ローマ人の物語 (6) ― 勝者の混迷(上) (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101181561

感想・レビュー・書評

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  • カルタゴ滅亡により地中海の覇者となったローマ。
    しかし、そのローマが直面したのは自国の"内部疾患"でした。

    グラックス兄弟の改革は世界史の教科書ではさらっと一行程度出てきたくらい。
    しかしこの本では、じっくりと味わいながら読めました。
    世界史の教科書の後ろにはまだまだドラマが隠れているのだということを改めて感じます。

    グラックス兄弟の母・コルネリアのエピソードが印象的。
    とても進歩的な女性なのです!

  • 20110328読了。
    ティベリウス、ガイウス・グラックス兄弟による民衆のための政治も失敗に終わる巻。
    既存の勢力がある中で、新興勢力が世の中をよりよくしていこうとしていても
    力を持っていなければつぶされてしまう。

    また、共和制ローマというシステムのひずみも明るみにでてくる。
    システムは常に万能ではなく、コントロールする対象や規模によってドラスティックに変革することも必要とされることが見えてくる。
    ローマのような柔軟な政治体制をもっていたシステムだとしても。。。

  • グラックス兄弟,マリウス,同盟者戦役.ごたごたやってる感じの頃.

  • 00273
    B010
    他-9999999-001

  • 真に強い組織は危機に陥った時に改革に必要な人物を輩出することができるかどうか、とどこかの本か何かで読んだ記憶があるが、まさにこの章では、その人物が登場してくる。国の衰退を察知し、その原因を見極め、そして改革を実行する。例えどんな巨大な抵抗勢力があろうとも。ただ、悲しくもここで登場するグラックス兄弟は2人とも殺されてしまうのだが・・・。

  • 歴史として振り返ると、グラックス兄弟の改革は、今後のローマの体制(共和制・元首制)にとって必要不可欠なものだったと思うが、当時としては国難としてもよいほどの混迷だったに違いない。何が正しくて何が正しくないかは、”今”ではわからないのならば、信念に従って行動するしかないのかもしれない

    ※9/5にまとめて入力

  • 20100627
    どうしようもなくわくわくする「ハンニバル戦記」から続けて読むには苦しい時期に入る。ただ、急速に育ちすぎた肉体にやっと内臓が追い付いてゆく時期として、この時代もローマには必要だったということ。必要に応じて変わるということを知らぬ国体は生き残れない、当たり前のことながら。

  • いきなりですが引用。

    ***
    人間とは、食べていけなくなるや必ず、食べていけそうに思える地に移動するものである。
    これは、古今東西変わらない現象である。

    この種の民族移動を、古代では蛮族の侵入と呼び、現代ならば難民の発
    生という。

    (略)

    紀元前390年に、ケルト人(ガリア人)に首都ローマを一時にしろ占領されるという苦い経験をもつローマ人は、蛮族の侵入を、まず武力で排除することを考え実行した。
    しかし、余裕がある時代―先々のことを考えて対策を立てる余裕をもてた時代―は、侵入を待ち受けるのではなく、自分から蛮族の住む地に出向き、彼らを征服するやり方をとった。

    征服した後でローマ式の、つまり街道網を整備し植民都市を建設したりしての「インフラ整備」を行うことでのローマ化(ローマ人の考えでは文明化)を進め、蛮族が自分たちの地でも食べていけるようにしたのである。

    (略)

    ただし、このローマ式やり方は、現代では、侵略路線であり帝国主義であると断じられて評判が悪い。

    現代では、同じ問題を人道主義で解決しようとしている。
    ただし、解決しようと努力しているのが現状で、解決できたわけではない。
    (147-148項)
    ***

    ものすごく目新しいことを言っているわけではない。
    (駒場で教養の授業受けてたら、特に国際なんとかの授業受けてたら、耳たこ。)

    ただ、「古代では蛮族の侵入」=「現代ならば難民の発生」という等式がズバッと来る。
    その上で、「帝国主義」と「人道主義」という解決策の、正義/効力の葛藤を示す。

    単純明快。いっそ爽快。

    *

    高校(もしかしたら大学の前半?)の頃、自分的に世界史ブームではまっていたものの、本当に初っ端のハンニバル戦記で息切れして終了していました。

    改めて手にとって(文庫本サイズ!!)、読み易さに驚いた。

    『勝者の混迷』では、
    共和制ローマの社会構造が、ハンニバル戦記(=ポエニ戦役)後、紀元前2世紀も後半を迎えて、変容する。

    制度の素晴らしさから築かれた、共和制ローマの栄華が、その制度基盤である社会の変化によって、崩壊の危機に瀕する。

    カルタゴを飲み込み、地中海の覇者になったが故に、都市国家としてのあり方に、まずは経済、それに社会面から齟齬が生じる。

    植民地から入ってくる安価な小麦に、自作農(=市民兵)の経営が圧迫される。
    ここから市民兵の数・質の低下が生じる。
    ・・・までは、高校世界史の教科書でも習うことですが。

    *

    塩野さんが強調するのは、無産階級に落ちた元市民(=兵)の救済が、単なる貧困救済の福祉措置では済まないということ。

    「失業者とはただ単に、職を失ったがゆえに生活の手段を失った人々ではない。
    社会での自らの存在理由を失った人々なのだ。」

    「多くの普通人は、自らの尊厳を、仕事をすることで維持していく。」(48項)
    と言い切るあたり、
    一応、社会学専修所属としては、でぅるけーむぅう!!っとか叫びたくなります(笑)

    **

    さて、6巻では、まずグラックス兄弟、次にマリウスが、この難題に挑むわけです。
    ここで、グラックス兄弟は兄弟ともに、志半ばで無惨にも殺されてしまう。(一方は自殺)

    これは主に植民地経営で富をなしていた元老院議員(=貴族階級)の反発によるものであり、
    また時期尚早であったとも言える。

    が、塩野さんがここでまた考えるところでは、
    兄弟の失敗は時期尚早論以外に、もう1つ、彼らの改革の「やり方」の問題があったという。

    それは、「もしもグラックス兄弟が、彼らの改革を護民官としてでなく、執務間や財務官として実行していたとしたら」(107項)という思いである。

    兄弟の後に改革を実行したマリウスは、執務官として、これを行った。
    執務官は圧倒的な権力を一時的に預けられる身である。

    護民官は平民階級の代表であり、これの権力が強くなることは、共和政の崩壊につながるとして恐れられた。

    塩野さんの言葉では、護民官として改革を行うことは、「現体制“外”」からの改革と見なされる性格があった。
    マリウスの執政官としての改革は「体制“内”」からの変革であったがゆえに、受け入れられる余地も大きかったのではないか。

    ************

    以上、まとめ終了。
    「勝者の混迷(上)」だけでも2巻だか3巻組みのはずなので((上)だけで!!)、
    気長に読みます。

  • 2004/4/14読了

  • 世界史の授業を受けていた頃、ローマ史の中で「ポエニ戦争」と「カエサル」とその後のアウグストゥスから始まる帝政と五賢帝の時代だけはそこそこちゃんと勉強した自負もあり、そこそこどんなお話も「そうそう、こういう時代だと習ったっけ・・・・。」というような記憶があるのですが、「ポエニ戦争後」から「カエサル登場」までの時代に関することに関してはまったく記憶の欠片にありません。  おおかたその時代を扱っていた授業の時は気を失っていたか、友達に代返を頼んでクラブの部室に篭っていたか、はたまた思春期に入ったばかりで気になる異性のことで頭がいっぱいだったのか、のいずれかであろうと思われます ^^;  

    本当であれば「習ってないよ!」と嘯きたいところなんですけど、今 KiKi の手元にある山川出版の参考書(詳説 世界史研究 2003年第11刷)を見る限りでは「内乱の一世紀」という標題で約1ページが割かれているのできっと授業でも何らかの説明があったことでしょう。

    で、塩野さんのタイトルが「勝者の混迷」で山川の参考書のタイトルが「内乱の一世紀」ですから、ゴタゴタ、グチャグチャ、斬った張ったのハチャメチャな時代であったこと間違いなしです。  と言うことで、安定成長の時代よりはこういうドロドロした時代に興味が出てきた最近の KiKi にとっては楽しみなシリーズに突入です。

    (全文はブログに)

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