歌に私は泣くだらう: 妻・河野裕子 闘病の十年

著者 :
  • 新潮社
4.38
  • (22)
  • (21)
  • (4)
  • (0)
  • (0)
本棚登録 : 137
感想 : 22
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (190ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103326410

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 言葉に託されたものが生き続けるさま、生き続ける言葉を生み出すこと、生き永らえる意義、元は他人である人同士が家族であること。歌人である河野裕子さんの10年に渡る闘病の記憶を、やはり歌人である夫・永田和宏さんが辿る言葉たちに打たれた。

  • いうなれば「たとえば君」の続編。河野裕子発病から死去に至るまでの闘病とそれを抱えた夫婦の、家族の、物語。泣ける。

  • わずかな言葉の中に込められた思い…百の言葉より胸に響く。久々に手放したくない本に出会った。

  • 図書館で借りて。泣きながら読む。たとへば君と内容は結構重複していると思うけど買ってしまおうかしら。

  • 京大の教授でありながら、歌人。そして奥様も子息、また子息、娘も歌人という傍目からはすごい家族です。しかし、乳がん判明後の河野裕子の最期の10年は、壮絶な家族との葛藤で大変だったようです。妻の不安定な精神状態に振り回され、大の大人の男子が泣かざるを得ないような状態で、妻への愛は変わらない!あまりにも凄すぎて、哀しすぎ、愛情の深さが怖いほどでした。
    「淳の肩にすがりて号泣したる夜のあの夜を知るひとりが逝きぬ」和宏

  • 歌人でもありまた生物学者でもある永田和宏が、その妻で、また歌人であった河野裕子が、乳ガンの宣告を受けた2000年から、2008年に再発し2年後に亡くなるまでの闘病の十年をつづった記録である。自然、そこには多くの歌が詠まれている。たとえばタイトルは「歌は遺り歌に私は泣くだろういつか来る日のいつかを怖る」という、妻の死を目前にした永田が歌った歌の一部である。二人は相聞歌集『たとえば君』という本を出すほど、結婚後もお互いを愛し、お互いを歌に詠みこんできた。ぼくは和歌というものはほとんどつくったことがないが、この31文字という日本の伝統文学が、なぜ今も滅びず続いているわけを、本書を読んでひしひしと感じさせられた。ぼくも和歌をつくってみたい。二人は歌の世界の賞を総なめするほどの才人どうしである。夫はまた国際的にもすぐれた生物学者で、しばしば学会出張で家を留守にする。東京の会社をやめて京都大学へやってきたときは、無給の研究員で、バイトをしながら実験、論文執筆にあけくれるから、当然家事育児は妻の裕子にかかってくる。妻の病気がわかってからも、永田は病気を特別視しないために同じように国際学会へ出かける。もともと不眠症をかかえていた河野はおそらく半ば寂しさも手伝い、睡眠薬をウイスキーで飲むという行為をくりかえし、晩年は統合失調症の症状を呈し暴れまわる。しかし、そうなっても、河野は生きているかぎり歌を一つでも多く詠みつづけた。(ちょうど本書が300冊目のレビューとなった。)

  • 三葛館With T||495.46||乳癌

    当館では闘病記として分類している本書ですが、私たちにいろいろな示唆を与えてくれます。
    乳がんを患った患者さんの心理やご家族の思いはもちろん、著者の細胞生物学者としての生き方、妻である歌人・河野裕子氏の、夫や家族への愛情、家族のあり方など、すべてが「歌」を通して語られています。「歌」というものの持つ、たおやかさと迫力が心に沁み入る一冊です。

    目次-----------------------------------------------
    私はここよ吊り橋ぢやない
    ああ寒いわたしの左側に居てほしい
    茶を飲ませ別れ来しことわれを救える
    助手席にいるのはいつも君だった
    夫ならば庇つて欲しかつた医学書閉ぢて
    私は妻だつたのよ触れられもせず
    あの時の壊れたわたしを抱きしめて
    東京に娘が生きてゐることの
    いよいよ来ましたかと
    一日が過ぎれば一日減つてゆく
    歌は遺(のこ)り歌に私は泣くだらう
    つひにはあなたひとりを数ふ
    ----------------------------------------------------

    和医大OPAC → http://opac.wakayama-med.ac.jp/mylimedio/search/book.do?target=local&bibid=65204

  • 短歌を平易に語るように謳う達人。夫婦で歌人。
    「手をのべて あなたとあなたに触れたきに 息が足りない
    この世の息が」が最後の歌とは…。

  • 短歌を詠む夫婦の闘病の記録。夫婦どちらも才能とエネルギーに充ちていて、いつも何かを求め何かと闘っている。すごいと思うが、著者の思いが強すぎて、今ひとつ感情移入できなかった。こうした作品は他と比較すること自体不謹慎かもしれないが、自分としては、俳句の江國滋の闘病記『おい癌め 酌み交わそうぜ秋の酒』の方が心に沁みた。

  • 妻が乳がんを発症して告知を受けてから亡くなるまでの記。岡本太郎によるかのこの記を読んだ時と同様、命を燃やすように創作していくさまが印象的。
    祈るってなんだろう、というのは私のしばらくのテーマだったけど、また考えた。引用にも記した部分は、私もドイツで感じた。一心に祈る人の姿を見て、やっぱり人にそういった行為が必要不可欠と感じずにおれない。
    歌そのものは、夫の歌の方が男性的な冷やかさがあって私は好きかな

全22件中 11 - 20件を表示

著者プロフィール

永田和宏(ながた・かずひろ)京都大学名誉教授、京都産業大学名誉教授。歌人・細胞生物学。

「2021年 『学問の自由が危ない』 で使われていた紹介文から引用しています。」

永田和宏の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×