アウシュヴィッツの図書係

  • 集英社
4.25
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感想 : 200
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  • Amazon.co.jp ・本 (448ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087734874

感想・レビュー・書評

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  • 「地球上のすべての国が、どれだけ柵を作ろうと構わない。本を開けばどんな柵も飛び越えられるのだから。」

    好きな本を好きな時に読めることがどれだけ幸せなことなのか……
    絶望の日々でも決して投げ出さなかった彼女の生命力に勝てるものなんて何もないと思った。

  • 何気なく書名にひかれ手に取ったのだが、読みだしたらやめられなくなった。生まれた国、時代、少しの選択で運命はなんと過酷なんだろう。エピローグ以降に少しの救いがやっては来るのだが。著者あとがきによると、この物語は事実に基づいて組み立てられ、フィクションで肉付けとあり、あの人たちはそれからどうなったのだろう・・・で ああ彼らは実在する(した)人々なのだと、あの場所にいたのだと思い知らされる。この退屈な日常のありがたさを少しだけかみしめた。

  • 読み応えがある1冊だった。
    私の場合まず登場人物の名前がなかなか覚えきれないことが多いが、そんなことも(あまり)なく、最初から翻訳されていることを忘れるくらい自然な文章でサクサク読めた。

    読み進めるのが辛くなる描写も多いが、そんな中でも恋愛や友情が生まれることに少しホッとする。
    収容所に送られた人々がどのように生きようとしていたかがひしひしと伝わってくる。
    主人公が本を何度も何度も限られた材料で丁寧に修繕する場面には胸が痛んだ。

    最後にアンネ・フランクの名前が出てきてハッとした。
    完全なノンフィクションではないが、やはり悲惨な歴史的事実に基づいて書かれている。

  • 家畜以外の扱いを受けながら、死と隣り合わせな凄惨なアウシュビッツの収容所で続けられた子供たちへの教育。そこで取り扱う八冊の本を管理する図書係のディタ。図書係と言ってもナチス公認では無いから、それを隠し通さねばならない。次に死ぬのは自分かも知れないという状態にありながら、家族を庇い合いながら、本を守り抜く。実話に基づいた話であり、物語には『アンネの日記』で有名なアンネ・フランクも登場する。

    ディタは、目の前の現実から逃避するために人目を忍んで読書する。本の世界に没入する事で、想像の世界に友人を求め、悲惨な収容所から外の世界へ行けるのだ。読書には力がある。そう考えると、反対に私がディタのいる世界に没入するという事を考える。凄惨な世界に行けるのか。ディタと私の読書の質の違いを考えざるを得ない。恐らく、想像世界への没入感にはある種の現実世界の濃度による浸透圧の差や距離感が影響するのだろう。

    地獄からの解放。本記録では、戦争の終わりによる状況の好転以外に、脱獄、死、叛逆、買収などの手段が描かれる。リスクを伴い、自らの運命が分からぬ中での判断。多くは、状況も知らされぬ中で、耐え忍ぶしか無かったのだ。自分ならどうするのだろうか、威勢の良い事を妄想してみても、それこそ読書にリアリティがないのかも知れない。答えは出ない。しかし、自らを場面に投影する事に、追体験的意味があるような気がした。いや、その時代のアウシュビッツに行きたい訳ではないのだが。

  • 14歳から16歳まで、収容所で過ごした実在の人物のノンフィクションを交えたフィクション。
    一貫して冷静に少女目線で描かれている。生き延びてくれて心から本当にありがとう!

  • アウシュヴィッツで図書係だった少女の話を基にした小説。

    当時の過酷な生活は、想像しても仕切れないものだなと改めて思う。理不尽な死がこんなに近いことなんてない。

    『ごく当たり前の生活が、滑り台を滑るように地に落ちていった。』

    『英雄的行為の大きさを評価し、名誉や勲章を与えるのは簡単だ。けれど、あきらめるという勇気は誰がわかってくれるのだろうか。』

    戦争のもつ力の大きさと、それに抗えない無力感を感じることが出来る上の表現と、目に見えないものの繊細さと美しさを再考させてくれる下の文章に心奪われた。

  • 夜と霧から入ってアウシュビッツについての本は2冊目です。

    劣悪な環境の中、ユーモアと想像力を忘れない女の子が本守り本に守られながら生き抜く話。

    あとがきの文章がまたいいです。引用いたします。

    『人間が生き残るために必要なのは、文化ではなくパンと水だ。しかし、ただそれだけでは、人間性は失われる。もしも美しいものを見ても感動しないなら、もしも目を閉じて想像力を働かせないなら、もしも疑問や好奇心を持たず、自分がいかに無知であるかに思いが及ばないなら、男にしろ女にしろ、それは人間ではなく、単なる動物にすぎない。』

    ちゃんと人間として生きような。

  • アウシュヴィッツの家族収容所には「図書館」があった。本書は実話を基にした小説だ。小説を読み終えての感想としては奇妙なものだが、何よりもこう感じた「この本はあまりにも小説じみている」。アウシュヴィッツの記録や証言に関心があるならば、本書は物足りないと感じるだろう。

    事実を伝えるためにフィクションが最も適するという状況はある。けれども、ことホロコーストに関しては記録や証言が持つ力に小説は及ばないのではないか。ルーカ・クリッパ、マウリツィオ・オンニス『アウシュヴィッツの囚人写真家』やエリ・ヴィーゼル『夜』などを読んで、個人的にはそう思う。

    ともあれ本書は(事実に基づく)小説なのだが、登場人物たちの心情がうまく描き切れてない点に不満を感じる。まるで平時における日常生活のようなのだ。そしてとにかく会話が軽い。著者がジャーナリストだからか、取材で得たエピソードを盛り込みすぎている点もいまいちだ。(最後の100ページほどは急に記録的な記述が多くなって小説の色が薄くなる。これも小説として言えばもっと一貫性を持たせる方がよかっただろう。)ただし主人公ディタが読んだ本のストーリーや思い出を現在進行中の出来事と織り交ぜて描くという構成は面白い。

    いずれにせよ、小説に仕上げられているとはいえ、ホロコーストを後世に伝えるにあたって本書が貴重な役割を果たすことは間違いない。

  • 面白いとか面白くないとかじゃない。圧倒的な史実の前にただ言葉を失う。
    アウシュヴィッツの悲劇は知ってるつもりではいたが、収容所にもいろいろあり、次から次へと移送され、戦況が収束するにつれてユダヤの囚人たちの状況は過酷になる。
    大戦中の戦災は各国によって様々だと思うが、ナチス統制下のユダヤ人の被害ほど人間性を破壊されるものはないと思う。
    徐々に正常な判断力を失い、それは逆に幸せを感じる感度、いや「まだましだ」と感じるレベルを下げてゆく…。
    チェコ系ユダヤ人の少女ディタの使命は、家族収容所内の学校に設けられた「図書館」の蔵書8冊をナチス親衛隊の魔の手から守り抜くこと。どんな劣悪な状況下にあっても、本を通じて得る知識、想像力は奪われない。
    彼女のもう一つの希望は、収容所内のユダヤ人リーダー、ヒルシュ。彼女の心の中の英雄であり続けたヒルシュは移送を前に謎の死を遂げる。だが餓死寸前の最後まで、ディタは彼の無実を疑わない。
    こんな状況の中では、それでも信じる心を失わないこと、そしてただ生き抜くこと自体が唯一の勝利なのだ。
    だがこの狂気の時代では、ナチ側の人間でさえ戦争に翻弄される被害者なのだと思った。
    この史実を知るためだけでも多くの人に読んで頂きたい一冊。
    2018/01

  • 実話を基にしたフィクション。
    アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所に実際にあった「学校」の図書係が主人公。
    人はなぜ本を読むのか。現代人にも戦時中の人にも質問したい。現実から目を背けるためなのか、何かを学ぶためなのか。
    私はこの本を読むまで、「アウシュヴィッツ」という名前しか意識していなかった。他にも強制収容所があることとか、強制収容所=死ではないとか、ビルケナウという名前とか、それらがポーランドにあることとか、アウシュヴィッツ=ビルケナウで起きていた事が、現代人の誰もが知っているのに当時はほとんど誰も知らなかったということ。
    無知というのは恐ろしい。それは誰かを傷つけるし、恥だと思う。知ろうとすればどんな情報でも手に入る現代で、知らないということは知ろうとしないということ。
    ゲームをしている暇があるなら学ぶべきだ。
    無駄な労力を割いている時間や体力等あるのだろうか。
    遥に恵まれた環境にいるのに、それに満足できないのは強欲なのだろうか。
    資料室で借りた本で、単価も高いが、ぜひ手元においておきたい。
    この本を読んで色々調べてみたが、偽名を使うという初等手段で最重要人物であると認識されていない戦犯が多かったことに驚く。ディタなど生存者の情報を元に似顔絵をつくれば、少しは違ったのではないだろうか。

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