一千一秒物語 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (432ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101086019

作品紹介・あらすじ

少年愛、数学、天体、ヒコーキ、妖怪…近代日本文学の陰湿な体質を拒否し、星の硬質な煌きに似たニヒリスティックな幻想イメージによって、新しい文学空間を構築する"二十一世紀のダンディ"イナガキ・タルホのコスモロジー。表題作のほか『黄漠奇聞』『チョコレット』『天体嗜好症』『星を売る店』『弥勒』『彼等』『美のはかなさ』『A感覚とV感覚』の全9編を収録する。

感想・レビュー・書評

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  • 表題作の『一千一秒物語』は本当に面白かった
    言語の無限の可能性、宇宙とのつながりを想起させる
    後の話は冗長で面白くない

  • 異国情緒あふれる港町、乾きかけた雨上がりの石畳がガス燈の光を鈍く反射させている。
    足穂の文章に触れると、そんな情景が心のなかに浮かんでくる。
    この風景がなるほど、「六月の夜の都会の空」なのかもしれない。

    表題作の中でも『ポケットの中の月』が特にお気に入り。
     お月様が自分をポケットの中にいれて歩いている。坂道で靴紐を結ぼうとした拍子に、ポケットから自分が転がり落ちてしまう。お月様は自分を追いかけるが、お月様とお月様の間隔はどんどん遠くなって、ついには青い靄の中に自分を見失ってしまう。

    奇妙だけれども、この感覚は不思議とわかる。
    奇妙なのにわかってしまう。
    見たことがないのに、想像もできないのに、どこか懐かしいような、自分も経験したことがあるような、なぜだか親近感が湧いてしまう。そんな短いエピソードがいくつも詰め込まれたジオラマ模型の町みたいな本。

    硬質で透明感のある文体。さらさらとした手触りでキラキラしている。鉱石というよりも、もっと俗っぽい。金平糖とか、銀モールのような、子供の頃に触れたことがあるような懐かしい質感をしている。
    なんだか心地よいので、トイレに置いて何度も読み返している。

  • 0879夜 『一千一秒物語』 稲垣足穂 − 松岡正剛の千夜千冊
    https://1000ya.isis.ne.jp/0879.html

    神戸偉人伝外伝 ~知られざる偉業~㊴前編 稲垣足穂 | 神戸っ子
    https://kobecco.hpg.co.jp/81506/

    特集:稲垣足穂 | nostos books ノストスブックス
    https://nostos.jp/archives/tag/taruho_inagaki

    稲垣足穂 『一千一秒物語』 | 新潮社
    https://www.shinchosha.co.jp/book/108601/

  • よくわからん、凄い短編集だった

  • 「少年愛、数学、天体、ヒコーキ、妖怪…近代日本文学の陰湿な体質を拒否し、星の硬質な煌きに似たニヒリスティックな幻想イメージによって、新しい文学空間を構築する"二十一世紀のダンディ"イナガキ・タルホのコスモロジー。表題作のほか『黄漠奇聞』『チョコレット』『天体嗜好症』『星を売る店』『弥勒』『彼等』『美のはかなさ』『A感覚とV感覚』の全9編を収録する。

  • 「私の其の後の作品は(エッセイ類も合わして)みんな最初の『一千一秒物語』の註である」とのことだが、確かに通しで読んでみると表題作以外の作品にも、その根底に『一千一秒物語』が常に見えている気がした。一人の作家が語ることのできる物語には限りがある、とは誰の言葉かは忘れたけど、「チョコレット」も「星を売る店」も「黄漠奇聞」も、『一千一秒物語』のある種の変奏曲なのかもしれないと思った。
    「弥勒」という作品にこんな一文があった。
    『目指す人間とは何であるか?それはこの自分自身である。固有の色合いがある、振動的な、即ち生きている、真鍮の砲弾や花火仕掛の海戦に心を惹かれている自分自身である。その最も自分らしい場所に立ち帰らねばならぬのではないか。』
    弥勒は作者の自伝的小説というかエッセイで、この文章に稲垣足穂の意思が収斂しているような気がした。

  • 稲垣足穂(1900~77年)氏は、大阪市生まれ、神戸市育ち、中学卒業後飛行士を目指して上京するが、強度の近視のために叶わず、高校卒業後、佐藤春夫の弟子となり、1923年に『一千一秒物語』を出版。その後も、天体や科学文明の利器を題材にした超現実派(シュルレアリスム)的な異色の作風が、モダニズムの最先端として注目を浴びたが、まもなくアルコール、ニコチン中毒で創作不能となり、貧窮、無頼の生活を続けた。第二次世界大戦後、創作を再開すると、自伝的・哲学的な傾向を強め、少年愛のテーマを扱った『少年愛の美学』で日本文学大賞(1968年)を受賞し、若者たちの間でタルホ・ブームとなった。師の佐藤春夫のほか、芥川龍之介、星新一、伊藤整、三島由紀夫ら、幅広い文壇人から評価される、近代日本文学史上、稀な存在である。また、松岡正剛は、書評サイト「千夜千冊」で『一千一秒物語』を取り上げ、「ぼくの青春時代の終わりに最大の影響を与えた」と、最大級の賛辞を送っている。
    私が稲垣足穂の名前を知ったのは、20年近く前に、書評家・岡崎武志の『読書の腕前』で引用されていた、三省堂編集部編『本と私』に収められた、画家/装幀家・司修の一編を読んだときである。そこには、司が若き日に桃源社(出版社)の会計係のおばさんと交わした、おばさん「『ユリイカ』という雑誌、読んだことある?」、司「いいえ」、お「古本屋で見つけて読んでごらんなさい。きっと好きになる人がいますよ」、司「そうですか」、お「稲垣足穂は?」、司「知りません」、お「きっと好きになりますよ」という、おばさんの「しびれるような伝導ぶり」が書かれている。それ以降、足穂のことはずっと気になっていたのだが、基本的に新書やノンフィクションを好む嗜好性から、手に取ることはなく、今般読んでみた。
    表題作は、数行~数ページの超短編小説・詩のような作品70編を自選した作品集で、大半は人と月や星を巡る、無機質でシュールなものである。当時、異色の作品として注目されたのは頷けるが、正直なところ私には強く惹かれるものはなかった。
    本書には、表題作のほか、「黄漠奇聞」(1923年)、「チョコレット」(1922年)、「星を売る店」(1923年)というファンタジック(この場合、「シュール」との区別は微妙である)な作品、「天体嗜好性」(1926年)、「弥勒」(1940年)、「美のはかなさ」(1952年)という自伝風の作品、「彼等」(1946年)、「A感覚とV感覚」(1954年)というエロティシズムを扱った作品の全9編が収められているが、私が面白いと感じたのは、エキゾティックな「黄漠奇聞」と小洒落た「星を売る店」の2編である。(途中で読むのを止めた作品もある)
    私は(上述の通り)基本的にノンフィクションを好むため、小説でも、現実からの乖離が大きいものの面白さがあまり感じられないのだが、足穂の作品の多くは、その「超現実性」に魅力があると言われている以上、残念ながら合わなくて仕方がないのかも知れない。
    好みの分かれる作家・作品と思われる。
    (2023年3月了)

  • いたんですよね、不思議な文章を書く先輩が。訳が分からないけれど印象的だったその文、ここにルーツがあったのでした。そうかー、あの人、あの頃から読んでいたんだ。
    夭折した画家・有元利夫さんに、版画集「一千一秒物語」があります。この世界観が捉えられています。

  • 標題作の一千一秒物語は、ぽんぽんと浮かんできたものがそのままあるような。尻切れトンボのような話も多いが、それが余韻を感じさせてくれるようですごくいい。ビールの話や月を掲げる話が特に好き。
    後の話は標題作を説明しているみたいだけど、文学的読解力はないので、正直よくわからない。

  • 「一千一秒物語」は素直に感動した。何というか、安部公房的では全然ないんだけど、僕の中で2人はかなり特殊な位置付けにいる、という点では似てるかもしれない。というか僕が詠む短歌の目指すテイストは既に「一千一秒物語」の中で完結しているのかもしれない。

    「黄漠奇聞」はボルヘスの『アレフ』に入っていてもまったく違和感のないくらい、非日本文学的というか、国内には他に類を見ない作風。ボルヘスのことは知っていたのだろうか?もしかしたらこの2人も近い場所を目指したのかもしれない。

    「チョコレット」が最高。ムーミンっぽさもあるなあ。上の作品たちもそうだけど、「詩の言葉」で小説が紡がれてる。この感覚が気持ちいいという点では村上春樹的なのかなあ。もし僕が同じ設定で「チョコレット」の物語を書くなら、グッドフェロウが変身したチョコレットのようなものを主人公に食べさせていたと思う。

    「星を売る店」も魅力的ではある。だけど実はこの辺から文章が難しくなってきて、ちゃんと小説らしい小説の文体になってしまったから少し残念だった。この話に出てくるようなコンペイ糖を口に入れたらたちまち理解できるようになるのか知ら。でもそれじゃ魅力が消えてしまうかも。

    「弥勒」は、五十六億年後の未来都市に弥勒菩薩が下生する話かと思ったら、ぜんぜんそうではなかった。登場人物も入り組み始めてくる。

    「美のはかなさについて」と「A感覚とV感覚」なんかは、(特に後者は)文は読めても彼の思想が分かることは正直なかった。だけど、彼なりの美学や理念みたいなことが熱を持って語られているのは良かった。そういう強い考えみたいなのがないと、ここまでの文章は綴れないと思う。

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著者プロフィール

稲垣足穂(1900・12・26~1977・10・25) 小説家。大阪市船場生まれ。幼少期に兵庫・明石に移り、神戸で育つ。関西学院中学部卒業後、上京。飛行家、画家を志すが、佐藤春夫の知己を得て小説作品を発表。1923年、『一千一秒物語』を著す。新感覚派の一人として迎えらたが、30年代以降は不遇を託つ。戦後、『弥勒』『ヰタ・マキニカリス』『A感覚とV感覚』などを発表し、注目を集める。50年に結婚、京都に移り、同人誌『作家』を主戦場に自作の改稿とエッセイを中心に旺盛に活動し始める。69年、『少年愛の美学』で第1回日本文学大賞受賞、『稲垣足穂大全』全6巻が刊行されるなど「タルホ・ブーム」が起こる。

「2020年 『稲垣足穂詩文集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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