今こそアーレントを読み直す (講談社現代新書)

著者 :
  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (232ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062879965

作品紹介・あらすじ

「分かりやすさ」を疑う。アーレント的思考が、現代社会を救う!閉塞した時代だからこそ、全体主義を疑い、人間の本性・公共性を探る試み。

感想・レビュー・書評

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  • ハンナ・アーレントの思想を、彼女の著作を軸に、現代にひきつけた問いから整理した書。少ない文章量の中で鋭くまとまっていて、読み応えがあった。

    今回とくに面白かったのが、第二章「『人間本性』は、本当にすばらしいのか?」。

    「アーレントは、そうした冷厳な現実を踏まえて、『人間性のすばらしさ』あるいは『ヒユーマニズム』を無邪気に信じ、それを信じることによっていつかユートピアが実現できると思っている"良心的"な知識人たちに警告を発しているのである。無邪気な『人間性』信仰は、その理想に合わない者を排除する全体主義に繋がりかねない、と。」

    私自身、思想や哲学の本も、新聞やテレビのニュースも、今の現状を見通す物語を期待して読んでいるふしがある。現実はそんなに単純ではない、冷静であれ、と釘を差された気がします。

  • やはり最後まで一気に読んでみて感じたことはただ一つ、解りづらいの一言である。それは本書がわかりづらいのではなく、ハンナ・アーレント自体の考え方が非常に中庸的というか、世の中のわかりやすい議論が白が黒か左か右かといった風潮の中で、極論はなくあくまで白と黒左と右の中間地点にいるからではないだろうか。これはよく考えれば当たり前のことで、日本の政治を見ていれば感じることが多い。政党全体でまともな頭の人たちがあれだけ集まっていて、与党と野党の意見がすっぱり割れるなんて事はあり得ない。ましてや100人を超えるような組織の構成員が全員右か左かなんてあり得ないし、どっちつかず、よく言えば双方の良いところどりになって当たり前だからだ。アーレントは著書「全体主義の期限」において全体主義の成立を説明するが、確かにマルクスの様に労働階級が資本家の搾取から解放されるための闘争とするのに対して、大衆が深く考えずに明確な意見に迎合していく危うさを説いている。これくらいならまだまだ基本的なアーレント読者にはわかりやすいのだが、極端な状態を極力否定していくイメージが私の中では強い。
    私生活においても恋愛などから多くの学びと影響を受けていたと思われるが、そうした背景には本書は触れずに、あくまでアーレントになり切った筆者が、彼女の主張を代弁していく形をとっており面白い。またその解説も「分かりにくい」「掴みどころがない」事を大前提に書いてくれているおかげで、アーレントの今まですっ飛ばして読んでいた世界から、立ち止まって考える時間をくれるものとなっている。
    世の中そんなに、左も右もはっきりしておらず、自分の意思を示さずに、ただ大きな力に流されがちな我々一般市民に対して、責任持った発言と行動を強く呼びかけ、自分主義から公共の利益に考え方をシフトする。そんな本来社会ができて当たり前の事ができていない現代社会。改めてアーレントが再注目されている背景には、そうした政治や考える事を避ける国民に対して大きな警鐘を鳴らしてくれる。
    ちなみに本書の構成はアーレントの人物性に先ずは若干触れ、その後「悪」とは何か、「人間の本性」人が如何にして自由になれるなか、そして実践・参加することの意義と意味という流れで、アーレントの著書である「イェルサレムのアイヒマン」や「全体主義の起源」「人間の条件」を引きながら筆者自身の解釈を展開していく流れになっている。新書のページ枚数に纏めるのはその選択も大変だったであろうが、我々読者がアーレントに触れやすい内容だと思う。

  • とにかくこの先生は難しい思想家の本をわかりやすく解説してくれる。大変助かる。

  • 人間本性は本当にすばらしいのか?人間はいかにして自由になるか?傍観者ではダメなのか?
    古代ギリシアのポリスにおける政治から、カントの美と崇高の判断力批判を政治哲学に結びつけ、観客の比喩で役者としての活動家と、観客としての公正な注視者で、複数性を醸成する政治の重要性を強調するアーレントを、マルクスとの対比や、現代的な例を示しながら解説する。
    特に主著『人間の条件』で強調された「活動」が、『カント政治哲学講義』では「観客」の強調へと変わっている点の指摘が、一般的なアーレント解説と異なるところだ。
    古代ギリシアでは、男性市民が私的領域で女性・奴隷を従え、公的領域で政治を議論する活動を行い、共通善としてのポリス維持を実現できた。現代では経済economyが、家オイコスから社会全体の生産体制へと移ってしまったため、マルクス的にいう労働の疎外が起こり、私的領域と公的領域の二分が解体され、経済的利害調整が政治の主題となり、しがらみから自由で純粋に共通善を議論できるような場がなくなってしまった。
    マルクス、ひいてはそのルソー解釈における自然状態へと回帰する解放libertyの思想は、全体を一つのわかりやすい世界観で統一し、孤独にアトム化した大衆=消費者=受容者をまとめ上げるが、二項対立で悪者を設定して排他的になるため、宗教的で全体主義的な動物的営みへとつながる危険な思想である。偽善的な仮面personaを引き剥がし、弱者への憐みがある自然な本来の人間性を取り戻そうとしたフランス革命期のロベスピエールは、反対派を弾圧し、多様な人間person性まで取り去ってしまい、持続性のない恐怖政治を行い挫折した。他方アメリカ革命では、憲法を制定し、州の多様な政治的自由を認めた上で国家を建設できた。
    『人間の条件』では、人間の活動を労働、制作、活動に分け、中でも政治的議論をする活動が、人間的な多元性=複数性を、人間同士の間に作ることができるとした。公衆publicの前に現れappear、活動家=役者actorが活動=演技actionする。また、私的な事柄privateは欠如privatusとして私秘的に扱うことが、自由な人間でいられる条件であった。それは、活動だけでなく、私的領域において、熟慮=観想的生活=哲学者的な態度が必要であるということだ。これはアリストテレスが人間の営みを、観想=理論、実践、制作poiesisに分けたことに由来する。観想はソクラテス裁判における実践の困難による反動だ。マルクス的な実践の重視は、制作が労働の延長であり、自然を変化させることを念頭に置いた人間の活動であることによる。
    後期アーレントはそういった私的領域、個人の内面に焦点を当て、『精神の生活』では、思考、意志、判断を主題とし、未完となった判断については、『カント政治哲学講義』で補完されるというのが通説である。
    現に思考しているこの瞬間に「私」は存在しており、「思考」は「現在」における自己言及的な循環構造である。これはデカルトのコギトと、ハイデガーの現存在-時間論を結びつけている。
    意志は、willのような「未来」に関わる概念であり、それは自然物理的な因果法則から自由であるという前提に立たねばならない。なぜなら、欲求などの単線的な原因から自由でなければ、意志が何かを決定することはあり得ないからだ。カントの無条件の道徳、定言命法が原因を要しないのは、そのような前提を設定しなければ、刺激に反応するだけの機械や動物と異なる「人間の道徳」が定義できないことによる。
    判断は現在から「過去」の善悪を判定することである。政治的共同体のガイドラインとなり、思考と意志、観想と活動を結ぶ重要な能力である。
    カントの『判断力批判』において、美の判断は、他者に伝えられる言語的な「一般的伝達可能性」、他者を想定して感覚を調整する「共通感覚」、他者を想定して判断を調整する「拡大された思考」によって決められるとしている。アーレントはこれを、『カント政治哲学講義』の中で、政治的判断力の議論として応用し、特に「共通感覚」「拡大された思考」を「拡大された心性」と呼び、共通の価値観や思考形成を説明している。
    著者仲正昌樹によれば、この議論によって、判断力→共通感覚→拡大された思考様式→活動→公共性とつながり、カントの三批判とアーレントの政治哲学、観想的生活、活動的生活がつながる。
    また、アーレントは『カント政治哲学講義』の中で、活動者=役者だけでなく、観客=注視者が重要だと述べている。芸術作品を成立させるには、美を判断する観客が必要だ。同様に政治的出来事を判断する注視者が重要だ。アダムスミス『道徳感情論』において、社会的経験を積むことで他者の立場を想像できるようになる「共感」(ルソーの自然状態の「憐み」とは対照的)によって、公平な注視者が各人の内に形成されるという。内なる注視者が自身を判定する。さらに、他者と意見交換を行うことで、それぞれの内なる注視者が接近する。これがカント-アーレント的な「拡大された心性」と言える。活動的な当事者しか問題を語れない訳ではない。客観的に社会環境を観察し、自由に議論することで、政治に複数性がもたらされるのである。

  • アーレントゼミのために読了.わたしは活動的の方よりも「観想的生活」の分析に関心があるので『精神の生活』に興味を持った.アーレントのカントの解釈も気になる.

  • アーレントの思想がますます分からなくなった(いい意味で)確かに彼女のイデオロギーや思想の立場を定義するのは非常に難しい。アーレントをよく知らなかった時は、リベラル論者だと思っていたが、一般的には右寄りの認知されている、しかし日本では左派から評価を受けることも少なくない。複雑な理論であるが故に、右・左の二元論で片付けるのは不可能なのだろう。

  • わかりやすい、または受容しやすい政治は、全体主義につながる恐れがある、人それぞれが、政治に直接関わろうと関わるまいと、「複数性」が保たれる事が大事。と言う風に読みました。

  • ハンナアーレントの著作が難しすぎて断片的に共感できるところだけ読んでいた私にとっては、わかりやすくまとめられた上、著者の視点や考察、逡巡も感じられ読みやすかった。それでも理解しながら読み進めると時間がかかる。
    アーレントの映画は見たけど人間の条件に挫折した自分はここからもう一度読もうと決意…
    労働、仕事、活動の違いもありがたく拝読。
    活動を重視するアーレントには共感しつつ、公共の概念がピンとこない自分にとって日本における「おほやけ」の考察など、うなりながら理解を深めました。
    カントの共通感覚や観客の視点など、現代社会や芸術への応用?援用?もなるほどと納得。さて次は何にトライしてみようか。

  • なぜ人々はナチスを支持したのかという問いに、人類社会の構造や進化から答えたハンナ・アーレント。難解なその思想をわかりやすく解説。

  • 哲学
    政治

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著者プロフィール

哲学者、金沢大学法学類教授。
1963年、広島県呉市に生まれる。東京大学大学院総合文化研究科地域文化専攻研究博士課程修了(学術博士)。専門は、法哲学、政治思想史、ドイツ文学。難解な哲学害を分かりやすく読み解くことに定評がある。
著書に、『危機の詩学─へルダリン、存在と言語』(作品社)、『歴史と正義』(御 茶の水書房)、『今こそア ーレントを読み直す』(講談社現代新書)、『集中講義! 日本の現代思想』(N‌H‌K出版)、『ヘーゲルを越えるヘーゲル』(講談社現代新書)など多数。
訳書に、ハンナ・アーレント『完訳 カント政治哲学講義録』(明月堂書店)など多数。

「2021年 『哲学JAM[白版]』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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