装丁がとても素敵だなと思い、ぱらぱらめくってみて読んでみたく思ったので読んでみました◎
なんとなくメンタル低下ぎみ、読書欲も低下ぎみのときに手に取ったからか、読めるものと読めないものがありました。
いしいしんじさんの本はわりと読めるほうなのだけど、お話によって書き方も変えているぽいのもあり。
読んだものだけ感想などいきます。
・あたらしい熊
なんとなく私的には村上春樹ふう謎めいた短編。
具体的ではなく抽象的にはなしは進んでゆくのだけど、言わんとしていることはなんとなく伝わってきた。
絵を描くことと、土地の土を採取し、うまれかわらせてその土地に返すことは、自分にとってはほぼ同じなのだ、とアヤメさんはいった。くすんでいるものを純粋に、ごちゃまぜの混乱を四角い一枚の上に、自分たちのからだを通し、よみがえらせる、という手順において。
・ルル
いちばん好きなお話かも。このお話も抽象的。でも抽象的だからこそ繊細な部分がぞんぶんに伝わるというか。いしいさんは言葉をえらぶ天才かもと思う。誰かを傷つけない言葉を、つむいでつむいで。優しい言葉をつむいでいる。
不器用にしか生きられないことの想いをやさしくくるんでくれるお話。
いまこの大部屋で夜の底を歩きながら、天井からふりこめる香りを全身に浴び、ルルは、おだやかに晴れた春の草原を、引き綱なしに軽快に跳ねていく思いがした。光のほほ絵r実がそこらで蝶のように舞っていた。ルルは女の人たちが子どもたちに語りかけているのがわかった。重力に縛られない、光の国の、さやかなことばで。光のことばは声としてでなく、頭に色がしみてくるようにきこえるのだ、まるで「見えるように」。
長い間ためこまれた少年の吐息は、ベッドの上空、天井いっぱいに広がっていき、銀色の雪塵のようにちらちらと、大部屋じゅうの空気に散らばって溶けていった。透明な女の人たちははじめて目をみはり、顔を見合わせ、まだ一定のリズムで顎を動かしつづけているルルの背に、開きかけた木蓮のつぼみのようなしずかな笑みを送った。
ルルは透明な、架空の犬なんかじゃない。
それぞれが、のど元や額や顎に、くすぐったい毛の感触、草の香る息遣い、見かけよりずっしりとした顎の重みをおぼえている。施設の大部屋で、押しつぶされそうな夜ごと、ベッドにあがってきては、パズルのピースみたいにすっぽりふところにおさまり、寝入るまでずっと、顔の前で見守っていてくれる。ルルがいなければ、あの薄暗い部屋の隅で、わたしはきっと難波していた。襲いくる波に引き裂かれ、どこへもたどりつけず、ぼろぼろの藻屑になって、夜の改定に沈んだにちがいなかった。ルルは毛の生えた、やわらかな、けれども世界一強い浮き輪だった。ルルがいっしょにいてくれるなら、どんな荒波がきても、わたしは楽々乗り越えることができる。
あの大部屋に限ったことじゃない。名前をきいたこともない町の宿舎、ネオンのさしこむ田舎のホテル、錆だらけのアパート。からかわれたり、踏まれたり、無視されつづけたり、そうでなくっても、部屋の灯りを消すと、闇がそのまま壁みたいな波になって襲いかかってきて、わたしと、わたしにつながるすべてを、さらに深い闇の向こうへ、さらっていこうと逆巻くのがわかる。そんなとき、ルルは必ず来てくれる。十二年前みたいにベッドの端から飛びのるんじゃなくて、ほのかに青白く輝く天井から、光に包まれながらルルは、ゆっくりとおりてくる。そうしてわたしのふところで、青草とみそ汁の香りがまじった吐息を深々とつく。ゆうべだって来てくれた。そうでなかったらここまでやってくる決心はつかなかった。ルル、そこにいるんでしょう?
ひとり、またひとり、五人はゆっくりと視線をあげた。
・海と山のピアノ
このお話も好き。
それまでみんな「ちいさなこ」と呼んでいたのを、「ちさこ」「さなこ」「こちさ」などくるくる入れ替えてみた挙げ句、潮の華が波に落ちるように、ち、な、さ、に落ちついた。いま口にしても、あの横顔をそのまま音に変換したみたいに響く。ちなさ。呼ばれると少女はふりむき、それまでより人間らしく、もっといえば中一女子らしく笑うようになった。半年間、捨てられた冷蔵庫みたいだった廊下や教室に、ちいさな窓がうまれつつあった。ささやかな風を吹き入れ、ガソリンと土と、焦げくさいにおいのまじりあった重たるい空気を、少しずつ、少しずつ、入れ替えようとしていた。
ちなさはつぐんでいた口をそっと開いた。生暖かい息がゆっくりとおりていき小さな生き物をひとつひとつ綿状にくるんだ。人魚の吐息。そうして、同じように「かみさま」は、きっとここにも浮上してくる。三人の女の人が、どこからここにたどりつき、ここでなにを見たのか、ちなさと同じように僕は、口をつぐんでいることしかできない。ちなさはそっと口を開き、切実な吐息でくるむ。それは海のうただ。目に見えないほど小さな生き物たちの、もう動かなくなってしまったからだを運び去り、いつかふたたび、朝日みたいに輝く泡のかたまりとして、磯辺にまた連れてくる、穏やかな波のくりかえしと同じことだ。
鍵盤にむかう小さな背中から、張りつめた糸を抜きとったように、すっ、と力が抜けるのが遠目にもわかった。諦めた、といったように。みずからの身を、いさぎよく横たえ、空からみおろす巨大な目と手に捧げよう、というかのように。ささやかに、ピアノが鳴った。それまでの音と明らかに違っていた。怒りを力でねじ伏せようというのでなく、その底のかなしみをすくい、手を取りあい、共にかなしむ。海の声をききとり、その響きに、同期して鎮める。ちなさのからだはほとんど動いていなかった。ピアノ自信がうたっているみたいだった。ピアノの音が、海に還っていく。何億のあぶくがふるえ、弾けとぶ瞬間、歌のうちにとどまる。
ピアノと同じ、かぼそいけれど伸びやかな歌が、炎と闇のむこうから、おずおずと探るように響いてきた。海に合わせて波打ち、あがってはさがり、あがっては、穏やかにさがる。重なっては遠ざかり、離れあったかとおもえば、ひとつに溶けあっている。夜も昼もない海に、平らかに響きわたる。はじめてきくちなさの歌声。