教養としての上級語彙: 知的人生のための500語 (新潮選書)

著者 :
  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106038914

作品紹介・あらすじ

「さらば、ボキャ貧!」――文章の即戦力となる言葉の数々。「矜恃」「席巻」「白眉」……ワンランク上の語彙を使いこなして表現をもっと豊かにしたい。そんな要望に応えるべく、博覧強記の評論家が中学生の頃より本や雑誌、新聞からメモしてきた「語彙ノート」の1万語から500余語を厳選。読むだけで言葉のレパートリーが拡がり、それらを駆使できるようになる実用的「文章読本」。

感想・レビュー・書評

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  • 難しい単語がどっさり登場しますが、
    すべてわかりやすい解説がついているので毎回スッキリ。
    しかし

    〈語彙には「理解語彙」と「使用語彙」とがあるという。
    理解語彙とは、文章を読んだり、話を聞いたりしたときに
    意味のわかる言語群のことだ。
    一方、使用語彙とは、実地で書いたり、喋ったりして、
    能動的に使うことのできる言語群をいう。
    日本語学者の石黒圭は、
    この二つの語彙を習熟の段階とみている。
    そもそも使える語彙よりも知っている語彙の方がはるかに多い。
    そして「人間が語彙を習得するときには、
    かならずまず理解語彙になって、
    それから使用語彙になる」過程を経る。
    理解する(読解する、聞き知る)だけならば
    大雑把な語釈であっても何とかなるが、
    使用する(書く、話す)となると
    高い精度の言語処理が必要となる、ということだ。
    一般に語彙を増やす、語彙力を高めるための
    ボキャビル本(語彙増強のための本)は、
    例えば意義や用途ごとにリストを掲げ、
    言葉ごとに語釈や用例を示して、
    できるだけ理解語彙を増強しようとするものが多いように思う。
    それは決して間違った習得法ではない。
    しかし、本書はそれとは異なるアプローチを示した。
    すぐさま理解し、いきなり使用(=表現)できるように、
    自分自身が語彙を習得し、使用に耐えるくらいに習熟した過程をそのまま追体験してもらうことに主眼をおいたのだ〉

    と宮崎哲弥さんは仰いますが、
    私のレベルではご期待に応えられそうもありません。

    でも「理解語彙」レベルで十分に楽しい読書ができたので
    ちょっといつもより頭を使いましたし
    利口になった気がして
    読んでとても良かったです。

    今後は、やはり本をたくさん読んで、
    少しずつでも上級語彙になじんでいきたいし
    (ネットより本の方が、正しい使い方をしている。
    著者も編集者もインテリだから)
    正しい読み方をできるように努めたいと思います。

    〈本書は世の趨勢に抗う蟷螂の斧のごときものだ〉

    ●すうせい【趨勢】物事がある方向に動き向かう勢い。
    社会や世間などの大きな流れ、成行き。
    ●蟷螂の斧とうろうのおの(蟷螂カマキリが前脚をふりあげて、大きな車の前進を阻もうとしているさまから)
    弱小の者が己の非力もかえりみず、
    強大な敵に立ち向かう様子。
    はかない反抗の喩え。

  • 宮崎哲弥(1962年~)氏は、慶大文学部社会学科卒、博報堂嘱託研究員、中央大学非常勤講師、京都産業大学客員教授等を経て、相愛大学客員教授。研究開発コンサルティング会社・アルターブレイン副代表。多数のメディアに出演する、評論家、コメンテーター。
    私はこれまで、著者の本では、随分前に『新書365冊』(2006年)を読み、それを参考に何冊かの新書を手に取った記憶があるが、所謂書評本であるその本のクオリティについては考えたことがなかった。ところが、最近たまたま松岡正剛の伝説の書評サイト「千夜千冊」を見ていたときに、『新書365冊』が取り上げられており(そもそも、書評のプロである松岡氏が自らの書評サイトで書評本を取り上げること自体、前代未聞と思われる)、しかもその中で「365冊の新書をずらりと並べたことにも驚くが(とりあげられた新書からみて、すべてはこの数年の読書なのである)、そのすべてに付された10行から50行ほどのコメントが、ただものじゃない。・・・本書を読んで、宮崎哲弥という人物の本の読み方は並大抵ではないことがすぐにわかった。このあと少し紹介するけれど、すこぶる適確な読書力と判断力をもっている。」とべた褒めで、また、「すぐれた批評家は、その多くがすぐれた熟語を発する編集能力の持ち主でもある。宮崎も本書のなかで、適宜、巧みな熟語をもって一冊の内容をしばしば切り取っている。」と、その言語力に触れていたのだ。(残念ながら、それを知ったときには、同書は既に手放してしまっていたのだが。。。)
    そして、そのことが頭に残っている中で本書を書店で目にし、躊躇うことなく入手した。
    拾い読みをしてみると、私としては、収録されている言葉の7~8割が「理解語彙」(=文章を読んだり、話を聞いたりしたときに意味のわかる言語群)で、2~3割が「使用語彙」(=実地で書いたり、喋ったりして、能動的に使うことのできる言語群)のような感触を持ったが、そのバランスもよく、また、語彙事典のようにシチュエーションや言葉の意味から調べられるだけではなく、前から順に読んで行けるような工夫された記述になっているので、一度通読してみたいと思う。
    また、私は近年、短歌を詠み始め、気の利いた語彙(特に和語の)を増やしたいと思っているのだが、本書では漢語だけではなく和語も多く含まれているので、参考になりそうである。

  • ■前説
    まずもって触れなきゃいけないのは、この表題のこと。そもそも教養って〈長い年月にわたり蓄積した知識と経験が絡み合って知恵化し、人生を豊かにするもの〉と僕の中では定義化している。

    新潮社ともあろう大出版社がコンビニの書籍コーナーに並んでるような安直でスノッブなタイトルを付けたなぁと苦笑いしてしまった。それと〈語彙解説とその用法を説く〉著者の宮崎氏なら、『軽々に教養なんて使うなよ〜』と言いそうなのに認めたことにも驚く。※新潮選書の編集者が命名したと決めつけいるけど、実は宮崎氏だったりして…

    ■総評
    本書は、著者が10代半ばより、本・雑誌・新聞等で未知の言葉に出会う度に採録した語彙ノートがベースになっている。その採取作業は虫や植物の観察より楽しい作業だったと坦懐するぐらい没入し、ノートは数十冊・採取語は1万語にものぼる。今回出版に際し500語を選出。残念なのは、紙幅の都合か索引が付いていないことは欠陥と言っていいと思う。

    ■短評
    本書は言葉の意味を記すだけではなく、実例が示されており、ユニークなのはある語彙の説明に使った語彙を説明必要な語彙として即説明を行う念の入り用で、痒いところに手が届いてる。


    普通、人は辞書を読むことはしない。今ならスマホで調べられ、ますます辞書を開くことから遠ざかり、家に辞書はあっても開かずの存在になってるのが大半だと思う。

    僕は小学5年生ぐらいからお年玉で〈ことわざ辞典〉〈故事成語辞典〉〈四字熟語辞典〉などを買い読んでいたので、めくれどもめくれども語彙・語彙・語彙…の単調極まりない本書も最後まで愉しく読めた。

    命題:本書で覚えた語彙を普段使いできるのか?
    僕の答えは『NO』に近い。文章を読む上では、語彙が多いほど書き手の真意を素早くかなりの精度で理解ができる。でも、会話となると聴覚に届くので、例えば「矜恃」「席巻」「白眉」『含羞」「吝嗇」なんて言われると、言葉の意味の解釈に気を取られ内容の理解が疎かになる。

    本書6章にも書かれているが、語彙には『理解語彙』と『使用語彙』の2種が存在する。前者は文章を読んだりする上で、知らない言葉も文脈から推察できたりする語彙を指し、後者は日常で使いこなしている語彙。

    この2種の語彙の関係は、理解語彙>使用語彙。要はおおよそ知ってはいるが、いざ使うとなると、普段使いの語彙を使ってしまい、ビジネスの場等で自身ボキャ貧ぶりが露呈してしまう。

    とは言え、語彙を闇雲に増やしたところで、それが実際に使えなければ意味を持たない。

    そこで…
    ①語彙の意味を理解した上で使う。
    ②また別の言葉に置換できる平易な語彙を増やす。
    ③類語も合わせて記憶する。

    ようやく、この3つができたことで使える語彙となる。

    …と読み返し偉そうな書いてるなぁ。それと熟語が多い。熟語は端的に言い表すショートカットのつもりで使ってるけど、それが余計にわかりにくくしているのであれば〈策士、策に溺れる〉の口ですな。

    語彙を増やす本読んだのに、ますます迷走中。また熟語使ってしまいました。

  • 博覧強記の評論家である著者が、中学生のころから延々と作り続けてきたという「語彙ノート」。そこにメモしてきた「上級語彙」約1万語から、500語を厳選して紹介した本だ。長年の趣味が結実した「実用書」である。


    「上級語彙」とは、「高級語彙」(学術用語、専門語)と日常語の中間あたりに位置する、やや難しい言葉や表現を指す。

    私は図書館で借りて途中まで読み、「これは手元に置いて何度も読み直したい」と思い、あえて紙書籍を購入した。ライターがボキャブラリーを増やすためにも役立つ本だ。

    取り上げられた「上級語彙」には、私が知らなかった言葉もけっこう多い。また、知っていても意味を微妙に取り違えていたものも少なくなかった。勉強になる。

    辞書のような無味乾燥な内容ではない。読み物として楽しめるような工夫が随所に凝らされているのだ。

  • 2023.09.16 東洋経済2023.03.04号のブックレビューより。「専門的な高級語彙と日常的な基本語彙の中間にあって本や硬めの文書などの登場する」

    宜う(うべなう)
    肯う(うけがう)
    肯ずる(がえんずる)
    寡聞
    忸怩
    近侍
    嚆矢
    間然
    正鵠
    厚誼と交誼
    帯同と同行
    正戦と聖戦
    論を俟たない
    驥尾に付す
    顰に倣う

  • 宮崎哲弥は、言葉が好きなのだと思う。
    彼が幼少期から収集してきた言葉を集め、豊かな表現として使える形に表現する手法はなかなかにわかりやすい。

    辞書を読むのではなく多少注釈が多い文章的な感じで読み進めると、知らなかったことばや、既知の言葉から派生した、もしくは元となった言葉に出会える。
    私も仕事として言葉を使うが、私が使う言葉は「相手が理解できる程度」が求められるので、常に平易な言葉を選び勝ち。
    日本語の機微な感覚を愉しむこととは対極にあるが、本書の筆者、宮崎哲弥氏は言葉使いを自己の満足としているようだ。
    ただ、個人的に多くの言葉を知ることは、私にとっても楽しい作業であり、その点で本書はなかなかに愉しかった。
    ちなみに本書は手元に置いておくべき本なので、図書館には頼らず最初から購入した。

  • 氏の手になる新書ガイド新書を読んで、それを参考に次々手に取った経験もあり、その発信は楽しみ。でも意外に、上木する書は少ないイメージで、それは少し残念。そして本書。扱われる内容もストライクで、これは読まないとということで、入手・読了。勉強になったというのは言うまでもないけど、読み物として面白かったのが素晴らしい。理解語彙と使用語彙についても触れられているけど、大いに納得。大人が使用語彙を増やすためには、それなりの努力が必要。で、その対象となる語彙をピックアップしてみたら、えらい量になってしまった。でも一つずつ確実にものにしていきたいので、覚えとして列挙しておく。

    上木 嘉(よみ)する 衒学(pedantry) 死友・管鮑の交わり・莫逆の友 久闊を叙する ゆくりなく・はしなくも 私淑(私かに淑しとする) 薫陶、陶冶 鼎立、鼎談(三者による) 和語において「匂う」がもともと視覚的イメージを表す 耳食(耳で聞いて味を判断) 陋巷(ちまた) 糟粕を嘗める 肯う(うけがう) くちい(腹がいっぱい) とめゆく(尋め行く) 徐に(ゆっくりと、徐々に) 愁眉を開く(顰めた眉を戻す) 蓋し(強い確信) 白兵(武器の総称)、短兵急(だしぬけ) 失笑(吹き出してしまう) 冷笑主義:シニシズム、シニカルな姿勢 莞爾:
    にこにこ笑み せきあえず(塞き敢えず) 畢竟:結局のところ 間然する所がない:非難すべき欠点が無い 取意:意図を変えずにまとめる、引用する 贅言:無駄な言葉、贅する:余計な事を言う 容喙(喙を容れる):差し出口

  • 難しい言葉をひけらかしたくなる衒学趣味
     一番不便なのは、ダウンロードしないと索引を使へないこと。語彙集としては欠点中の欠点。
     内容としても、てっきり斟酌とか剴切とか蓋然性とか、あまり使はないが有用な言葉が載ってゐるかと思ひきや、濫觴だの耳朶だの、燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんやだの、いつ使ふの?といふ文学的な言葉が多い。いくらボキャ貧でも、こんな単語は無用の長物である。もっと本書でいふ「使用語彙」を増やしたらどうか。
     読書猿はこの本を書評してゐるが、こんな上級語彙を使はずにわかりやすく物事を伝へることを基本にしてほしい。

  • もうこの年になると、今更だな。

    中高生なら、あるいは、だけど、それでも人から勧められてわざわざ身に付けることも無い気がする。
    読書をしていれば、ある程度は自然に身に付いてしまう。
    偏りなく、ある程度の量は必要だろうが。

    耳から入る、日々のやりとり、昭和を含む日本文化、時代劇とかに接する機会が激減していることで難しくはなっているかな。語彙って古い言い回しが、ベースだからね。

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著者プロフィール

1962年、福岡県生まれ。相愛大学客員教授。慶応義塾大学文学部社会学科卒業。専門は仏教思想・政治哲学。サブカルチャーにも詳しい。近著に、『仏教論争―-「縁起」から本質を問う』(ちくま新書)、『ごまかさない仏教―-仏・法・僧から問い直す』(新潮選書、佐々木閑氏との共著)、『知的唯仏論―-マンガから知の最前線まで─ブッダの思想を現代に問う─』(新潮文庫、呉智英氏との共著)、『さみしさサヨナラ会議』(角川文庫、小池龍之介氏との共著)、『宮崎哲弥 仏教教理問答』(サンガ文庫、白川密成・釈撤宗・勝本華蓮・南直哉・林田康順の各氏との共著)、『日本のもと 憲法』(監修、講談社)など多数。

「2020年 『いまこそ「小松左京」を読み直す』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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