おやすみ、こわい夢を見ないように

著者 :
  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784104346028

感想・レビュー・書評

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  • ”早く、殺して!早く!早く!”、何が起こったのか?、ギョッとして顔を上げた私が見たのは殺虫剤を片手に声のする方へ走っていく同僚の姿でした。そう、オフィスに出現したゴキブリ退治の一幕、なんのことはない日常風景の一コマ。私が驚いたのは、普段、”殺す”などという言葉を発する存在と思っていなかった同僚の口から出たその言葉です。思えば、我々はこの平和な日々の暮らしの中で思った以上に、このドキッとする言葉を普通に発しているように思います。『殺したい』、『呪ってやる』、『死ねって感じ』。思えば実に暗い感情の塊であるこれらの言葉。こうした言葉が、普段、そんなことを言うとは思っていない人から、ふっと発せられると思わず戸惑ってしまう、そんな瞬間。その発する先の対象がゴキブリであれば、その言葉が達せられた結果論には万人が納得するでしょう。そして、対象が実際に死を迎えることをもって、そのいっ時の『殺して』という感情は消えてしまいます。でも、その対象が人間だったらどうでしょうか。万人が納得することなどないでしょうし、そんな思いが叶えられるようなこともありません。そんな時、その人が抱いたその暗い感情はどうなるのでしょうか。

    『あたしはこれから人を殺しにいくんです』と『背後から聞こえてきた声』に『眠気が吹き飛んだ』というのは主人公・林田くり子。『新宿に向かう九時発の高速バス』に乗る くり子は、途中の休憩所で『伸びをするふりをしてうしろの座席』を見ると『通路側の若い女とばっちり目が合ってしまった』と気まずい展開。『愛想のいい声とは不釣り合いの、もっさりした女だった』という女から慌てて目を逸らします。新宿に到着し、伊勢丹で服を見た時『鏡に映った自分は、かなしいくらいださかった』と嘆く くり子。『たった十一カ月間、東京を離れて半過疎みたいな町で暮らしたおかげで、東京と自分のあいだにこんなに深い溝ができるなんて』と思う くり子は『だから私は引っ越すことに反対したんだ』と過去を思い起こします。そんな くり子の頭に『人を殺しにいくんです』とバスの車内で聞いた言葉が蘇ります。『あの女が本気でだれかを殺すとは思えない』と思う一方で『けれど殺したいと冗談でも言うような、憎悪を抱く相手がいることはたしかだ』と考える くり子。『くり子は考えを巡らし、主語を自分に置き換えて考えて』いきます。『自分にとって殺したいと表現したくなるような人間はだれか』、そして『とっさに思いついたのは夫の佑一だった』という くり子。『実家に帰ることは絶対にない』と言ったのに『結婚後たった一年半で佑一はすべての約束を反故にした』という夫。でも くり子はさらに考えます。『元凶は佑一ではなく義母』だ、と。そして、友人の宏絵の家に泊まることになった くり子は『夫と義母への愚痴、住んでいる町への不満』を『脚色して』話します。そして話題は『殺したいと思った人』に変わります。くり子は『いるいる』と思い当たる人がいるのは確かなのに『思い出せないんだよね、だれだったか』と答えます。一方で、娘の『修子を殺したいと百回くらい思った』ことがあるという宏絵。そんな瞬間『ヒロちゃん、私、今思い出したんだよ』と記憶が蘇る くり子。『冗談でもなんでもなく、本気で殺したいと思ったやつがひとり、いたって』という『大量の水を堰き止めていた小さな栓がぽんとはじけ飛んだように、さまざまなことが くり子の頭のなかに大挙して浮か』んだ くり子は、『あの女いつか絶対殺す、それで自分の人生が台無しになってもかまわない』とかつて殺すと誓った女の元へと向かうのでした。

    7編の短編からなるこの作品ですが、人の心の中にある悪意と憎悪の感情にこれでもかという位に焦点を当て、その感情の正体に近づいていくという内容のため、とにかく読中の息苦しさが際立っています。前記した物語は、一編目の〈このバスはどこへ〉という短編ですが、くり子は『殺したい』と思う対象を一番身近な存在である夫か義母だ、とすぐに思い浮かべます。しかし、過去にもっと強い憎しみの対象があったはずだと記憶を探りますがなかなか思い出せずに考えこんでしまいます。”嫌なことは忘れやすい”とよく言われますが、角田さんは『殺すことが不可能であると理解したとき、この女にまつわる記憶にすべて蓋をしてしまったのかもしれない』と くり子に語らせます。もって行き場をなくしてしまった怒り・憎しみの感情、それを抱え続けるよりも、それを封印してしまうことで、嫌な感情に悩まされ続ける現実から逃れようという脳の働きが、かつての くり子を救いました。そんな一方で、リアルな現実には簡単に蓋をすることはできません。『今いる場所を好きになれず、かといって、あらたな足場を捜すこともできない』という今を生きる くり子は『許したくて、受け入れたくて、先へ進みたくて、それがかなわないのなら、拒絶したくて、無視したくて、断ち切って終わりにしたい』と望みます。でも現実には『そのどれもできない』という くり子。悶々とするこの感情は、決して くり子だけのものではないと思います。自分の思うままになどなるはずのない人生において、悪意と憎悪の感情と上手く付き合っていく、この微妙な感情のコントロールに誰もが日々苦しんでいる、非常に危うい一線がここにある、そんな風に思いました。

    また、二編目の〈スイート・チリソース〉では、『愛してるから相手の嫌な面が目につく』=『憎悪は愛の裏返し』という点を取り上げます。『愛することと憎むことは表裏なのか?』と考える主人公。ここで、角田さんは主人公の言葉を通して『違う、それはやっぱり歴然と混じりあわない肯定と否定だ』と両者が混じり合うことなどないものであると書きます。そして『混じりあわないはずのものが、個人のなかで矛盾せず同じ強度で存在し得るというだけだ』と結論します。一見、微妙な違いにも感じられますが、混じるのと別々に存在するのでは大きな違いがあります。この短編で語られる世界からはその言わんとするところがよく伝わってきました。

    そして、読み応え満点なのが最後の〈私たちの逃亡〉。7つの短編を締め括るがごとく、それまでの6つの短編で描かれてきた悪意と憎悪という大きなエネルギーを持ったその感情がどのようにして生まれ、どうすればその感情から逃げられるのかという点に斬り込んでいきます。『憎しみというのはジャックナイフのようなものだ』という主人公・美咲。悪意に囚われ、憎悪の念を抱き続けている人は『刃をむき出しにしたまま、それを元に戻せなくなった』状態だと断じます。『死ねって感じ』、ふと出てしまうそんな言葉、そしてその言葉を発するに至った感情。それらも最初は『日常でふと抱くのと同じ、ささやかな怒りだったはずだ』という小さな起点に注目します。『ほんのちっぽけなこと ー それだけのこと』というその起点。しかし、この『それだけのこと』だと思っていたものに捕まってしまうと『ナイフのボタンを押してしまう』ことになると美咲は言います。だから『逃げるんだと私は思う。逃げ続けるんだ』と。美咲の語りを通したこの角田さんの言葉に、うっ、と重い何かを背負わされたような、そんな思いが心に残った作品でした。

    この7編に登場する人物たちは決して特別な環境に置かれているわけでもなく、また、特段変わった性格の持ち主というわけでもありません。どこにでもいる人々、我々の隣に普通に存在する人々。我々がそうであるように、人は大なり小なりの悪意や憎悪の感情から全く距離を置いた暮らし方、生き方などできないのだと思います。『殺したい』、『呪ってやる』、『死ねって感じ』、よく考えてみればとても恐ろしいこれらの言葉たち。でも一方で我々のすぐ隣にある、誰もが一度は使ったことのある身近な言葉たち。

    何も解決しない物語。悪意も憎悪もゼロになどならない物語。でも、これら作品に登場した主人公たちは、彼らが抱く悪意や憎悪の感情に相対したことで一歩、二歩と前に進むことができました。でもそれでも誰も逃れることのできない悪意や憎悪の感情の世界。これだけ重い内容なのに読後感が悪くないのは、読者である私も、この作品を通じて悪意や憎悪の感情、その正体と向き合う時間が持てたからかもしれません。そんな色んな思いに囚われた作品でした。

  • 少しばかり過ぎた自己承認欲求が満たされなかったり、他者からの好ましくない横やりから引き起こされた憎しみや憤りは、日常どこにでも誰にでもあるもの。

    その感情を自分自身でその都度認識でき、ゴミ分別のように、処分できたらどんなに健康的なんだろう。

    その憎しみは自分でも気づかぬうちに種となり、心の底でふつふつと発酵し、時には形を変え、自分や他に向かったり、何かに依存してしまう、そんな弱さを登場人物の心の動きの中に、自分を重ねて読んだ。

  • 弟は可愛いものだな。

    いい話もあったけれど、日常にある悪意が
    じわじわきて、後味がよくない本だった。

    悪意に触れて傷ついたり
    生まれた悪意を溜め込むと、人は取り返しのつかないくらい
    太っていって醜くなる。あるいは家の中に引きこもる。
    と、角田さんは思っている。

  • ラロリー。
    日常にある、消える、消えない憎悪。短編だから憎悪がいっぱいで気分が下がる。

  • 読んでいて、ぞくっと、怖くなりました。
    日常に忍び込んでくる悪意や憎悪。
    その表現が見事だな、と思いました。

  • 角田光代はすごいなぁ。
    例えば「くさくてまいってるって、利用者の方から苦情がきてるんです」というセリフ。本当は苦情なんかきてやしないのに、浮浪者に八つ当たりをする。それはもはや自分の職業意識ではなく、ただの八つ当たりなのだ。でも、そう口に出さずにはいられなかったのだ。そうしなければ、自分を保てなかったんだ。
    例えば「ポテトチップスのにおいがする息をまき散らしながら」という描写。かつて憧れていた人を地の果てに落とすのに、この表現はすごい。他のどんな汚い言葉よりも嫌悪感が漂う。
    この本を読んだ私は、別れた恋人に想いを馳せ、引きこもりの弟を登場人物と重ねて胸を痛め、現在の不毛な恋を清算しようと心に誓い、犬を安易に車に乗せるもんじゃないよなぁ…と実感し、「はて、自分が殺したい人は誰だろう」と考えあぐねる。でも殺したいほど憎たらしい人など思い浮かばず、そのことに安堵し、けれども似たような感情が自分の中にクスブッテイルことを認める。
    小さな描写の一つ一つが「あぁ、私と同じだ」と思い及ぶ。
    もう覚えていないような小さな心のほつれを角田光代は思い出させてくれる。痛い記憶を掘り起こす作業は決して楽しくはないのに、私はまた角田光代を読んでしまう。薄汚い感情を抱くのが自分だけはないと、確認するための作業なのかもしれない。

  • 【あらすじ】
    「あたしこれから殺人計画をたてる」。我慢をかさね、やっと受かった高校で待っていたのは、元カレ剛太の「抹殺」宣言と執拗な嫌がらせ。すべての友に去られた沙織は、不登校の弟をコーチに復讐の肉体改造を決意するが……。理不尽に壊された心のゆくえを鮮烈に描く表題作をはじめ、ひそかに芽ばえ、打ち消すほどに深く根を張る薄暗い感情のなかに、私たちの「いま」を刻む7つの風景。

    「好きという気持ちで構成された記憶の方が、その逆よりも早く淡くなり、気づく間もなく忘れてしまうのはなぜだろうとくり子は思う。」

    「自分のなかで、何かがゆっくりと死んでいくのがわかった。」

    【個人的な感想】
    日常のふとした瞬間に湧く人に対しての憎しみ、悪意を集めた短編小説。
    読んでいて楽しい本ではないが、自分にも思い当たる節もないとは言えず、読んでいて気が滅入ってくるような小説だった。

  • 自分の中に他人への憎しみを育ててしまった人が後半目立ってくる。一般の人はある一線を踏み越えなかっただけで、その差はほんのわずかなのかもしれない。どんどんその芽に水をやってしまう人間という生き物の怖さが際立っていた。

  • 人を憎む気持ちは裏返せば自分自身を憎む気持ちでもあったりして、でもそんなことには気付かずにただただ憎いと思ってしまう。

    その気持ちは時が経つにつれて薄れていくこともあるけど、ふとしたタイミングで再燃したりもして。いま現状うまくいかないのは、あのときのあの人のせいなんだと考えてみたり。

    そんな鬱屈とした風景を、さらりと描写した短編集。あくまでも深く踏み込み過ぎない深度で掘り出して、文章に載せたという印象で、なので短編であることに意味があるのかもしれない。


    人生のいろんなタイミングで、もっと前向きなもの明るいものを好む時期もあるだろうし、この作品がしっくりくる時もある。そういう作品。


    2016.6.28

  • もう少し捻りが欲しい

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著者プロフィール

1967年神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部文芸科卒業。90年『幸福な遊戯』で「海燕新人文学賞」を受賞し、デビュー。96年『まどろむ夜のUFO』で、「野間文芸新人賞」、2003年『空中庭園』で「婦人公論文芸賞」、05年『対岸の彼女』で「直木賞」、07年『八日目の蝉』で「中央公論文芸賞」、11年『ツリーハウス』で「伊藤整文学賞」、12年『かなたの子』で「泉鏡花文学賞」、『紙の月』で「柴田錬三郎賞」、14年『私のなかの彼女』で「河合隼雄物語賞」、21年『源氏物語』の完全新訳で「読売文学賞」を受賞する。他の著書に、『月と雷』『坂の途中の家』『銀の夜』『タラント』、エッセイ集『世界は終わりそうにない』『月夜の散歩』等がある。

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