- Amazon.co.jp ・本 (196ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101196022
作品紹介・あらすじ
附録: 悲しみは光と化す (草野心平著 147-163p)
感想・レビュー・書評
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高村光太郎文学忌、連翹忌。
光太郎のアトリエに咲いていた連翹の花から。
棺の上にも置かれたということ。
所有しているものは昭和の54刷160円の新潮文庫。昨年も読んだ再積読本。
純愛の詩集。
佐藤晴夫の小説智恵子抄は、この詩集や知恵子の半生、実際に関係した様子を踏まえていて、智恵子抄を再度読むにあたり、情景がよく理解できたように思います。
智恵子さんは、病弱な面もあったとしても、自転車に乗ったり、東京の空を探して坂を駆け上がったりと、病気になる前は想像より活発な人だった。最初は、彼女の方が高村光太郎へ積極的にアプローチしていたという事だし。そこから相思相愛となりアトリエでの新婚生活が始まります。
この詩集は、知恵子が精神を病んだ後の作品が多い。彼女が病み始めるきっかけとして 福島の実家の破産がよくあげられている。
加えて、結婚当初の状況を読むと光太郎は彫刻家の父親との対立もありかなり困窮状態にあり生活はなかなか厳しい様子。愛情だけでは生活できない葛藤はあったのではと思う。
光太郎は知恵子に出会う前、本人が精神的に不安定な生活を続けていて彼女により救い出されたと書いています。
今残されている数々の作品は智恵子さんの存在によるものなのです。彼女は愛した光太郎の作品の中に生き続けています。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
あどけない話
智恵子は東京に空が無いといふ、
ほんとの空が見たいといふ。
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間に在るのは、
切っても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながら言ふ。
亜多多羅山の山の上に
毎日出てゐる青い空が
智恵子のほんとの空だといふ。
あどけない空の話である
、、、私が十代のころ、智恵子抄が家の本棚にあり、パラパラと読んでいて、この詩が、一番、印象に残っていた。智恵子さんの、切絵作品も、カラーで載っていて、美しい。このたび新潮文庫の智恵子抄を読み返したくなり、購入した。改めて読むと、高村光太郎の、智恵子を本当に熱烈に愛していたのが分かる。……智恵子さんと同じ病を持ち、二十数年経った私が、今この本を読むと、智恵子さんの視点で、考えてしまう。高村光太郎は、智恵子を芸術家の眼で視ていて、芸術作品とした。狂気を孕んだ無垢な女は、創作のインスピレーションの泉であったことだろう。高村光太郎の、愛、は本当でも、その愛は、多いに自分にも、向けられていたように、感じてしまった。高村光太郎は、詩作の中で、何度も「人間でなくなった智恵子」というような表現をしているが、私には、詩人の感傷のように思えてならなかった。
、、、ともあれ、素晴らしい詩をたくさん読むことができて、とても良かった。
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あの頃
人を信ずることは人を救ふ。
かなり不良性のあつたわたくしを
智恵子は頭から信じてかかつた。
いきなり内懐(うちふところ)に飛びこま...あの頃
人を信ずることは人を救ふ。
かなり不良性のあつたわたくしを
智恵子は頭から信じてかかつた。
いきなり内懐(うちふところ)に飛びこまれて
わたくしは自分の不良性を失つた。
わたくし自身も知らない何ものかが
こんな自分の中にあることを知らされて
わたくしはたじろいた。
少しめんくらつて立ちなほり、
智恵子のまじめな純粋な
息もつかない肉薄に
或日はつと気がついた。
わたくしの眼から珍しい涙がながれ、
わたくしはあらためて智恵子に向つた。
智恵子はにこやかにわたくしを迎へ、
その清浄な甘い香りでわたくしを包んだ。
わたくしはその甘美に酔つて一切を忘れた。
わたくしの猛獣性をさへ物ともしない
この天の族なる一女性の不可思議力に
無頼のわたくしは初めて自己の位置を知つた。
私が一番好きな詩です。
中学生の時、友達が手紙でこの詩を教えてくれてはっとしました。
人を信じることは人を救う
2021/08/14 -
まいけるさん
素敵な詩!ですね。良いお友達をお持ちであったのですね。
智恵子抄を、取り出して、読んでみました。
けれど何故か、「あの頃」と...まいけるさん
素敵な詩!ですね。良いお友達をお持ちであったのですね。
智恵子抄を、取り出して、読んでみました。
けれど何故か、「あの頃」という詩、太宰治の人間失格に出てくる、人を信じ過ぎる、無垢な女を、連想させます。
いえいえ、やはり、智恵子は高村光太郎にとって、天女のごとき存在であったのでしょう。
私も、ハッとしました。
ありがとうございました。 (*^^*)2021/08/14
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高村光太郎の愛の詩集だ。
「いやなんです
あなたのいつてしまふのがー」
そのフレーズは知っていたけれど、「人に」というタイトルすら知らなかった。
また、「人に」というもう一つの詩があることも初めて知った。
「智恵子は東京に空が無いといふ、
ほんとの空が見たいといふ。」
こちらも、「あどけない話」というタイトルであることを知らなかった。
私にとって、本当に初めての高村光太郎だ。
『人に』(いやなんです)
光太郎と智恵子が出会った時、智恵子には婚約者が居たのだそう。
だから、
「いやなんです あなたのいつてしまふのが」
なんですね。
知らなかった~。
「花よりさきに実のなるやうな
種子よりさきに芽の出るやうな
夏から春のすぐ来るやうな
そんな理屈に合はない不自然を
どうかしないでゐて下さい」
焦がれる気持ちで溢れている。
すがっていると言ってもいいくらいに。
○○のような…○○のような…と重ねに重ねているからこそ、正直に真っ直ぐ述べる最後の2行が切なく胸を打つ。
「おまけにお嫁にゆくなんて
よその男のこころのままになるなんて」
でもこれ、ただすがっているだけじゃなさそう。
「そして男に負けて
無意味に負けて
ああ何といふ醜悪事でせう」
これって、決められた婚約者の元に嫁ぐなんて、そんないいなりになっていていいのですか?と言っているのかな。
それだけでは言い方が強めだな…と思い少し検索すると、光太郎はフェミニストだったとの記事があった。
女性の権利を認め、男女平等に価値観を求める人であったということ。
そんな光太郎だからこそ、自分の心惹かれる女性が、言いなりになって嫁いでいくことに我慢がならなかったのだろうな。
「ーそれでも恋とはちがひます
サンタマリア
ちがひます ちがひます」
恋を否定すればする程に、どれほど恋い焦がれているのかが伝わってくる。
高村光太郎は1911年(明治44年)12月に智恵子と出会ったとのこと。
「人に」は1912年(明治45年)7月の作品。
光太郎と智恵子は1914年に結婚。
だけど、平穏な生活は長くは続かなかった。
1929年に智恵子の実家が倒産。
この頃から智恵子は体調を崩し始めて、精神を病んでしまう。
『レモン哀歌』
「そんなにもあなたはレモンを待ってゐた
かなしく白くあかるい死の床で」
智恵子の詩の間際を書いた詩。
あかるい死の床、レモンの清々しさ、それらによって二人の愛が神聖なものに昇華されているように思えた。
「その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱつとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
私の手を握るあなたの力の健康さよ」
正常に戻れば、智恵子は確かに自分を愛しており、握り返してくる手の力も健康的であるというのに、その一瞬に全ての愛をかたむけ、彼女は逝ってしまう。
光太郎にとってどんなに大きな悲しみであっただろう。
同時に、これまで智恵子につくしてきたことが報われもしたのではないだろうか。
「写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置こう」
「今日も」とあるように光太郎はこれまでも、そしてこれからもレモンを供え智恵子を想ってゆくのだろうな。
それでも、「今日も置く」ではなく「今日も置こう」としたことで、そこに動きが生まれているような気がする。
そうやってレモンを供えることが、日常生活の一部であるように。
智恵子が亡くなったのは1938年(昭和13年)10月で、肺結核だったのだそう。
この詩は1939年2月の作品。
『智恵子の半生』
これは高村光太郎が残した随筆だ。
彼女の存在が光太郎の大半を占め、彼女の死が光太郎にどれほど大きな衝撃を与えたかがよく分かる。
「自分の作ったものを熱愛の眼を以て見てくれる一人の人があるという意識ほど、美術家にとって力となるものはない。」
「製作するものの心はその一人の人に見てもらいたいだけで既に一ぱいなのが常である。私はそういう人を妻の智恵子に持っていた。」
智恵子を亡くし空虚な日々を過ごす光太郎だったが、
「或る偶然の事から満月の夜に、智恵子はその個的存在を失う事によって却て私にとっては普遍的存在となったのである事を痛感し………」
とある。
心の支え、想像力の源だった彼女が、本当の神の領域としてのミューズに昇華された瞬間だろうか。
この『智恵子の半生』の中で光太郎は、実に冷静に客観的に、智恵子と自身について語っている。
『智恵子抄』を読む前に、こちらに目を通したほうが良かったかもしれない。
智恵子も洋画家であり芸術家だった。
そんな彼女にとって「肉体的に既に東京が不適当の地」であり、「田舎の空気を吸って来なければ身体が保たないのであった」と光太郎は語っている。
「私は時々何だか彼女は仮にこの世に存在している魂のように思える事があったのを記憶する。彼女には世間慾というものが無かった。彼女は唯ひたむきに芸術と私とへの愛によって生きていた。」
智恵子の命日10月5日は『レモン哀歌』にちなんでレモン忌と呼ばれる。
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何もわからないくせに
高村光太郎にかぶれてた。
「東京には空がない」など暗唱していた。
かなり文学少女気取りか!「自分」
今でも本の表装が赤で覚えてる。
じっくり読んでみたらどうだろう〜 -
詩を解する心が自分に乏しいので、それが半分を占めるこの大作をなんとなく避けてきたが読んでよかった。
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私の1番好きな本です。
高村光太郎が妻・智恵子を思って書いた詩集。
出会ってから亡くなってしまっても。
有名な詩ですが「あどけない話」が好き。
智恵子は東京に空が無いといふ、
ほんとの空が見たいといふ。
智恵子のように純粋になりたい。。。 -
修学旅行に持っていった。静謐でみずみずしい言葉たちがだいすき。高村光太郎は「レモン哀歌」から知ったけれど、この詩集の巻頭の、「人に」がとても響いて入り込めた。こころの奥からまっすぐに恋人に目を向けている感じがすてき。
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目の前で見てきた妻がどんどん変わり果ててしまうのをどんな気持ちで見ていたのだろうというまさに興味心で読み始めたが、あまりにも純粋で心から愛されているのが本当にわかる。智恵子さんが亡くなっても尚、作品を発表した強さには感動して涙した。でもやはり世界一愛していた、世界一自分自身の作品を見てくれた彼女の存在は彼にとって大きすぎるもので亡くなってからはもう初めの詩とは全く違う雰囲気と言葉を使った詩になっておりそれが読者の私でも本当に心が痛かった。
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友人の結婚式への道すがら読んだ。
後から知ったことだが、高村智恵子は日本女子大学の出だった。我が友人も同窓である。何かの縁だったのかもしれないと思う。
光太郎と智恵子の無類なき愛の物語。
「あどけない話」だけ知っていたが、「冬の朝のめざめ」がよかった。
ヨルダンの川に氷を噛まむ