卵を産めない郭公 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (382ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102200919

作品紹介・あらすじ

舞台は60年代の米国東部の名門カレッジ。真面目で内気な学生ジェリーは、入学後すぐにお喋りで風変わりな女子大生プーキーと知り合った。彼女にふり回されながらも、しだいに芽生えていく恋。街角でのくちづけ、吹雪の夜の抱擁……だが、愛はいつしかすれ違い、別れの時が来る。生き生きとした会話が魅力の青春小説を、村上春樹が瑞々しいタッチで新訳する。≪村上柴田翻訳堂≫シリーズ。

感想・レビュー・書評

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  •  この小説について、いつか、誰かと深く語り合った。でも、なかなか思い出せない。ただ一つ言えるのは、この本の主軸であるこのヒロインの女の子は、ファンタジーだということだ。このヒロインは、上海ベイビーやノルウェイの森に出てくる女ほどビッチでも感傷的でもなんでもない。ただの「男の理想」である。女の子にとっても、「こんな風に男を振り回せたら」という意味で、女の理想かもしれない。がまずは「女神」のようなものである。聖母のようなものである。その聖母が大学を卒業し、夢から覚めて、だんだんと世俗化してくる。その「女神の死」を書いたものであり、「こういう理想の女から、だんだんと男は女に幻滅しながら、卒業していく」というブルースのような作品である。ぶっ飛んでいるヒロインかもしれないが、正直、大学の先輩たちの体育会系のノリの仕業のほうがよほどひどいしぶっ飛んでいる。最初、バスでヒロインが話しかけてくるのだが、その始まり方だって、まるでジブリかなにかのようで、本当にファンタジーだ。
     そして、この女は結局どうなるか? おそらく、結構幸せに、何事もなかったかのようにちゃっかり生きている訳である。いつまでも引きずっているのは男のほうであると思う。
     しつこい描写というか、いろんなものやら身内ネタは、デッドプールのようで、ついていけない。ありがたがっても仕方ない。じゃあ、こっちは初音ミクの話題をがんがん小説の中で書けばいいだけだ。
     女神と出会い、女神と別れる。物語の流れは実にスタンダードで、女神と出会いファンタジーのような大学生活を過ごし、そして現実に戻る。まるで王の帰還である。だからこそ、普通に楽しめるし、面白いのである。

  • 1960年代前半のアメリカ。
    大学生の青春小説…なんだけど、実感として「青春だなぁ」とかそんなノスタルジーは感じず。

    もっと若い頃に読めばよかったのかも。

    架空の時代の、架空の人類の話って感じで、わたしとしてはSFを読んでいるようでもあった。

    青春小説にせよSFにせよ、読めてよかったし、出会えてよかった一冊。

    あとがきに書いてあるけれど、サリンジャーを彷彿とさせる場面もあって、会話とか場面とかの鮮やかさが読んでいて心地よかったです。

    プーキーのクレイジーさが、痛々しくも魅力的。

  • 村上春樹訳。会話が村上作品のようだった。饒舌な女の子のマシンガンのように繰り出される喋りを、村上春樹の訳で流れるように読めるのは何とも贅沢。

  • 対談で柴田さんが「会話が、原文より村上訳のほうが生き生きしている」というが、あぁまさに村上春樹の青春小説だ。「君ってばっちりカウボーイっぽいよね」「ハリーくんの耳にしっかりキスしてやってもいいくらいだよ、まったくの話!」とか。「プーキー語」の翻訳っぷりはさらなり。
    恋愛が始まり花が咲きしおれていく…いい時代を振り返って「いったいどうやってお互いの神経をとくに苛立たせることなく、僕らは交際できたのだろう?」といぶかしむ。調子はずれの女の子が背負う不穏さがエスカレートしていくところなど、サリンジャーの影響は色濃い。
    村上さんは「大学生の時に読んだがアメリカの大学はずいぶん違うなと思った」そうだが、今となっては時代の違いも感じる。若いライザ・ミネリの映画は見てみたいが、上品な大学の男(童貞)と女(処女)で恋は盲目だった…というプロットでは、現代では映画化できないだろう(笑)タガがはずれ気味のプーキーもシェークスピアを延々引用したり「ブリューゲルのイカロスの墜落の絵の農夫みたいに」なんて言っているインテリ。酒ばかり飲んでいるが、これも対談いわく、羽目を外すのにドラッグにいく時代の前、だそうだ。
    村上柴田翻訳堂で、二人はアメリカ文学史の掘り起こしをしているのだろうな。

  • 60年代、アメリカの名門カレッジが舞台。とにかくしゃべりまくる女子学生プーキーと内気なジェリーの恋愛青春もの。結末がどうなるかは冒頭に出ている。

    作品に出てくる物事やセリフ、行為があとにもつながってくるのが面白い。
    「何か目に見えないものが、何か精神的なものが、そこからこぼれ出ていった」というようないろんな気分が醒めていくような記述が印象的。
    わりと自分の実生活にもあるような気がして…
    人生の重要な部分にいつも注意を払いそこなている、というプーキーの最後のほうの発言には心がちょっと痛い。
    また読み返したい小説。

  • 1960年代前半の東海岸の名門大学を舞台に、風変りの女子学生と彼女に振り回される男子学生の生活や恋愛模様を描いた青春小説。

    「女の子版のキャッチャー・イン・ザ・ライ」かのごとく、饒舌に語り続ける女子学生は本当にストレンジであるとしか言いようがないが、一方で饒舌さが何かを隠すための常套手段であることは、フロイディアンには有名なテーゼである。結末に表れるもの悲しさは、その饒舌さの背後にあるものが彼女の背負う固有の生きづらさであった、ということを示しており、それまでの冗長な語り口はそのコントラストをはっきりと示すためだけに表現されているように見える。

    それにしても、アメリカ青春小説を読むたびに出てくる「フラタニティ」のシステムは、何度読んでもよくわからないし、正直気持ち悪さだけが残る。まあ、日本の旧制高等学校の「ストーム」も似たようなものだと思うが、一方で「ストーム」は既に日本ではほぼ消え去っている文化なわけで、大学という閉鎖的な空間の中でのおままごと遊びという印象が拭えない。

  • これをテーマにしてどこかのバンドが曲作ってるよね?と考えてしまうくらい、音楽が似合う物語。
    ライザミネリが主演したという映画版が見てみたい。

  • 海外の青春小説はどうも苦手だ。日本のものは割と好きなのだけど。おそらく、どこまでが普通で、どこから破目の外し過ぎか理解できないからなのだろうと思う。

  • 60年代アメリカの青春小説。時代的背景は十分に伺えるが、青春小説はいつの時代もいたないものだと改めて思った。
    村上春樹×柴田元幸の対談が本作を理解するのに大いに役立った。このシリーズはこれからどんどん読んでいきたい。

  • 山崎まどかさんの本で映画化タイトルの「くちづけ」として知ってて読んでみたかったんだけど、まさか村上春樹が新訳を出していたとは!突っ込みどころはあれど甘く痛ましい青春小説で好きだった。巻末の村上柴田対談も面白い。

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