葬送 第一部(下) (新潮文庫)

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  • / ISBN・EAN: 9784101290348

作品紹介・あらすじ

彫刻家クレザンジェは、ソランジュに求婚し、その母サンドはこれを了承した。病床にあったショパンは、ドラクロワとともに深い危惧を抱く。その彫刻家の軽佻・利己・浪費といった性行を知っていたからだ。事実、彼は二十万フランもの不動産を持参金という名目で略取しようとしていた。そして…。荘重な文体が織りなす人間の愛憎、芸術的思念、そして哲学的思索。感動の第一部完結編。

感想・レビュー・書評

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  • さて今回は全体の話の流れを紹介したい

    ネタバレを含みますが、ネタバレは重要ではない作品なのだ(と勝手に強く思っている)

    まず本書を読むにあたり、一番のネックは(ありがちな)横文字の登場人物の多さ
    メモを取りながら読むのだが多過ぎて倒れそうになる
    〇〇侯爵夫人、〇〇男爵、〇〇大公妃…次から次へと登場しおまけに名前が長い(ドストエフスキーのがマシ)!
    メモを書いても正直わからなくなる
    途中から主要人物ではなさそうな人はもういいや!と断念したが、まぁ話は繋がっていく
    あまり完璧主義に陥らず読んでも大丈夫そうだ(モヤモヤしては読めない!という方は頑張ってメモしてください…)

    「序」章はショパンの葬儀から始まる
    そのため、最後まで読み切ってからここにもう一度戻るとよくわかる(あなたは誰ですか?となるため…)
    逆に言えば、理解がぼんやりしていても何の問題もない
    すっ飛ばしてもいいかもしれない

    さて(ようやく)肝心の内容

    ショパンとドラクロワを中心にストーリーが展開される
    ショパンが主人公!というよりショパンを取り巻く人たちそれぞれにスポットが当たって行く
    なかでもドラクロワの立ち位置はショパンと並ぶほどガッツリ描かれる
    二人の友情、同じ芸術家の二人の比較、二人の芸術に対する思い、わかり合う喜び、しかし最後のドラクロワの心境は……注目だ

    ショパンの愛人である小説家のサンド夫人
    愛人という言葉はこの時代にはしっくりくるが、現代ではあまり良い印象はもたれまい
    余談ながら当時のフランスは宗教上の理由などにより、おそらく離婚ができなかったのではないか
    そのためサンド夫人は戸籍上のご主人と別居状態である
    今の「愛人」の感覚とは少々違う気がする
    そのサンド夫人と子供たち
    ショパンはしばしば彼らと食事や旅行を共にし、ある種家族のように過ごしていた 
    サンド夫人とその娘は以前から確執があるが、彼女の結婚をめぐる問題で確執がさらに深まり、これにショパンも巻き込まれる
    元々体が丈夫ではないショパンであるが、このことをきっかけに心身ともにやつれ病んでいく…
    この親子の確執がある意味ドラマである
    確執になる要素は確かにあるとはいえ、原因なんかより、とにかく母娘の性格が非常にクセモノである
    似た者同士の意地の張り合いが、まさかここまで…というほどの亀裂へ展開する
    滑稽と感じるが、彼女たちは真剣勝負で自分はぜったいに悪くないと一歩も引かない
    そこに非常に繊細なショパンが間に入ってきて、なんとも似つかわしくないのが容易にわかるだろう
    当然彼の精神は蝕まれていく

    ショパンの素晴らしい演奏(素晴らしい演奏に聞き惚れる皆の興奮が伝わる)、ドラクロワの仕事っぷり(いつも悶々しているから、頑張れ!と応援したくなる)、サロンでの社交の場(華やか☆)、パリの生活(そうとう埃っぽく騒がしく臭そうである 喘息の人は住めないんじゃないか)、馬車での移動(大変そう 高齢者や病人はどうしていたのだろうか…)、革命やその時代の政治的動向(ショパンやドラクロワは結構無関心)、サンド夫人の娘の結婚(旦那がクソ過ぎてビックリする)、やがて訪れるサンド夫人との訣別、ショパンを愛してやまないスターリング嬢の登場、そして最後はショパンのお姉さんが…

    まぁざっとこんな感じでその世界観に浸るのがなかなか異空間に行ったようで悪くない
    実に様々な目線から楽しめる
    内容もいちいち広く深く、(なんせ本書の分量が相当なページに及ぶので)じっくり重厚に進んでいくのだが、内容がないといえばある意味ないともいえるかもしれない
    いや、深い内容がたくさんあるのだが、狙った内容ではないというのか…
    そのためノンフィクションに近い感覚で読める

    次回は各登場人物についてご紹介したい

  • 読み終わって放心状態・・・。

    何と言う世界観・・・。

    文章で、これだけの世界を伝えられるのは凄い!
    圧倒的な文章力、表現力。

    一部の上巻から、随分主人公たちに動きがあり、お話としても面白いのに、とにかく文章が凄い。

    一行読む度に溜息が出る。

    気に入った場所に付箋を付けながら読んでいったら、付箋だらけになってしまった。

    そのくらい気に入る表現が満載だった。

    この巻の最後、国民議会下院図書室の天井画の完成の件は圧巻。たかが読書で戦慄を覚える程。

  • 親子喧嘩に巻き込まれた感じになったショパン。
    体調も悪いだろうにかわいそう。
    サンド夫人の言い分もわからないこともないけど、どうしてもショパンの肩を持ってしまう。
    どこの世界にも狡猾な詐欺師がいる。今後の展開で、もっと悪いことが起こりませんように。
    ドラクロワは、9年の歳月を経てついに図書館の天井画が完成!通常観覧はしてないみたいみたいだけど、死ぬまでに一度見てみたい。

  •  ソランジュとクレザンジェの結婚からサンド夫人との決別に至るまでテンポよく物語が進んでいく。
     クレザンジェの策略成功のために奔走する様は彼の感情の浮き沈みも相まって面白かった。
     この下巻で気がついたのは以下の3点。
     ①ソランジュの許嫁であったプレオーについて、サンド夫人がその「潔さと未練との入り交じった」「誤字だらけの文章を綴って」きた彼を「娘婿に迎えるのはいかにももの足らぬ青年だった」と断じているシーン。フランス人が(日本人でもそうかもしれないが)言語を大切にし、その扱い方によって人を見てその人となりを判断しているということを表した部分だと思った。上流階級に属し、さらに自身が作家であるサンド夫人からすればプレオーの所作は耐えられないものがあったように感じる。
     ②ショパンの孤独。自分不在のノアンで結婚が決まり、式まで終えた状態でパリへ帰京したサンド夫人一家に対してサンド夫人の愛人である自分が今回の結婚に対する賛否をいかに表明すべきかと悩む中で深い孤独を味わっている。本音を言えば反対であるが、今まで一番にかわいがってきたソランジュが自ら決めた結婚を受け入れなければ家族とはいえないし、ましてや本来は家族でもない人間なのだから口出しすべきではないということも脳裏に過り葛藤する。家族と部外者の狭間のグレーな関係性であるショパンの板挟まれ具合が辛い。
     ③フォルジェ男爵夫人がドラクロワと自分との違いを思うシーン。「これから先の人生」は「まるでただ失うためだけにあるかのようだ」「結局何も残らない」「自分自身ですらやがてはあの永遠の世界へと失われていってしまう」というように、喪失へと向かう人生への不安を吐露しているが、ドラクロワには「芸術があ」り、「自分自身を黄金に煌めく額縁の中に蓄えてゆくことができる」と感じている。
     それに対してドラクロワは自らの芸術作品に対して「画家の命を貪ることによってのみ自らの命を獲、彼から奪った時間によってのみ永遠を練り固めながら、決して画家とは運命をともにせぬ何者かであった」と感じている。フォルジェ男爵夫人が失うことへの恐怖を感じているように、ドラクロワも得体の知れぬ存在によって突き動かされ奪われていると感じている。作品を生み出して世に残していると思われていたドラクロワ自身も何者かに収奪されているという点が面白かった。第二部上巻での「天才と趣味」に関するカントの話にもつながる部分であり、この物語の重要な課題であると思った。

  • 登場人物の江戸訛りが気になる…。フランス人なのに「ちくしょうめ!」みたいなこと言われても…

  • 「葬送 第一部(下)」平野啓一郎著、新潮文庫、2005.08.01
    365p ¥540 C0193 (2023.07.19読了)(2010.10.02購入)
    ジョルジュ・サンドとその娘、息子、養女、の愛憎劇がこれでもかとばかりに繰り広げられて、ドラクロワやショパンは、ちょっと脇に追いやられている感じです。
    別の本で、ある程度は知っている話ではありますが、凄まじいですね。
    第二部がまだ残っています。

    【目次】(なし)
    第一部(下)
    十二~三十三

    ☆関連図書(既読)
    「ショパンとサンド 新版」小沼ますみ著、音楽之友社、2010.05.10
    「ショパン奇蹟の一瞬」高樹のぶ子著、PHP研究所、2010.05.10
    「愛の妖精」ジョルジュ・サンド著、岩波文庫、1936.09.05
    「ショパン」遠山一行著、新潮文庫、1988.07.25
    「ドラクロワ」富永惣一著、新潮美術文庫、1975.01.25
    「葬送 第一部(上)」平野啓一郎著、新潮文庫、2005.08.01
    「ウェブ人間論」梅田望夫・平野啓一郎著、新潮新書、2006.12.20
    「三島由紀夫『金閣寺』」平野啓一郎著、NHK出版、2021.05.01
    (「BOOK」データベースより)amazon
    彫刻家クレザンジェは、ソランジュに求婚し、その母サンドはこれを了承した。病床にあったショパンは、ドラクロワとともに深い危惧を抱く。その彫刻家の軽佻・利己・浪費といった性行を知っていたからだ。事実、彼は二十万フランもの不動産を持参金という名目で略取しようとしていた。そして…。荘重な文体が織りなす人間の愛憎、芸術的思念、そして哲学的思索。感動の第一部完結編。

  • 第二分冊となるこの巻では、ショパンの愛人であるジョルジュ・サンドの娘ソランジュと、彫刻家のオーギュスト・クレザンジェの結婚の前後の話となっています。

    自分の利益を追求するクレザンジェが舞台回しの役を担い、ジョルジュ・サンドとソランジュの母娘の決裂と、サンドとショパンの破局がもたらされることになります。前巻にくらべると重厚な芸術談義などは控えめになっており、ストーリーそのものをたのしんで読むことができました。

    最後は、ドラクロワがリュクサンブール宮の天井画を完成させる場面がえがかれています。「人生は短く、芸術は永遠である」というのはしばしば語られる箴言ですが、その運命を一身に引き受けることになった一人の芸術家の感慨が語られており、興味深く感じました。

  • 210119*読了
    さて、第一部の下巻です。
    彫刻家クレザンジェと、サンド夫人の娘、ソランジュの結婚。サンド夫人の暴走がすごい。落ち着いておくれよ…。
    最初はすごくクレザンジェに腹を立てていたけれど、だんだん憎めなくなってくるから不思議。悪人になりきれない兄ちゃん。笑
    この結婚の騒動がほとんどを占めていて、やっとショパンが出てきたと思いきや…。うーん。サンド夫人よ…。
    彼女は自分が間違っていると思っていない。立場が変わればなんとやら、でそれぞれの立場で正しさって変わるのだなと学ばせられました。

    ドラクロワとショパンの関係がなんだかいい。なんともいえぬ距離感。
    ドラクロワの思索が好きなので、最後のシーンが印象的でした。彼の超大作が読みながら頭の中に広がっていきました。ドラクロワさん、お疲れ様。

    平野啓一郎さんの文章って、読んでいて理解できないような哲学的なところがあるけれど、それがおもしろい。
    さて、第二部も今から読みます。至福…。

  • 這卷花費了極大的篇幅在寫クレザンジェ成功與ソランジュ結婚的點滴過程,然而沉浸在完成女兒人生大事喜悅中的喬治桑很快地就發現クレザンジェ的真面目其實就是衝著錢而來。婚禮時刻意不邀請蕭邦,是因為知道蕭邦對クレザンジェ持反段意見,也不願屑他以"父親"的腳色在當天登場,因此完全沒有去探望一度病危的蕭邦;然而與クレザンジェ正式撕破臉之後周圍的所有人全遭到波及,ソランジュ在惡意之下要求蕭邦幫忙借馬車讓她回巴黎,蕭邦的善意卻讓喬治桑感到身為女人的敗給女兒的恨意,擅自將蕭邦認定為背叛,而蕭邦也因為在這家庭風暴中磨損已久,儘管忍受喬治桑的新作中對其多所諷刺,喬治桑在自己病危時不來探望等等,所有的小事終將感情磨損殆盡,蕭邦也意識到這個導火線會帶來什麼,但自己的心卻已經失去再挽回的力氣。因此,兩人的感情終於走到冰點。作者相當有耐心地描繪整段クレザンジェ的陰謀、不堪入目的爭吵、甚囂塵上的惡意與破裂的不合的喬治桑家的鬧劇,原本感到納悶地是作者為何要如此大費周章用近兩三百頁描寫這些內容,但本卷卷末終於理解到其實是在描寫一段九年的感情如何走入墳墓,透過淡淡的描寫其實讓人不寒而慄。每段內心轉折、鬧劇登場的人物,作者又是多麼細緻地一一描繪每道肌理,比喻意象也用得非常適切,然而漫長的鬧劇的終點只不過是要解剖這段感情的終結,讀到這段安排深覺作者之巧妙,淡淡的筆觸跟吉村昭一樣反而讓人更加悵然。

    此外,德拉克羅瓦提到大革命後的人離開激動的時代,雖然獲得物質上的舒適,然而幸福也只代表物質上的幸福,也永遠成為時間的囚徒,這是一場クロノス的逆襲與勝利。這段似乎有點作者省思三島由紀夫的味道,寫得相當發人深省。德拉克羅瓦的戀人深感與男友之距離,然而卻必須逞強無法向其訴說抱怨自己的寂寞,畢竟男友是屬於可以超越時空領人景仰的巨匠,自己就必須忍受無法獨佔他的寂寞。因此也與德拉克羅瓦漸行漸遠。本卷卷末德拉克羅瓦終於完成下院讀書室的天井畫,自己參觀自己的作品才愕然發現傑作是多麼地尊大地侵蝕他的生命本身,又偉大地與他本人多麼無關。這一段也寫得非常出色,對於作者藉德拉克羅瓦的口中所說出的這段內容,我相當同意。傑作是擁有自己強大生命的自私怪獸,作家被他佔領,也被吸收精華,正是作者所言「途方もない消尽の要求」,並且冷酷無情地自我完成,自我成就。我感到比較好奇的是,或許德拉克羅瓦真的是這樣想的,作者如何在二三十歲的年紀就能寫出這樣的內容,他的出色也令我驚嘆。

  • 記録

  • 上巻ではややもたついていたストーリー展開が,サンド夫人の娘のソランジュがクレサンジュと結婚するあたりから加速し,ドラクロアが自ら描いたリュクサンブール宮の天井画を観て自ら驚愕するところまで.
    徐々に病に冒されていくショパンの影が薄くなってゆき,話の着地点がどこなのかが見えなくなってきた.第2部が楽しみだ.
    この小説を読んでいて見事だと思うのは,登場人物が会話を,特に親しい友人と,交わす場面における思考の流れ,飛躍の描写である.
    ドラクロアは,例の自由の女神の絵の印象が強いのだが,リュクサンブール宮の天井画はすごく観たくなった.ショパンももっとちゃんと聴いてみようかしらん.

  • 第1部の締めは見事に芸術の本質をえぐっている。

    ドラクロワの使用人ジェニーがことのほか好ましい。そして、ドラクロワの人間味も。

    精神的なひ弱さ(ショパン)、傲慢さ(サンド)が恋愛の末期を通して、描かれている。いつの間にか感情移入している。そして、何かの教訓を引き出そうとしている。

    中年のビルドゥングス・ロマンを描くにはこのような文体でなければならなかったのかな、と思える。次第にこの文体に親しみを感じてきた。

  • えらく歩みの遅い作品。おそらくはそういった構成を意図的に採用しているのだろうけれども、その仕掛けは読者に挑戦的な感あり。
    内容としてはショパンとドラクロワの話を行ったり来たりする訳だけれども、今のところドラクロワの話の方が芸術に身を投じた人間の苦悩と悦びを粘着的に描いていて面白い。この辺り、美術展評論もしている作家の面目躍如といったところかな。逆にショパンの話はメロドラマであって、正直言ってショパンでなくとも良い訳で。まぁこれもキャラクター採用の時点での作家の意図なのかもしれない。

  • ドラクロワの新作の描写がすごい!
    ジョルジュ・サンド周辺の人間関係のあれこれも読み応えあり(苦笑)

  • 第一部で挫折・・・

  • ここで中心となって描かれるのはサンド夫人の娘であるソランジュと彫刻家のクレサンジェとの結婚と、金の絡んだ複雑な愛憎劇です。俗になろうと思えばいくらでもなるテーマをここまで重厚に纏め上げるのは凄いです。

    やっと。やっとのことで読み終えました。しかし、これでもまだ道半ば。まだ後半分残っているかと思うと楽しみであり、また長い旅路になるなぁと思いながら最後のページをめくりました。ここで中心に描かれるのはサンド夫人の娘であるソランジュと、彼と夫婦関係になる彫刻家のクレサンジェが軸になって描かれます。

    その結婚をサンド婦人は了承し、あちこちに手紙を書いてそれを知らせるのですが、その愛人であるショパンは重篤な病に伏せっているのでした。彼と親友で画家のドラクロワはクレサンジェの性癖―軽佻・利己・浪費―を普段からよく知っているだけに、この結婚がはたしてうまく行くのかと大変不安がっているところから始まります。

    その危惧は残念ながら的中し、クレサンジェは持参金の名の下にサンド夫人から20万フラン(残念ながら当時の価値はわからない)をせしめるためにあの手この手を使って画策をするという場面に相成るわけでございます。それにしても人間の愛憎劇をここまで濃密かつ緻密に、かつ美しく表現するとは至難の業だろうなと、読みながらつい、そう思わずに入られませんでした。

    そのハイライトであるサンド夫人と娘のソランジュ、そしてクレサンジェがサンド夫人の家の中で文字通り修羅場を演じ、サンド夫人とソランジュが親子の縁を切る場面の描写は個人的にはついつい人間の持つ俗な部分に目が行ってしまうので、芸術に生きる人間もまた、お金であり、家族関係なりそういったものに向き合わざるを得ないと言うことを突きつけられるものでありました。

    やがて、その事実はショパンの下にも伝わり、ソランジュからの『馬車を貸してほしい』という訴えを手紙で受け取り、馬車の手配をしてからサンド夫人との前々からギクシャクしていた関係が一気に表面化してくるのです。そして、彼らの関係は一度もあって話をすることなく、すれ違いのまま破綻することになってしまうのです。

    サロンではこの事実が一気に広まり、ショパンの見方をする者をはじめとしてさまざまな態度をするさまが丹念に描きこまれており、これに関しても現代とさほど変わらないなぁと読みながらつくづく思いました。一方のドラクロワはかつで自分のところで修行していた元弟子に自分の芸術を遠まわしに馬鹿にされたりしながらも、病弱の体を押して作品に没頭し、長年関わっていた下院図書室の天井画を感性にまでこぎつけます。

    ここに描かれた絵を平野氏の書いた文章を読んでから、実際にドラクロワの画集を開いて僕は確かめました。なるほど、描かれているすべての絵が平野氏の筆による詳細な描写によって描かれ、さながら時を越えた芸術家同士の『異種格闘戦』のように思え、自らの仕事をたった一人で再確認するドラクロワと筆者の姿が重なるような思いがいたしました。それにしても、芸術に関する賛歌を高々と歌い上げ、哲学的な思索を施しながらも、その裏にある金や欲望を中心とした悲喜劇まで余すところなく暴き出す。1読者としては20代半ばの若さでなぜここまでの仕事をなしえたのか、本当に敬服と筆者の底知れぬ才能を思わずにはいられませんでした。

    読み終えた後にはしばらくの間、放心状態になりますが、もし機会があればぜひ一度手にとって、ご覧になっていただければと思います。

  • 第一部下巻。ショパンの愛人の娘が身持ちの悪さで有名な彫刻家と結婚することになり、物語は急展開。登場人物の感情表現の細かさ深さに圧倒されつつ引き込まれる。一方でドラクロワは全身全霊をこめて大作を完成させるが、最後に完成された作品を眺めて、自らに驚愕する場面が凄い。
    とにかく隙のない、密度の物凄く濃い小説です。

  • 心理描写が多彩で細かい。ひとつの感情に、これでもかってほど言葉を使って、表現していてる。なるほどなって思うところもあるけど、感心してしまって、人物の感情には入り込めない。その時代の、芸術家のつながりとか、思惑がいろいろあって、そこは面白かったけど、言葉の表現がわたしには難しかった。

  • なかなかページが進まずに、読み終えるのに2週間もかかってしまった。
    早く続きを読みたいとずっと思っているのに、時間をみつけ、いざこの本を手にすると、何だか再び表紙を捲るのが躊躇われてしまう。その繰り返しだった。
    しかし長い物語に飽きてしまったのではない。断じて違う。
    続きを読むのが億劫なのではなく、恐ろしいのだ。
    全てを読み終えるまで、もう、ここから出られなくなってしまうのではないか、という気がして。

    上巻を読み終えた時に、「まるで一つの荘厳な神殿のようだ」という感想を持った。
    それならば、その奥に座する神に謁見するにも辞去するにも、相応の作法と覚悟が必要なのは自明の理だ。

    物語は一つの終焉を迎えた。この小説の内に潜む音楽の神と、絵画の神と、それから物語の神に、更に続くであろう大いなる時間を捧げたい。

  • この本を読むためにiPodのプレイリストを作った。
    ショパンの曲ばかりを集めて
    そのプレイリストを流しながらこの本を読んでいる。

    我がことながら幸せな時間を過ごしていると思う。

    下院図書館の天井画の描写が非常によい。

    それまでに、サンド夫人のショパンへの扱いに苛立ったり。
    ソランジュの結婚話なんかかなりのボリュウムだったが
    ドラクロワに全てもっていかれた感がある。

    それにしてもこの自画像イケメンである。

  • 簡単に読み進めることができず時間がかかる。なのに自分の関心のある箇所が必ずあってそこに触れるとページをめくる手も早くなる。ドラクロワの制作の苦脳がリアリティをもって訴えかける。

  • フランス、パリなどを舞台とした作品です。

  • 創作活動と人間関係を巡る苦悩は続く。

  • 解説に作者のことばとして
    「ある真理を明示的に分割してひとつひとつの要素で描き、それらが読者の心の中であわさった時、直接的には表現しにくい複雑な真理がいきいきと理解されるように試みた」とある。

    なるほど、丹念な状景描写や心理描写は総合的に相まって、読者(私)が抱えている言い表せない心情を言い表してくれているように感じる。
    私は物語というよりは自分が言わんとしていることを的確に言い表している文章を綴る作家が好きである。
    私がイメージとしてしか包有出来ないものを言葉として文章として掲示してくれるというのは、私には感動的なことである。

    たとえば、ドラクロワの創作に対するやる気と倦怠について思い悩む場面。
    <病は気持ちのせいなのか? ただ怠けているだけなのでは? 描くことから逃げているだけなのでは?>と自問自答し続ける。その部分で結論は出ない。しかしそれに関連するような別の事柄があり前問いを思い出させたりする。そして読み進めて行くうちに最後の最後にそれに繋がる結論のような描写が出てくる。(勿論「結論のような」であって、結論として描かれているわけではない)

    前述があり後述があり、そしてそれが心の中であわさっていく。すべてがそのようにして書かれている。
    たぶんこれ以上露骨になると厭味でこれ以下だと分かり難過ぎるんだと思う。私には丁度いい塩梅だった。

  •  この巻で主に語られているのはサンド夫人の娘・ソランジュの結婚をめぐる一連の騒動で、それに引っ張られてどんどん読み進めることができたんだけど、読み終わって印象に残るのはやっぱりドラクロワの煩悶だったりします。
     ようやく完成した議員図書室の天井画とそれを見るドラクロワの描写で第一部が完結するからかも知れないですが(しかしこの天井画、ほんとうに見たい……!)
     作中ドラクロワは仕事をするためにアトリエへ行くことへの「抵抗」を、単なる「怠け癖」ではなく「時間の問題」ではないか、というようなことを考え続けていて、最後に完成した天井画の下で「奪われたのは享楽の時ばかりではなかった。彼の生の時そのものであった。そして、削り取られたその痕跡を、画家はただ自分を見捨てゆくもう一つの生の、彼の不在の未来に於る持続を夢見ることによってのみ慰めねばならな」いことに呆然とするのですが、確かにひとりの人間が生きている現在をそれこそ食い潰すほど膨大に費やさなければ芸術は生まれず、あらためて残酷なものだと思いました。
     百年後のドラクロワの評価を知っているし、彼の絵を見てのんきに感動していたので感慨深く読みました。「自分だけが置き去りにされてゆく。今こうして家の中に取り残されているように、この十九世紀という時代の中に。そして彼ばかりが、自分から離れてずっとあとの時代にまで生き残っていく」という愛人・フォルジェ男爵夫人の嘆きもせつない。

     ジョルジュ・サンドは支離滅裂なくらい感情的に描かれていて、ショパンとの関係が破綻する経緯も一方的にショパンに同情するしかないような感じなのですが、……それでも私はサンド夫人がショパンの何を煙たく思うのかちょっとわかるような気がするなあ。
     ショパンを「現実には目を背け、何時も夢のような考えで頭をいっぱいにしている」としか理解しなかった彼女こそが世間知らずのお嬢様で、現実認識ができていなかったのは全くその通りなんですが。

     ところでこの小説、どこまでが創作なのか気になります。

  • 2010-08-25

  • 購入済み

    内容(「BOOK」データベースより)
    彫刻家クレザンジェは、ソランジュに求婚し、その母サンドはこれを了承した。病床にあったショパンは、ドラクロワとともに深い危惧を抱く。その彫刻家の軽佻・利己・浪費といった性行を知っていたからだ。事実、彼は二十万フランもの不動産を持参金という名目で略取しようとしていた。そして…。荘重な文体が織りなす人間の愛憎、芸術的思念、そして哲学的思索。感動の第一部完結編。

    第一部の上はショパンのお葬式からはじまり
    第一部の下はそのショパンとジョルジュ・サンドとの破局までが描かれてました。

    とっても人間関係がおもしろくなってきて
    第二部がとっても楽しみです。

    今までのところ
    わたしはジョルジュ・サンドとい人間が好きになれません。
    読んでいくと変わるのかしら?
    リストとショパンに愛されたと言うけれど
    わたしはあまり好きではないのです。

    この先どうなっていくかが楽しみです。

  • ドラクロワの不器用さ、フランショームの暖かさ。愛でてます。

  • 091109

  • [初版(第1刷)]平成17年8月1日

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著者プロフィール

作家

「2017年 『現代作家アーカイヴ1』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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