ハムレット (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (284ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102020036

感想・レビュー・書評

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  • シェイクスピア『ハムレット』新潮文庫

    ーハムレットの狂気がやったのだ。そうなれば、ハムレットも被害者の一人、狂気は非力なハムレットの敵ということになる。ー

    訳者は解説で「シェイクスピア劇、特に『ハムレット』に現代的な心理の一貫性を求めるのは邪道である。」と述べている。

    性格や心理ではなく、演技と矛盾を楽しむ感覚は面白いと思った。

    個人的には訳者の福田恆存による「シェイクスピア劇の演出」が非常に興味深かった。

  • 貸し出し状況等、詳細情報の確認は下記URLへ
    http://libsrv02.iamas.ac.jp/jhkweb_JPN/service/open_search_ex.asp?ISBN=9784102020036

  • これだけ重厚な台詞が続くと音読したくなる!
    皮肉のびりびり効いた過激な台詞はケンカの際に引用したいものです。

  • 亡霊の破壊力すごいやね。他の訳は知らないんですけど、福田恆存の訳文は感情の変化、気狂いのフリ、といったところで強烈な表現を選んでおり、読み応えとともに、古典作品にこうした言葉を持ち込んでもいいんだなあ、という発見もあるわけです。

  • 最近、人からハムレットについて考えるヒントをいくつかもらったので私なりにもう少し考えを深めてみたいと思う。

    まずは、簡単な所感から。

    翻訳の言葉づかいは結構古臭いし、かためな言葉が多い。けれどもセリフを追うと役者の息づかい、舞台の上での動きまで見えてくるようなリズムの良い訳になっている。重要なのは設定上の舞台ではなく、劇場の舞台で繰り広げられる役者たちの動きが想像できること。なぜならハムレット=悲劇ではあるものの、あくまでも劇の構成が悲劇なのであって、読むと最初から終わりまで笑える。一場面、一場面、小ネタが効いているのだ。そして、その小ネタは舞台の上での役者の動き、しぐさ、そういったものが想像できてこそ面白い。

    例えば、真夜中の亡霊騒ぎ、身のすくむような恐怖の終わりに、
    ”亡霊:(地下で)剣にかけて誓え
    ハムレット:
     よく言った、もぐらどの!地面の下をずいぶん早く動きまわるではないか?あっぱれ、大した坑夫だ!
     (二人、無言で誓う)
     うむ、もう一度、場所を変えてみよう。”
    これ、亡霊が地下で声を上げるのをからかっている。

    舞台の上でハムレットが動きまわり、舞台の下で亡霊役も一緒に動いてまわる。舞台を縦横に動き回って、神妙な顔つきで亡霊をからかうハムレット、一緒に無言で誓ってまわるハムレットの友人二人の姿を思い浮かべれば笑わずにはいられない。
    ちなみにシェイクスピアが使った劇場グローブ座の見取り図はこんな感じ、この図を見ると舞台がかなりイメージできると思う。
    http://en.wikipedia.org/wiki/Globe_Theatre#/media/File:Hodge%27s_conjectural_Globe_reconstruction.jpg

    シェイクスピアは、ハムレットに限らずこういう観客をあきさせないための演出が抜群に上手い。やはり、シェイクスピアは面白いというのが所感。

    もう一歩、踏み込んでハムレットの主人公であるハムレットに意外なほど共感できない理由を考えてみる。例えば、王様クローディアスなんかはいいやつではないけども共感しやすい。彼の苦悩はよくわかる。それに引き換えハムレットは何を思っているのかよくわからない。苦悩、逡巡、愛、誠実、狂気、一貫した行動原理がよく見えないのだ。まずは、もらったヒントを元に考えてみる。

    彼は演じるものであった。
    王子という役を演じ、復讐という役割が与えられると復讐者の役を演じはじめる。
    そして彼の役には、悲劇という絶対的に決められた結末が存在する。
    To be or not to be, 復讐者としての役割に戸惑うハムレットが、最後には、宿命へ立ち向かうLet beという決断へといたる。
    それは与えられた役割を演じるという過程を通じ、果たさなければならない役割を自分自身の宿命、自ら決断すべき事へと昇華させなければ出来ないことだ。

    なるほど思うにまかせない自らの人生を振り返れば、演じなければならない役割と自分自身のありたい在り方の合一は誰しもが思い描く理想であり、この強烈なロマン主義的解釈は非常に魅力的だ。ドン・キホーテと同じ時代に舞台にかかっていたと考えると胸が熱くなる。しかし、ハムレットという台本を読んだときに私の目の前で繰り広げられた舞台とは違う気がするのだ。

    彼は演出するものであった。
    悲劇の主人公ハムレットという役を演じ、悲劇という絶対的に決められた枠組みを抜け出すことはできない。
    もう一度、最初と同じセリフを引用しよう。

    "ハムレット:よく言った、もぐらどの!地面の下をずいぶん早く動きまわるではないか?あっぱれ、大した坑夫だ!"

    このセリフはどう考えても舞台の登場人物に向かってのセリフではない。真夜中の幽霊に恐怖する無言の二人にこんな冗談が通じるはずもないのだ。これは、舞台を眺める観客へ向かってのセリフだ。周りのあらゆる登場人物が舞台の中の世界の住人であるのに対して、唯一ハムレットだけが舞台の外、観客と対話をしているのだ。彼の苦悩、逡巡、愛、誠実、狂気、それはすべて観客に対する対話の手段だ。観客を笑わせ、泣かせ、はらはらさせる、その全てがハムレットと観客の対話にかかっている。悲しくも、おかしくも観客との対話を通じてどのようにでも劇的に演出できる。それがハムレットの魅力なのではないか。台本を読むという行為においては、一貫性のなさと取れる弱みは舞台においては魅力の根源なのだ。

    他の作品を読んでも感じることだが、シェイクスピアは観客を楽しませることを常に考えている。そして、その楽しませ方の手法をいろいろ試している。ハムレットの面白さは演出家が舞台に立っている、これにつきるのではないか。

  • つひにハムレット登場。沙翁悲劇の中でも人気の高い一作であります。
    わたくしも、好みでいへばこれが一番でして、まあ完成度からいへば例へば『リア王』などに譲るのかも知れませんが、その突拍子もない復讐劇とか、流麗な言葉遊びとか、引用したくなる名言の数数とか、ハムレットの複雑な性格行動とか、すべてが魅力的なのであります。

    初めてハムレットを観たのは、デレク・ジャコビ演ずるテレビ版。本場英国はBBC制作のドラマでした。これですつかり観入られてしまひました。かなりおつさん臭いハムレットでしたが、優柔不断かと思へば無鉄砲に事を運ぶ二面性をさらりと演じてゐました。「言葉だ、言葉、言葉」。
    日本では江守徹さんのハムレットですな。江守さん自らが演出し、当時最新鋭の小田島雄志訳を採用してゐました。「このままでいいのか、いけないのか」。
    その昔、福田恆存訳・演出で芥川比呂志さんが演じたハムレットが素晴らしいと聞いてをります。映画なら観るチャンスはあるでせうが、舞台は観られる時に鑑賞しないと、後悔すること間違ひなしです。もつとも、わたくしの生れる遥か前のことなので詮無いことですが。「いや、それ、あれはいかさま、いはば意味なきいたづら」。

    翻訳について。
    中村保男著『翻訳の技術』によりますと、坪内逍遥以来、『ハムレット』の翻訳は小田島雄志氏までで14人も手掛けてゐるさうです。
    これは多い。福田恆存氏の訳が決定版ではないかと思ふのですが、それ以降も新訳は出てゐます。まあ勇気のある人が多いなと。『翻訳の技術』には、「『ハムレット』の翻訳」と題する一章が設けられてゐますので、沙翁ファンなら必読と申せませう。「さ、行け、尼寺へ」。

    http://genjigawa.blog.fc2.com/blog-entry-527.html

  • 5年ぶりぐらいに再読。先に読んだ本にオフィーリアの描写があったので。訳の加減もあるのだろうけど、400年以上前の作品なのになるほどと思う描写が結構あった。時代が変わっても、人の感覚で変わらないものがあるんだなと改めて思った。

  • 戯曲初体験。
    舞台の上演を想定した軽快な台詞まわしが心地よい。
    そして主人公ハムレットの魅力。軽薄でありながら沈鬱、懐疑的でありながら行動的、冷酷でありながら人情的。多くの矛盾を孕み、また狂気を演じつつ、復讐という自らの宿命へと突き進んでゆくさまは実に人間らしく、魅了されてしまう。
    翻訳者・福田恆存氏による巻末の「解題」「シェイクスピア劇の演出」が秀逸。『ハムレット』の捉えかたや演じかたへの理解が深まる。

  • ハムレットって聞いたことはあるけど読んだことがなかったので

    内容は結構おもしろかったんですが
    最後の方はわちゃわちゃした感じでちょっと残念

  •  この本を読んでシェイクスピアの四大悲劇を読破。ハムレットの複雑な葛藤は読みながらだとなかなか感じ取れなかったが、読んだ後に振り返ってみて分かった。ハムレットの場合、葛藤しているだけでなく、自分自身を演じていることで余計に複雑で答えが見えない。現実でも人は様々な側面をもっていて言葉で表そうとしてもうまくいかないものだから、ハムレットも特別な人物という訳ではないだろう。

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著者プロフィール

イングランドの劇作家、詩人であり、イギリス・ルネサンス演劇を代表する人物。卓越した人間観察眼からなる内面の心理描写により、最も優れた英文学の作家とも言われている。また彼ののこした膨大な著作は、初期近代英語の実態を知る上での貴重な言語学的資料ともなっている。
出生地はストラトフォード・アポン・エイヴォンで、1585年前後にロンドンに進出し、1592年には新進の劇作家として活躍した。1612年ごろに引退するまでの約20年間に、四大悲劇「ハムレット」、「マクベス」、「オセロ」、「リア王」をはじめ、「ロミオとジュリエット」、「ヴェニスの商人」、「夏の夜の夢」、「ジュリアス・シーザー」など多くの傑作を残した。「ヴィーナスとアドーニス」のような物語詩もあり、特に「ソネット集」は今日でも最高の詩編の一つと見なされている。

「2016年 『マクベス MACBETH』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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