- Amazon.co.jp ・本 (184ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101296715
作品紹介・あらすじ
ブッシュがイラクに宣告した「タイムアウト」が迫る頃、偶然知り合った男女が、渋谷のラブホテルであてどない時を過ごす「三月の5日間」。疲れ切ったフリーター夫婦に忍び寄る崩壊の予兆と無力感を、横たわる妻の饒舌な内面を通して描く「わたしの場所の複数」。人気劇団チェルフィッチュを率いる演劇界の新鋭が放つ、真に新しい初めての小説。第2回大江健三郎賞受賞作。
感想・レビュー・書評
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john gastroの純文学コーナー「J/B」で購入。
本質ではないけど、映画館で会った女の子の突き抜けた痛さが心苦しい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
久々に文学っぽいものを読んだなあという感じ。
同名の映画に興味があって、小説を読んだ。
出てくる固有名詞にも、六本木のスーパーデラックスとか、なじみがあってというか、むかしをおもいだして、あーきもちわかるよというか、わかりたくないというか、閉塞感への親近感はもてた
物語ではなくて、ある雰囲気の切り取りを読んだようなきもち。
骨組みとしては?時間軸と語り手の視点がねじれていって、それが絶妙なうまさというか、気持ち悪さを醸し出してるのだと思った -
又吉から
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う〜ん。私には理解不能。かなり好みの分かれる本ですね。
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2023/3/9読了
不思議な本だった。読んでる間はなんだか憂鬱で、これ以上読みたくないような、でも何故かスルスル読んでしまうような。読み終わった後は、すごく良い作品だったと思った。 -
古代の歴史書には「いつも通り」の物事は記録されない。記録されるのは何か異例のことが起こったりしたとき。
この本の中には、ちゃんと意識したことないけど日常の中に確かに存在してるもの(そしてそれらは歴史書を綴るときにはまず書かれない)が意識的にたくさん描かれていた。
「部屋の天井の蛍光灯のうち、外側に据え付けられている大きな円の方」「直径二十センチほどの、滑り止めのための環状の模様のへこみ」「帰り際に客がトレーをそこに自分で重ねて片付けるための置き場」などなど。
実をいうとこのことに気付いたのが2篇目の後半を読んでいる時で、それ以降にそういう表現に出逢ったらメモろうと思ったのだけど、マジでめちゃくちゃ出てきて書き切れなかった。
それは物の名前以外にも、何でもない動作とか、感情とか、「わざわざ小説に書くほどではないけど間違いなく存在すること」が十分な分量で書かれていて、そのためか読んでいて気持ちが良かった。 -
語りてがズルズルっと転換していくのが新しいのかなあ、と思いつつも結局イマイチ何が言いたいのか受け止められなかった。
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トヨザキ社長オススメから。中編2作品からなる小品。でも会話も地の文で繰り広げられつつ、改行も最小限で語り進められるから、読み応えはかなり大。思ったことをそのまま文章にしてるみたいなとりとめなさを感じさせつつ、でも読み進めるのに難儀しないっていう難解な業を、矢継ぎ早に繰り出されている感じ。いつの間にか語り手が変わってたりするけど、それを込みでもリーダビリティは意外に高い。前半の、どことなく村上春樹な雰囲気も感じる作品の方が、個人的にはより好み。でも後半の退廃的夫婦の物語も味わい深し。
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全ての思考や行動があっちにいったりこっちにいったりする、でも語られないところは必ずあってその空白が気になってしまう。三月の五日間の映画館にいたブサイクな女の子の痛さが、自分か!と思って直視できなかった。直読。
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なかなか話の中に浸るには 難解な小説だった。
非日常な2編の主人公たちの 「特別な時間」は、自分が経験したいか・・・と問われれば、(したくない)時間の過ごし方だけど、
私が気づかないだけで、案外 そこらへんに歩いている人たちは そんな時間を過ごしたことがあるのかもしれない。
文章はとても映像的で、肉感を感じさせる。
とくに2編目の中にあった
「右足の親指の裏側の脇のほうが、いつのまにか、人差し指の上に乗っかるような感じ」
上手いなぁ・・・と思う。
でも 一人語りのくどさとの戦いでした。 -
収録された二編とも起伏のないストーリーで、人称や視点がころころ変わり、決して読み易くはないはずなのに、不思議と引き込まれた。大江健三郎による巻末の解説も、濃密で読み応えがあった。
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脚本は前に読んでいてそっちの評価文等は読んでいたのだけど、なのに小説は全然読み進まなくて、買ったときに観に来ていたチェルフィッチュの舞台も身が入らずじまいで挙句寝てしまって、多分そのだるさみたいなものが取れたから今回読み終えられたような気がする。
読めなかったのは、やはり緊密性があるのだと思う。本来あるはずの文末・句点やが流れまくった口語の文章は、そのモダリティすら浮遊感と空虚をちゃんと演出する。頭は使わされる。かわいこぶってないけど面白く読めて、一読の価値は間違いなくある。
読み返しもしたいところ。 -
イラク戦争下。タイムアウトを迫る世界から遠く離れ特定の行為に埋没し、その世界からもまた日々の生からも離脱することを許された特別な時間はやはり終わり、剥き出された赤裸の日常性に否応なく巻き込まれる(「三月の5日間」)。
あるにのはただ無為と倦怠が偏在する複数の場所であって(「わたしの場所の複数」)、悪意と諦念の瀰漫する日々の中でさえ、ふいに「良質の悲しみ」(©大江健三郎)が現れる。 -
【本の内容】
ブッシュがイラクに宣告した「タイムアウト」が迫る頃、偶然知り合った男女が、渋谷のラブホテルであてどない時を過ごす「三月の5日間」。
疲れ切ったフリーター夫婦に忍び寄る崩壊の予兆と無力感を、横たわる妻の饒舌な内面を通して描く「わたしの場所の複数」。
人気劇団チェルフィッチュを率いる演劇界の新鋭が放つ、真に新しい初めての小説。
第2回大江健三郎賞受賞作。
[ 目次 ]
[ POP ]
著者主宰のチェルフィッチュの演劇を観るような導入から始まり、多様な解釈が可能な演劇から、一つの選択肢が小説に結晶した。
「三月の5日間」は米軍のイラク空爆の間、あえてTVもつけずに渋谷のホテルで過ごした男女2人の話。
「わたしの場所の複数」は、動かした身体の感覚描写が特に目を引く。
終わり方にも驚く。
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
これは素晴らしい読後感。
僕、彼、男、
私、彼女、女。 -
とても心地よい言葉の海にひたれました。難解な内容だったのに幸せな気分です。三月の五日間の方が好き。私の短い今までの人生に訪れた「特別な時間」に想いを馳せたい。
ピースの又吉さんがオススメしていたので読んでみたのだけど、又吉さんにとって本は「起承転結エンターテインメント」より「本を媒介として自分の内面と向き合う」ものなのかなと、この本を読んで勝手に想像したりしてしまって、それも含めて楽しい読書時間だった。また読みたい。 -
かれこれ長いこと日本の小説を読んできましたが、まちがいなく「最悪の読書体験」。読みかけた本は読み切る主義ですが、この本だけは途中でやめようと何回も思った。詩的才能のない作家による、詩的野心作。
全編にわたって、「答えが見つかっちゃった若い日本人」が、野暮ったいことをすると見つけた答えが失われちゃうことを気にかけている。「なんとなく」「なにか」「のようなもの」の濫用。おめでたい。 -
この本は新聞の書評か何かでふと見かけてずっと気になってたのだけど、さいきん著者(岡田利規)の演劇(「現在地」)を見る機会があってこの本とも再会出来たので読んでみたのであった。
一つ目の「三月の5日間」が素晴らしかった。直接的な強いメッセージがあるということではは全くないので、そうした形で語る必要はないかもしれないけれど、しかし優れた「政治小説」なのだと思う。
「現在地」もそうだったが、政治的なものへの関わり方を直截に、スローガン的に語るのではなく、むしろそうしたものでは解消できない(回収されない)違和感や微妙な感情に忠実な、あるいは敏感な人なのではないかと思う。そして、それが良かった。 -
読む側の場所も解んなくなった。会話文のだらだら感が程良い。生活している時に無意識に思っていることを文字で見てみると意外に選択していることがわかる。動的な文章。SF感
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新しい。そして斬新。
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ついに読めた!帰りの飛行機が遅延したので。その間に。
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巻末の大江健三郎の書評はピンとこなかったが、岡田のこの2作品には何かある感じはする。物語の展開もそうだが、一文一文の言葉のころがしかたも、今までにあるようで無い。本谷有希子に似ている気もするが、もうちょっと繊細というか、悪い意味でなく小さいというか、細かい感じ。
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身体と環境の関係の正確で精密な描写に引き込まれる。
技巧的に進むばかりかと思いきや、どんでん返しもあってビックリした。
ほかのものも読みたい。
「わたしに対して寛容に振る舞うことが、いつだってわたしにとって最善なことなのだと、いつまでたっても夫は思っていて、全然そうではないということ、そういう態度によってわたしは却って自分の狭量さが罵倒されているような気がしてきてしまうだけなので、そういうのはむしろやめてほしいと思うときだってあるのだということを、まったく学ぼうとしない。それを学ぶ必要があるのだということに、夫はいくらたっても気付かない。(p.146)」
誰でもこの「夫」のように、たとえああ「スカンク」の臭えことよと思ったとしても、決して本人にはそう言わずに腹に貯めて生きているのだけれど、それは相手を思ってそれが最善だと信ずるからではなくて、寛容に振る舞うことが一番穏便で楽だからで、それでますます腹を立てている事だって承知している。こうした盗人猛々しい攻撃のあとで、自己嫌悪に陥った的な告白をされ、あまつさえ感謝されることもしばしばだが、まったく馬鹿馬鹿しいと思いつつ、引き続き寛容に聞くばかりだということもあるんじゃないか。まったく同じ個所を引いている読者もおられたし。
寛容とは、わかりあうことではなくて、わかりあえないことを引き受けあうということだろうによ。
追記
同じ箇所を引いたからと言って、同じ印象を持つとも限らず、妻の方に共感していることもあるんだが。 -
すんごい描写力。 ひきこまれたぁー
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『三月の5日間』すごく好み。題名の「5日間」だけがアラビア数字になっているのが気になる。物語は2003年3月20日から始まるのだけど、ちょうどその10年後の同じ日にこの本を読んでしまったこの奇遇。イラク戦争が始まっても、終わっても、日常は続いている。 『わたしの場所の複数』は、はっきりとした視点がどこにもない。一人称「私」で語られているにも関わらず、遠く離れた場所の現在の様子を描写してしまっている。たぶん映画や漫画にはできない表現だと思うが、ただ将来的に文学の何かに発展するような技術/発明ではないと思う。
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みんなが好む本ではないです。ただこの本を体験することに価値はあります。
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舞台で活躍されている作家さんのようで内容もそれがわかるような一般の小説とは違うことがわかる。
まず題名が目を引くし主題の物語も視点が変わっていくのが面白い。
独特のセンスを感じた。