放浪記 (新潮文庫)

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  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (576ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101061016

感想・レビュー・書評

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  • 以前読んだ別の本に放浪記についての記述があり、そういえば読んだことなかったなと、図書館で借りてみました。

    メモ書きのような日記のような、雑多な書き物の寄せ集めでした。
    起承転結もなく、ストーリーを追って真面目に読むと何がどうなったのかがさっぱり分からなくて戸惑いますが、本書はそういう読み方をしてはいけません。

    極貧生活の中で、腹が減り、金を欲しがり、母が恋しく、男が欲しい。
    詩が売れず、仕事が続かず、いっそ身売りしてしまおうかとよぎる・・・
    そのくせ、なけなしの金で駄菓子を買ってみたり、家賃を滞納しながら旅行に行ったり、職を転々としたり。
    いつでも自由を謳歌する明るさと力強さが根底にあり、貧乏をユーモラスに語りきる林芙美子、奔放で正直者だなあ、という印象です。

    それに、生き方もすごいけど、文章もすごいんです。
    コトバの使い方が独特だし、時々書かれた詩も情報量がすごい。情景も心情もありありと伝わり、最後にはこの当時の日本全体がどんな感じかまで分かった気になりました。。

  • 第一部〜第三部が縦割りなため時系列がわからず、一つのストーリーとしては読みづらい。話自体とびとびなので、なりゆきがつながらず、ストーリーというよりは筆者の一つひとつの心情を読んでいく感じ。
    故郷を持たず、旅を故郷とする筆者の放浪の記録。本当に職も所も転々としている。極貧の中自分で働いて尾道高女を出たと言う筆者の文学への造詣の深さがよく分かる。
    力強くたくましく、というが、しょっちゅう死にたいと言ったり、でも母がいるから、ご飯が美味しかったから、etc.やっぱり生きたい、と言ったり、その揺れ動く感じや憂鬱な心情がリアルだと思った。生きるためには食べねばならず、食べるためになんとか働く、ギリギリの極貧生活も、DV男を哀れに思ってつい貢いでしまう男の見る目のなさも、女同士の意地悪さや原始的な匂いのする社会の良くも悪くも生々しい人間くさい感じも、自分とは遠いものだけれど、どことなく共感してしまうところもある筆者のリアルな心情。

  •  1922(大正11)年19歳から1926(大正15)年23歳の5年刊に書き綴った日記/雑記帳を、1930(昭和5)年に第1部・第2部として出版、1949(昭和24)年にそれまでは検閲を恐れて公表できなかったような部分を含めた第3部として出版したもの。
     作家として自立する以前に貧窮のなかを「放浪」したナマの記録をさらけ出した日記文学。と最初考えたのだが、どうも本書にはフィクションというか脚色された箇所もあるらしく、実名で登場させられた知人が出版後に「事実と違う」とクレームしたこともあったらしい。そう考えると、半ば「小説」としてまとめられたケースとも考えられて、どこまでが事実だったのか疑わしい気もしてきて、微妙だ。
     実際に読み始めると、「普通の人の日記」とは明らかに異なって「小説のような書き方」が非常に目立つ。林芙美子は極貧の家庭に生まれ、自ら働いて得た金で苦労して女学校に入学し、そこの図書室で文学を読みあさったそうなので、まったく余裕の無い階級ながら相当の「文学少女」であった。この日記の中でも、全然お金が無いのに古本を買って小説を中心に読みまくっている様子が見えるから、小説を模倣した書き方で日記を書いたとも考えられるが、ここまで文学的な日記ってあるものだろうか、とやはり不思議な感じは残る。
     果たしてこれはどこまで事実の記録で、どこまでフィクションであるのかと気になり始めて眠れなくなり、ネットで調べてみた。
     愛知教育大の方の論文:
    https://aue.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=4320&item_no=1&page_id=13&block_id=21
    が参考になった。
     昭和5年刊行の第1部・第2部でさえ、当時の検閲によって出版後修正されたようなので、現在見られるこの新潮文庫版は修正後のテクストであるようだが、そもそも林芙美子が自らの日記を編集した時点で、それなりのテクスト改訂が行われたと考えた方が自然だろう。
     そうするとこのテクストは、「三重の自我」によって織りなされた構造を持つと考えられる。

    (1)1922年から1926年に現実に生き、行動し、経験した林芙美子
    (2)当時、夜になって起きた出来事や感想、あるいは思いついた詩をも書きつけた、日記の筆者としての林芙美子
    (3)(2)のテクスト(原本は誰にも見せることの無いまま処分された)を編集し、あるいは書き換えたかもしれない、かなり不透明な「小説作者」としての林芙美子

     読者はテクストから浮かび上がってくる(1)の若い林芙美子の像(というテクスト)を追いかけるのだが、明確に区分し得ない(2)(3)の主体による絡み合ったディスクールの次元を実際には漂流するしかないのである。

     文学作品としての本書の魅力は、当時の比較的貧困層にある人びとの息づかい・世相の活写と、リアルタイムに動き続ける主体(1)の情動の文学的表出にある。本書がベストセラーとなって林芙美子は貧困を脱したようだが、その前の、明日の糧も当てにならない、職を転々としさまよい歩く窮乏の生活を露見した貴重なドキュメント(しかしフィクションも含まれているらしい)ではある。
     林芙美子はかなり「感情的な人間」であるらしく、極めて頻繁に「泣く」し、ちょっとしたことで気分が揺れている。そのリアルさは、後の小説『浮雲』の卓越した心理描写に共通している。不安定を極める貧困の中で、「愛してくれる男性にめぐりあえない」不運にもやつれつつ、しばしば自殺に思いを巡らすが、一方で、「生きたい」と思うこともある。メランコリー親和型ではないようなので、うつ病のような「行動不能」には陥ることなく、大変な苦労をしつつも前へ前へと進み、生き続ける。
     この生の躍動、不可逆的前進は輝かしく、苦しみを描いていてさえも、本書は不思議な明るさに満ちている。凄まじい窮乏にある割には、全然どろどろとしておらず、浮かび上がってくる林芙美子という情動のテクストはその都度の気分の転調によってとても上手にバランスを取っているのが、羨ましくもなってくる。
     ゆえに、本書はやはり「輝きを持った青春小説」になっている。その体裁はやはり、影に隠れて姿を現そうとしない(3)の林芙美子の意志なのであろう。
     日記テクストに埋め込まれた時折の「詩」という別テクストの存在は、松尾芭蕉の紀行文の構造と同様で、そこに看取される「文学への意志」が、隠れた主題として通底しているのも魅力である。
     通常の日記とは異なる、実に面白い文学作品と感じた。

  • 戦前の貧困の中での生活を描く自伝的日記。時代のせいか読みにくい。貧しい暮らしを嘆く記述が延々続くので、途中で本を閉じた。

    今のような生活保護も無い時代の生きにくさは十分伝わった。貧困の中でも明るく前向きな様子が伺える。

  • 生々しい。少し前の日本はこんなにも貧しかったのだなと思うし、女性が生きることがこんなにも大変だったのだなと。あと、結婚観も今とけっこう違うよね。けっこう気楽に結婚してる。そもそも定義も違うよう。
    とにかく、何クソ精神が書かれてるので自分がきつい時に読むといい。何クソだって這い上がれる。

  • 日記形式の飛び飛びだし、読んでいて楽しいものでもないのだが、はち切れんばかりのエネルギーを身内に抱えて動き回らずにおれなかった林芙美子という人に興味が湧く。

  • 現代とは違いすぎる、当時の日本がひしひしと伝わる。
    土地を転々とし、様々な職に就き、多くの人々と出会う。

    個人的に好きな場面は、第三部のちもとという店で働いている時の、芙美子と料理番であるヨシツネとのやりとり。

  • 林芙美子の若いころの孤軍奮闘ぶりがすごいのだけど、更級日記の作者と正反対に実にさっぱりしていて男性的な文章が気持ちよし。
    お金がほしいのだけど、安定している月給取りの仕事はどうもダメみたいですぐに辞めてしまう林さん。
    カフェ勤めでもヒマだと店の隅っこで本を読みふける林さん。
    とっても母親思いの林さん。
    振られた元恋人に未練があって会いに行く林さん。

    ずっとずっとがんばる林さんのパワーがすごいけど、そういう自分を持てあましつつも、こうするしか仕方がない自分というものがよくわかっていた人だと思いました。

  • 第一次世界大戦後に林芙美子が貧困に喘ぎながらも、数々の仕事を経験しながらも自由に逞しく生きて行く姿を描いた自伝的小説。

    さすがに時代を感じる作品であるが、日本が一番日本らしい時代を描いているように思う。貧困を物ともせず、人々が助け合いながら、日々の糧を手にする姿は恥ずべきものではなく、むしろ人間として必死に生きる姿が眩しく見えた。

  • およそ、林芙美子の、前半生の自伝のようなものであるということ。
    今回読んだものは、みすず書房の大人の本棚シリーズにまとめられたもの。
    森まゆみが、解説を書いていて、そちらを読むと、より、理解しやすく感じられました。
    少しは、創作部分もあるらしいのですが、およそ、彼女の日記に近いとのこと。

    すごい生き方だなと、感心して読みました。
    明治生まれの女性の持っている精神力というか、まっすぐな心は、今の私にはできません。
    ある意味、無知なればこそということなのでしょうか。
    この作品が、昭和の初め、雑誌とはいえ、掲載され、人気があったということは、その当時の日本には、かなり、前衛的で、自由な思想の持ち主がたくさんいたのだろうと思います。
    モガ、モボの時代にかさなるのでしょうか。
    日本の社会自体はまだまだ、差別的で、階級差もかなりあったということもよくわかります。
    にしても、林芙美子の個性には、圧倒されます。

    森光子さんの「放浪記」、見ておけばよかったなあ、と今更ですが、思いました。

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著者プロフィール

1903(明治36)年生まれ、1951(昭和26)年6月28日没。
詩集『蒼馬を見たり』(南宋書院、1929年)、『放浪記』『続放浪記』(改造社、1930年)など、生前の単行本170冊。

「2021年 『新選 林芙美子童話集 第3巻』 で使われていた紹介文から引用しています。」

林芙美子の作品

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