KYOKO (集英社文庫)

著者 :
  • 集英社
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感想 : 54
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  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087488838

感想・レビュー・書評

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  • 日本にやってきた軍人と日本人の女の子、という組み合わせは、戦後の小説ではある種の標準化がなされているんではないか。今はどうか分からんけど、沖縄ではそういった人々を求める女の子はそれなりにいたと言われてたわけで。
    かつ相手が黒人であるならなお望ましいが、キューバ系というのはフーンて感じ。アフリカ系とカリブ系では随分と違うからね。
    そして男のほうが去っていくのも定番で、そして女の子が会いに行く。。
    あらすじだけ言うと普通すぎるけど、恋愛感情が生じ得ない設定になっているだけでいきなり純粋な話でええ話やなぁってなる不思議。
    ダメダメな男に対して、めっちゃ理想化された女の子なところで著者はきっとマザコンだろうと想像するのもまた良し。

  • 感想
    どこかに向かう道のり。落ち着かない不安は確かにある。しかし人間として生きる上でそれは当たり前。最期の瞬間まで目的地に留まることはない。

  • 初めて読んだ村上龍先生の作品。

    昔ダンスを教えてくれたホセに「ありがとう」と言うために一途に行動する真っすぐなキョウコの姿が眩しい作品だった。

    この物語では「生きる意味」の喪失が一つのテーマになっているように思う。
    キョウコは上記の通り、ホセに「ありがとう」と言うために行動する。そのために金を稼ぎ、休みを取り、ニューヨークにまで足を運んだ。ホセに会うまでの彼女にとっての「生きる意味」とは、この『ホセに「ありがとう」と言うこと』であろう。読んでいて気になったのは、この生きる意味が達成された後のキョウコがどのように生きていくのかということであった。
    だが、その疑問は全く持ってお門違いであったことが読後に判明した。同時に、この小説が単なる冒険小説や感動小説に留まらない小説であると感じた。
    それは、「ホセに会う」ことがいつの間にか目的ではなく、途上に過ぎなくなっている点にある。
    キョウコは言う。わたしはこれからもずっと、どこかに行く途上にいるだろう。途上にいるのは、落ち着かなくて不安定だが、たぶん何とかなると思う。ホセが教えてくれたダンスが、まるで生きもののように、わたしのからだにあるからだ、と。
    ホセに教わったダンスを糧にして生きていくキョウコは、ホセに会い、母親に会わせ、キューバに行った一連の行動も糧にすることができるのだろう。そしてホセの死さえも乗り越え、糧にしていくに違いない。間違いなくキョウコは「どこかに行く途上」なのだろう。この点に旧来の冒険小説や感動小説のような、"華々しいラスト"を良い意味で感じなかった。

    その意味では、キョウコ以外の登場人物もどこかに行く途上にあるように思える。
    例えば、エンジェルは「子供と大人が連続する人間」という表現を用いた。これは子供と大人の連続性、即ち、特別な瞬間の欠如を意味しているようにも取れる。

    このような、壮大なストーリーを描いているようで、実はどの一瞬も「途上」であるという不思議なコントラストがこの作品に感じた魅力である。

  • キョウコという人物がとても魅力的にかかれていた。キョウコのダンスを見てみたい。

  • kyokoという米軍基地のある街に住んでいる女性が、小さい頃ホセという男性にダンスを教えてもらい、大きくなったkyokoはアメリカまでホセを探しにいくというストーリー。
    かなり設定には無茶な感じがする。だいたい、小さい頃にダンスを教えてもらったからって、わざわざアメリカまで会いにいくか?しかも、運よく会えるなんてことがあるか?とか、kyokoの職業がトラック運転手ということになっているのだが、それもあんまりリアルじゃない気がする。
    でも、リアルじゃないから面白くないというわけでは全然なく、逆に予想できないストーリー展開がオモシロイし、基地の街で生まれ育った村上龍からすると、こういった要素はもしかするとリアルなのかもしれないなとも思った。
    ストーリーは、kyokoをとりまく10人の人々の視点で描かれており、kyokoの素直で純粋で、意外と強いキャラクターが浮かび上がってきておもしろい。読んでいるうちにkyokoに恋をしてしまいそうになる。
    途中、アメリカでの移民問題やHIV問題などが出てきて、結局最後には悲しい方向にストーリーは展開するのだけど、そういった問題やシチュエーションにぶつかった時のkyokoの姿勢・態度が非常に明解ですっきりしている。読んだあとも暗くならず、さわやかになれる1冊。この小説を読んだあとに映画も見てみたけれども、主演の高岡早紀がかなりはまり役。ダンスがうまく、ステップが軽やかで惚れぼれ。本で読んでいても、チャチャチャがどんなダンスなのか、どんな音楽で踊っているのか・・・?全然イメージできなかったので、やっぱり映像には映像の良さがあるなぁ。と実感した。

  • KYOKOのように生きたいと思う人が多い。
    私もそう思うが、
    KYOKOのように...と思っていても、KYOKOのようにはなれない。

  • 映画版を先に見ました。中学の性教育で多目的室で。映画版の方があんまり無駄がなくてよかったかなという印象。

  • 【ネタバレ】

    基本的に病と死を描いているものをあまり好んで来なかったが、これは例外だった。

    キョウコが決定的に遠く隔てられていた何かとは、世界なのだろうと思う。かつてダンスを通してそれを与えてくれたホセと再会することで、再び取り戻したように感じる。
    一方ホセも、その人生の代名詞とも言えるダンスが、キョウコの中でいつまでも生き続ける美しさを最期に理解できたのだ。
    前半、様々な人の目線でキョウコの姿が描かれる。そこには日本人の侘び寂び精神に対する敬意が窺えた。
    キョウコという少女を通して、日本と世界の対峙を美しい視点で観ることが出来た。

  • 久々に満足した作品

  • 大掃除で見つけて15年ぶりに読んだ。小説より先に映画を観た。主人公のKyokoを演じる高岡早紀のダンスをする姿が、ひどく美しかったのを思い出す。
    Kyokoが、多くの善意にかこまれながら、HIV感染のホセを故郷まで送るハードな旅。HIVのせいで記憶があいまいなホセが、最後には思い出し、ダンスを踊るのは、故郷に辿りつく事よりも、幸せな事だったよね。
    村上龍の作品のなかでは、村上龍らしくなくてオレには良い。高岡早紀とセットでしかイメージが浮かばないのだけれど。あの頃は輝いてたなぁ。

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著者プロフィール

一九五二年、長崎県佐世保市生まれ。 武蔵野美術大学中退。大学在学中の七六年に「限りなく透明に近いブルー」で群像新人文学賞、芥川賞を受賞。八一年に『コインロッカー・ベイビーズ』で野間文芸新人賞、九八年に『イン ザ・ミソスープ』で読売文学賞、二〇〇〇年に『共生虫』で谷崎潤一郎賞、〇五年に『半島を出よ』で野間文芸賞、毎日出版文化賞を受賞。経済トーク番組「カンブリア宮殿」(テレビ東京)のインタビュアーもつとめる。

「2020年 『すべての男は消耗品である。 最終巻』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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