際にそうだったという感じだ。
それだけに、「分かりやすすぎる」というのが、いささかひっかかる。
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では具体的に、他にどういう解釈があるのかと言われると分からない。
ただ、なんとなくだけど、良いいい方が思い浮かばないのだけど、それは「闇」じゃないのではないかと思う。
闇じゃなくて、「暴力の欠如」にあるように思う。なんでこんなにゲバルトに弱そうな活動が、曲がりなりにも存在しているのか、そっちのほうが気になった。なんか間尺に合わないぞ、と。
それは、在特会に「敵」とされた側からの暴力的反撃(つまりはでもで乱闘になって、鉄拳でもゲバ棒でも殴り倒せ)の欠如という意味ではなくて、「暴力を受けるかもしれない」という恐怖感が在特会に欠如しているという意味だ。
私は、この本の中で「大人たち」と言われている人々に違和感を感じた。
彼らはこれを知っているはずなんじゃないのか。むしろプロなのではないか。
世代間のギャップとか、ネットとか、「リアルとバーチャルの区別の付かない」という説明とか、そういうところに落としこむ話じゃないように思う。
まとまりのない感想文ですいません。オチ無しです。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
在特会を追いかけたルポ。実際にメンバーに取材をしている点は評価できる。
著者は、節々でメンバーの心理を推察している。しかし、感想でしかないので、たんたんと事実だけを記録したほうがよかった。
在特会の成長のはいけには、カリスマ的リーダー、国内にいる「敵」への攻撃、人々の心の隙間、集団性など、
ナチスと同じ集団心理の原理が働いている。
これはナチスだけでなくカルト集団などにも起こる再現性のある現象である。集団心理やナチスドイツの歴史などを勉強してから、書いて欲しかった。
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