続 泥流地帯 (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社
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感想 : 75
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  • Amazon.co.jp ・本 (544ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101162072

感想・レビュー・書評

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  • つらすぎる…
    苦しすぎる…
    それでも深い愛に包まれている。

    20代で読んだ時にも感動をした本であったが、20年経った今、その時とは違う出逢いをした気がする。

  • 前編、続編含めて、苦難の意味は何かというのがテーマだ。
    十勝岳爆発後の泥流地帯で生きていく家族の話。心で物事を考える長男拓一と、頭で考える耕作が様々な苦難に見舞われながら、何が正しい選択なのか考えていく。
    耕作の言うことはもっともだ。でも、拓一の言うことには心を動かされる。
    泥流にのまれた土地の復興に向けて汗を流す拓一だが、みなはその努力を笑い、無駄なものだと嘲った。ただ、拓一は思うのだ。もし、この努力が報われなくてもそれはそれでいい。自分の生涯に何の報いもない難儀な時間を待つのも、これは大した宝になるかもしれない、と。実りのある苦労なら誰でもする。しかし、全く何の見返りもないと知って、苦労の多い道を歩いてみるのも一つの生き方ではないのか。そう思って、自分は努力しているのだ。
    勇気とは、突き詰めれば愛であると思う。愛には恐れがない。その人のために命を捨てる、これより大いなる愛はない。
    善因善果、悪因悪果、いわゆる因果応報の考えは、そうあって欲しいという人間の願望に過ぎない。理想に過ぎない。願望と現実は違う。ヨブは、神から見ても当時一番正しい人だったが、それが子どもを一度に失ったり、財産を一挙に奪われたり、死ぬよりも苦しい腫物が体中にできたり大変な苦しみにあった。人間の思い通りにならないところに何か神の深い考えがあるのだろう。大事なのは、苦難にあった時、それを災難と思ってただ嘆くか、試練だと思って奮い立つか、その受け止め方が大事なのだろう。それでも正しい者に災難があるのは納得いかないと思うかもしれないが、苦難を試練だと受け止めて立ち上がった時に、立ち上がった人にだけ、苦難の意味がわかるのではないだろうか。

  • 修一おじさんが登場する度に涙が出そうになる。今の世で考えれば聖人のような、耕作と拓一と福ちゃんだけだと「作り話」感が否めないが、彼はとても人間らしく、重要な役回り。
    節子もいいキャラクターだと思う。

    「因果応報は人の希望」
    であって、現実はそうではない。
    なぜ、いい事ばかりしている人がこんなにも辛い目にあうのか。なぜ、悪い事ばかりしている人が悠々と生きているのか。
    このあたりを考えるのが終盤のテーマ。

    私は無宗教なので、人生の大道は「先祖の行い」で決まっているが、細かい部分は自分次第って考えている。ちょうどいいところ。笑

    ラストシーンは、情景が浮かぶ。
    白いハンカチかあ。映画で見たいなあ。

  • 苦難の中に生きる意味を問う。白々しくなくじっくりと読者の胸を打つ、著者の筆力。ラストシーンは「幸せの黄色いハンカチ」を彷彿させた。12.7.10

  • 不幸のどん底を更に掘って掘って掘りまくったら一瞬の光が見えた・・・そんな結末。

  • 作家、三浦綾子さんは私達に作品を通して人間の持つ倫理、道徳、正義などを常に問いかけてくる。あの忌わしい3.11の大震災から一年、今現在においても、被災地では人間が苦しみのなかで生きる意味を探し続けている人達が数多く存在しているはずである。なぜ生きるのか?なぜ生きなければいけないのか?なぜ生かされているのか?この人間の根源的な疑問の回答に導くヒントがこの作品には用意されている。

  • 久々に読んだ「泥流地帯」が面白くてあっという間に読んでしまったので、こっちも続けてあっという間に読んだ。
    泥流で全てを奪われた登場人物たちがその後、どんな風に自分たちの生活を取り戻していくか。再生の物語。
    一作目より若干キリスト教色が濃くなってはいるものの、押しつけがましさはなく、信者でなくてもすんなり入って行けるはず。
    テーマはやっぱり、一作目と一緒。善人は苦悩する。
    それでもこの続編には希望がいくつも灯される。全てを失ったからこそ、小さな光が希望となってよりさんさんと輝く。
    一作目と同じように小さな町のコミュニティでの善と悪が対立し、前者に立たされた者たちはただひたすら苦悩する。
    けれどすごいのは、善人でも悪人でもない、ただ人間だという人もちゃんと書けているということ。前作ではどうも好きになれなかった人まで、人間として描かれていて、好きにならずにはいられない。
    「因果応報は人間の理想だよな、兄ちゃん」という弟の耕作の言葉がとても印象的だった。
    それでも、彼等は善なる力を信じて明日を目指す。やっぱり人は強い、心からそう感じられる一作。
    ただ一つだけ不満を言うと、三浦綾子さんのどの作品も結構そうなんだけど、前に出てきたことをしつこいくらいに繰り返すので、また読まなきゃいけないのがちょっと面倒だった。
    でもそれを差し引いても非常に素晴らしい、良質な小説。

  • 久しぶりに三浦綾子さんの本を読みました。
    塩狩峠が本当に好きで、それを超えるものはないかと思ってましたが、並ぶかそれ以上でした。

    塩狩峠も好きなのですが、こちらの方が二人の兄弟がいることで正しいだけでなく人間的な耕作と、彼が憧れる正しくありたい姿としての拓一と二人を描くことでより共感が得やすい作品な気がします。

    • まいけるさん
      はじめまして。私も同感です。
      面白くて切なくてあっという間に読み終わりました。
      映画化してほしいです。
      はじめまして。私も同感です。
      面白くて切なくてあっという間に読み終わりました。
      映画化してほしいです。
      2024/04/02
  • ヨブ記を題材とした、正しく生きるとは、善く生きるとは何か(=信じるとは何か)を苦難を通して表現した作品。

    ヒューマンドラマの形式で、
    信仰心(正しく生きる)とは何かを、寓意的に読者にわかりやすく説明していく。

    「善因善果・悪因悪果の否定」という構造で非常に分かりやすく信仰心を理解できる一方で、物語全体が善行善果になってしまっているのも否めない。

    本家の「ヨブ記」自体も同じ構造になっているので、本当の意味での信仰の深さや神秘性を、言葉や物語を通して表現する事に限界があるのかなと感じました。

    一般大衆向けに書かれていると思うのでしょうがないですが、ニーチェが言うところのルサンチマンに陥ってしまわない様な、深みや神秘性がもっと見たかったです。

  • 貧しい小作の一家が貧しいなりに正しく生きてるのに、貧乏を理由に惨めな目にあいまくって、がんばっても報われないし金がないせいで進学諦めなあかんし姉ちゃんは金がなくて嫁入り準備もできんし、母ちゃんと婆ちゃんは病気になるし、なのに嫌なやつは金持ちになって、最後は兄弟以外の家族が土砂災害にのまれて死ぬ。下巻はその続きとなるが、やっぱりどうも報われない。
    最後に福子が自由を手に入れた場面が救いといえば救いだろうが、あの感じの福子が自由を手に入れたあとに本当に幸せになれるか微妙だし。とはいえ、最後にようやく少しの救いがあったのはよかった。
    正しく生きる者がなぜ苦難に遭うのか?正しく生きる意味とは?という作品の主題テーマにひとつの回答が与えられる下巻。
    しかしやっぱり、どうも作品がキリスト教臭いというか、キリスト教が悪いんじゃないけど作者の思想をキャラに語らせ讃えるみたいなのは好きじゃないな。

    「正しい者がなぜ苦難に会うのか、悪い奴がなぜ栄えているのか」

    「ですからね、苦難に会った時に、それを災難と思って嘆くか、試練だと思って奮い立つか、その受けとめ方が大事なのではないでしょうか」
    「試練だと受けとめて立ち上がった時にね、苦難の意味がわかるんじゃないだろうか。俺はそんな気がするよ」

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著者プロフィール

1922年4月、北海道旭川市生まれ。1959年、三浦光世と結婚。1964年、朝日新聞の1000万円懸賞小説に『氷点』で入選し作家活動に入る。その後も『塩狩峠』『道ありき』『泥流地帯』『母』『銃口』など数多くの小説、エッセイ等を発表した。1998年、旭川市に三浦綾子記念文学館が開館。1999年10月、逝去。

「2023年 『横書き・総ルビ 氷点(下)』 で使われていた紹介文から引用しています。」

三浦綾子の作品

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