日本軍と日本兵 米軍報告書は語る (講談社現代新書)

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062882439

作品紹介・あらすじ

私たちは、日本軍、とくに日本陸軍というと、空疎な精神論ばかりを振り回したり、兵士たちを「玉砕」させた組織というイメージがあります。しかし、実際には、「玉砕」ばかりしていたわけではありません。孤島で追い詰められた場合はともかく、ニューギニア、フィリピンなどの大きな島では、徹底抗戦、持久戦がとられましたし、沖縄でも、最後に出された指令は、組織的抵抗を最後まで継続せよ、というものでした。
 もちろん、だからといって、日本軍が玉砕をしなかった、あるいは合理的な組織だったということではありません。ただ、日本軍=玉砕というイメージにとらわれると、なぜ戦争があれだけ長引いたのかという問いへの答えが見えづらくなってしまうのです。
 日本軍、とくに日本陸軍の実像をどうとらえるべきなのか、本書は、戦争のもう一方の当事者である米軍が軍内部で出していた広報誌『Intelligence Bulletin(『情報広報』)を用いて、彼らが、日本軍、そして日本人をどうとらえていたかを探ります。
『情報広報』には、例えば、日本人はLとRの区別がつかないので、戦場で日本人か中国人か判別がつかない場合には、それらが入った文章を言わせることといったことが書かれています。また、日本兵個人の特徴として、規律は良好、準備された防御では死ぬまで戦う、とある一方で、予想していなかったことに直面するとパニックに陥る、自分で物を考えないといった分析がされています。
 さらに、日本の兵士らがじつはさまざまな不平不満を抱えていて、投降させることもできた、といったことが書かれているのです。
 本書は、気鋭の研究者が、米軍内部の資料をもとに、従来の日本軍イメージをとらえなおす一冊です。

感想・レビュー・書評

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  • 従来色々な戦記物などを読んできて思い描いていた日本兵の姿とは、飢えに苦しみ貧弱な火器しか持たされず、だが一方では勇敢に最後の一兵まで敵に立ち向かう様な勇ましい姿が多かったように思える。実際は野火に見られる様に、とても天皇陛下の臣下とは感じられない、汚く卑怯かつ味方をも騙す様な狡猾さ(生き延びる為に仕方ない面があろうとも)を持ち合わせるものも多かったであろうが。兵士と言えど人は人だ。恐怖心も空腹も絶望感も虚無感も持ったただの人間である。特に職業軍人でもなく令状一枚で召集された様な民間人であれば尚更、兵士としての心構えや国、上官に対する揺るぎない忠誠心を全員がもっていたかどうかは疑わしい。というかあり得ないだろう。一人一人の異なる教育や生活環境で育った人間の集まりであるから、必ずしも「日本兵はこういうものだ」と言い切るのは難しいまでも、本書の様な、戦った相手側であるアメリカによる分析は面白い。
    開戦当初は海軍の奇襲攻撃に始まり、東南アジアを銀輪部隊が神速で諸外国の軍を撤退させるなど確かに強く勇ましく感じられる側面が多かったであろう。またドイツの様に全体主義に駆られた日本が、個人の自由に溢れたアメリカよりも遥かに統制が効いて怖いもの知らずという憶測もあっただろう。だからアメリカ兵は見た目も考え方も言葉もわからない日本兵を極端に恐れた可能性も十分にある。だからこそ早くからアメリカは日本兵の実態を調査し、戦線に伝える事で、兵士の不要な不安を払拭し、士気を上げる事は重要だ。その点筆者が言う様に誇張された(実際よりも弱く描かれた)可能性はある。
    だが、前述したように兵士と言えどただの人間である。どんなに精神力が強くても肉体の強さはそれほど大きく変わらない。そこに圧倒的な火力を有するアメリカ兵が強いと言うのは当たり前である。強いて言うなら孫子の兵法にあるように終始追い詰められ死地に陣する日本兵が「死に物狂い」「火事場のクソ力」を発揮していた可能性があるぐらいなものだろう。
    本書で新しさを感じたのはそうしたアメリカが見た日本の視点だけでなく、「学ばない軍隊」と言われる日本軍もサイパン、テニアン、グアムの敗戦を機にその後の硫黄島や沖縄戦に戦術を変えて改善を加えてきている点である。水際作戦を採らない事はよく言われる事だが、もっと多くのことを学び改善を図ろうとした姿は他の書籍ではあまり見かけない。失敗を活かさない面だけがやたらと強調される日本軍ではあるが、こうした改善が図られていた点は感心した。ただし時既に遅しという想いは残る。
    現代社会に於いても経済、外交の中では諸外国と物理的な火力を用いないまでも戦闘は繰り広げられている。形を変えながらも考え方や技術、判断力などの違いはビジネスの中にもしばしば現れてくる。こうした書籍を読み我々の前の世代がどの様に相手を分析して行動に活かしてきたか。それを知る事は今後を生きるヒントになるかもしれない。

  • 米軍が日本軍との戦闘の中で、日本兵が超人的な人間ではなく、普通の人間であり、かつ日本人のメンタリティがどのようなものか、を軍報にのせて米兵に周知していく。敵側の情報の方が的確に日本群像を捉えている、というのでは、戦争には勝てない。米軍と日本軍の作戦遂行上の違いが際立つ。

    「恥」が何より先に立つ。周りの「目」を気にする。「貸し借りに生真面目」なるほどなぁ。

  • 日本軍は精神論ばかりで玉砕してばかりという一般的なイメージに対して、アメリカ側の分析を通して実際の日本軍に迫るという建付けの本である。
    結論としては日本軍は自軍の環境下においては合理的であるというのが本書の結論だ。戦車無い状態で相手に勝つにはそら爆弾持って突撃するしかないだろう。
    しかし、やっぱり読めば読むほど日本軍アホやんというイメージが強くなるのは何なんだろうか(笑)
    そもそもアメリカと戦うことが合理的選択ではないので、その時点で合理的に戦うもクソもないっちゃないのだが。

  • 米軍の対日心理戦研究

    ご先祖様たちのご苦労を知り、米軍報告書の研究の指摘はそのまま今の日本人や私自身にもあまりにも当てはまるので受け止めなくてはいけないと思います。

    「日本人の特徴」「日本人の人種的起源」について
    「彼らが信じている人種的純血性とは異なり、実際は少なくとも4つの基本的人種の混血である。マレーから来たマレー系、華北から来たモンゴル系、朝鮮から来た満州朝鮮系、そしてアイヌのような日本固有の部族」と述べている。

    戦士としての日本兵
    規律はおおむね良好であり、特に戦友が周囲にいたり地の利を得ている時には大胆かつ勇敢である。確かに勝っている時は勇敢だが、予想していないことに直面したり、追い込まれるとパニックに陥る。
    日本軍と互角にぶつかった場合、特に頑強な相手とは見ていなかった。追い詰められ、苦境に立つといつもパニックに陥り、恐怖を示した。
    日本軍はすぐ混乱に陥る。手榴弾を投げるふりをしただけでバラバラになって逃げ去ってしまい小銃の良い的となる。
    個人射撃は下手だが、集団射撃、すなわち上官の命令による一斉射撃は良好
    集団戦法が得意
    格闘戦では我々の敵ではない。1対1の格闘に弱い。

    英軍も日本兵は精神的に弱いという評価
    日本軍の虚を衝くと奴らは全然戦う準備などしていない。奇襲するとパニックに陥り、叫び逃げる。射撃して可能な限り速やかに 一掃すべきである。しかし日本兵がひとたび立ち止まると臆病ではなくむしろ勇気ある戦士となる。
    将校を倒すと部下は自分では考えられなくなるようでちりぢりになって逃げてしまう。

    日本の銃剣率は単純な突きばかり
    銃剣戦でも直突、突きばかりを用い、殴るなどの技を知らなかったりで、弱い。

    日本兵でも都会と田舎では相当かの文化的格差があり、都会の日本兵は映画の影響などで相当 親米であった。
    靖国に関しても同じであったが、一方で皆降伏したり捕虜になったら、祖国には戻れないと信じている。
    個人的には、日本兵は頭脳と自分で考える力を考慮に入れる限り、3流の兵隊だと思う。
    日本軍兵士は敵アメリカと戦うための明確な大義を自分で考え、敵を激しく憎むことができなかったことになる。

    また、次の日本兵たちの態度に奇異な印象を示していた。
    日本兵は互いに愛情を持たない。例えばあるトラック中隊は上級将校の命令がない限りよその中隊を手伝おうとしない。トラックの仕事がないとのらくろ している。

    捕虜たちは捕まったら、生まれ故郷の人々に対して終生の恥であると思っていた。
    逆に言うと生まれ故郷以外なら元捕虜の汚名を背負っても何とか生きていけるだろうという打算をを働かせる者もいたのである。

    日本兵捕虜たちは厚遇するとすぐ協力的になった。

    日本軍の司令官が出した膨大な命令は、彼ら自身が、大部分を占める単純な田舎者の兵隊は、連合軍の尋問がうまく乗せれば、喜んで何でも喋ってしまうことを十分認識していることの証である。
    と分析されています。

    日本陸軍が宗教精神とはほぼ無縁の軍隊だったことが米国人の眼には奇異に映ったのだろう。日本人はあまり意識しないことだが、日本軍ほど宗教性の薄い軍隊は世界的に見ると実は異質な存在なのかもしれない。

    死ぬまで戦えという軍の教えを自ら実行した人には実に丁重だが、生きて苦しんでいる傷病者への待遇を劣悪で撤退時には敵の捕虜にならないよう自決を強要している。もはや戦果よりも戦死それ自体が目的化しているかのようである。日本兵にとって戦友の命は軽いものだと米軍は判断した。

    日本兵たちの生と死をめぐる心性を「天皇や大義のために死を誓っていた」などと容易かつ単純に理解することはできない。米軍の監察によれば 中には親米の者、待遇に不満を抱き、戦争に倦んでいる者もいたからである。その多くは幸福を許されず最後まで戦ったが、捕虜となったものは米軍に「貸し借り」にこだわる心性を見抜かれて、あるいは自分がいかに役に立つかを示そうとして、己の知る 軍事情報を洗いざらい喋ってしまった。
    日本兵は病気になってもろくな待遇を受けられず内心不満や病への不安を抱えていた。戦死した者のみを大切に扱うという日本軍の精神的風土が背景にあり、捕虜たちの証言はそれへの怨恨に満ちていた。これで戦争に勝つのは難しいことだろう。にもかかわらず兵士たちが宗教や麻薬に救いを求めることはないか、あっても少なかった。それがなぜなのかは 今後の課題とせざるを得ない。

    日本陸軍は機械に支えられた人間の軍隊であり、 我々は戦闘機械を用いる軍隊である。このことが 両者の明確な違いであり、軍事に関する日本のあらゆる言説がこれを実証している。
    「機械力」「火力」で叩きのめされて士気は著しく低下した。日米では「戦争」に対する理解が根本的に違っていた。次元の違う米軍の「物的戦力に臆して」いたのである。

    戦争後半のアジア太平洋戦線は悲惨な全滅、玉砕戦の印象が強く、それは決して間違っていない。
    日本陸軍の戦法は米軍の阻止という目的に限って言えば合理的と言えなくもない。将校不足という現実に対処するため、兵を切り込みに投入したり、精神論を振りかざすのも、勝つ、あるいは負けないために、他に取るべき手段がないのなら合理的ではないだろうか。
    洞窟戦法など、様々な日本軍の戦法を「非合理的」「ファナティック」とはなから決めつけるのは正しい歴史の理解だろうか、当時の日本軍にとってはかなり「合理的」な7戦略」だったのだとも言える。

    むろん、日本陸軍の非合理性を否定することとそれを正当化、賛美することとは全く別の話である。戦争指導者たちが狭い意味での合理性を追求してこの戦争は必勝だと自分で自分に言い聞かせるために普通の日本兵たちの人命が惜しげもなく犠牲に供された事実は改めて強調しておかねばならない。

    米軍により
    「日本軍将校にとっては体面と志操の維持が最も重要であり、それへ空想的な英雄気取りとなりがちである」との指摘がある。

  • 日本軍といえば玉砕の軍隊、精神論を振りかざし意味の無い攻撃ばかり繰り返した軍隊という印象が強く刷り込まれているが、それだけではない日本軍の姿、しかも日本軍側からではない米軍側から見た姿が分かる。しかし、メインに扱われている資料は戦中に米軍が兵士の向けに作っていた(言ってしまえばプロパガンダ)雑誌をまとめたものなので、「米軍報告書」とは言えない。
    前半では、米国の娯楽を好み、相手の出方によっては投降もし、ついつい機密情報を話してしまったりサボる人も文句を言う人も現状に疑問を抱く人もいる今と変わらないごくごく普通の日本人、日本兵の姿が見られる。戦場での葬式の様子や、陣地にできるだけ風呂を作ろうとしたことなど興味深い豆知識的なことも多いので面白く読めた。
    後半は戦術がメイン。図解も多いので分かりやすいと思った。今はくだらない犬死と一蹴されてしまっている戦法も当時の米兵には脅威だったものもあるそうで興味深い。
    戦法とその戦果や被害だけを見るのではなく、その戦法が生み出された背景や根拠を探ることが大切。
    日本人超人説の都市伝説を信じる米兵達に米軍上層部手を焼いていたのがよく分かるが、日本兵をある意味でも別格視しているのは現代の日本人も同じだろう。日本人の本質は今と全く変わっていない。

  • 敵側の見方は面白い。

  • 戦争に勝つためには敵を正確に知る必要がある。責任をもたない立場から他国を罵るならいざ知らず、国を左右するための情報収集とあっては感情的な判断に流されて評価を誤るわけにはいかない。だからこそ軍の情報部がまっとうに機能していれば、敵対国に関する情報は自然とバイアスが低く純度の高いものになるずである。本書の試みの面白さは、このような前提に支えられている。

    1942から1946年まで、米陸軍軍事情報部が部内向けに提供していた戦訓広報誌に掲載されたの情報をもとに、戦闘組織としての日本陸軍の姿や能力を明かすことをテーマとしている。タイトルはわかりやすく「日本軍」としているが、正確には「日本陸軍」が対象である。当時の日本陸軍を外部からの目で検証することで当時の日本人のあり方を知るとともに、顧みてはそこに連なる私たちがどのような存在かを知ることも広義としての狙いに含まれるだろう。

    全4章で、前半は日本陸軍の備える各種の属性について、後半は戦地ごとの情報に分類できる。前半の1・2章ではそれぞれが物質的な属性と精神的な属性に触れる。後半の3・4章は時系列上の前後半に分かれる。また本書の特色は、敵側からの視点を導入することで日本側を相対化することだけでない。自虐的な視点から日本陸軍の決定や行動を「ファナティック」で「不合理」だとする安易に断ずる批判を許さず、その背景にある合理性を知るための努力を惜しまない公正さも特筆すべき基本姿勢として挙げられる。

    全体の流れとしては、各章で新たな情報が続々と開陳されるというよりも、実際の日本陸軍と戦った米兵の体験談やさまざまな具体例から同様の見解が示されることで日本陸軍の特性が浮き彫りになるという印象を受けた。その特徴を示す情報としては、実は本書の帯分に羅列されているフレーズが(一部は正確ではないことが明かされるにせよ)端的に表している。そのままを引用すると「規律は良好」「準備された防御体制下では死ぬまで戦う」「射撃下手」「予想外の事態が起きるとパニックに」がこれにあたる。そして、そのような特徴から導き出されるのは、兵士たちだけでなく日本人全体の置かれた状況こそが彼らの行動の鍵を握っていたといえる。

    すなわちそれは、戦争を主導した政府や軍によってではなく、村的な共同体の相互扶助の仕組みによって戦時下の生活が支えられていたという事実に多くを負っていたということだ。だからこそ食うにも食えず、激しい体罰が横行し、どんなに勝ち目がなかろうとも逃げ出すわけにはいかない。兵士が逃げ出すことは、日本に残した家族が共同体での立場を失うという現実的な不幸を意味する。ほとんどの兵士たちはいわば、人質を取られた状態で派兵され、理不尽な命令にもただ従うほかなかった。そのような背景を知れば、多くの米兵たちが指摘した日本兵の集団志向および個人としての判断力・行動力の欠如は事実だろうと頷くことができるとともに、「ファナティック」で「不合理」なバンザイ突撃や特攻を可能にした「合理性」にも納得せざるをえない。

    著者は「真に批判されるべき日本軍上級司令部の冷酷な統帥ぶり」として、日本がおこした戦争の失敗の核心とする。たしかにその通りだろうが、その一方で一般国民は純然たる被害者だったのか。戦争にいたるまでの過程において、それを押しとどめる選択は不可能だったのだろうか。本書を読んでいて思い返したのは、東日本大震災による津波の被害に迫った『津波の霊たち』だった。日本在住の外国人記者である筆者は、海外からも多くの賞賛を浴びた被災下における日本人の「我慢強さ」に対し、最終的には嫌悪に近い感情を抱くまでになる。不満や怒りや悲しみに対して行動に移さず声をあげないことが、本来あるべき解決をみすみす遠ざけてしまう。それこそが本質ではないかということ。本書が描きだした70年以上前の日本の兵士たちの置かれた状況は、現代のわたしたちにとっても見慣れた光景ではないだろうか。

  • 米軍の記録の多さに圧倒される。
    NHKスペシャルなんかでよく取り上げられてるけど、ほんとに話にならない戦争だったんだろうな。

  • 個々人が考えていたよりも臆病であった事は意外な事実であったが、集団で明確な指示を受けていると強いけど、指示者を失うと途端に弱くなるのは現代の日本人も余り変わらないと思う。
    日本軍事態の戦術に関しては迂回による奇襲や夜襲、全周囲陣地を構築しての防衛、少数の殿や肉薄兵を用いた足止めなど、戦国時代の戦に類似を感じた。
    しかしながら、戦国時代の城への籠城が後詰めがある事が前提だったのに対し、帝国陸軍の方は全滅まで死守していた事を考えると戦国時代の方がマシなのではないかと思った。
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    結局のところ、帝国陸軍は総力戦の事を理解しながらも予算不足、資源不足、時間不足などから急激な改革を行う事ができなかったのだと思う。
    それでも戦争が進むに連れて、総力戦に対応するような戦術に改まっている事を考えると学習能力がないというわけではないだろう。
    それでも兵士どころか、民間人の人命を軽視した作戦は到底、認められるものではない。
    現代日本ではこのような事態になることはないと思うが、そうならないように準備する事は必要だと私は考える。

  • <blockquote>同じ日本人でも靖国神社をめぐって「都会の者」と「田舎者」の間に温度差があるという指摘は興味ぶかい。
    お上の教える殉国イデオロギーに対する批判精神の強弱は、それまでの人生で受けてきた教育の場と長さに比例するのだろう。(P.63)</blockquote>

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著者プロフィール

一ノ瀬 俊也(いちのせ・としや) 1971年福岡県生まれ。九州大学大学院比較社会文化研究科博士課程中途退学。専門は、日本近現代史。博士(比較社会文化)。現在埼玉大学教養学部教授。著書に、『近代日本の徴兵制と社会』(吉川弘文館、2004)、『銃後の社会史』(吉川弘文館、2005)、『皇軍兵士の日常生活』(講談社現代新書、2009)、『米軍が恐れた「卑怯な日本軍」』(文藝春秋、2012)、『日本軍と日本兵 米国報告書は語る』(講談社現代新書、2014)、『戦艦大和講義』(人文書院、2015)、『戦艦武蔵』(中公新書、2016)、『飛行機の戦争 1914-1945』(講談社現代新書、2017)など多数。

「2018年 『昭和戦争史講義』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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