- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784106109881
作品紹介・あらすじ
明治十年の創立から東京大学は常に学問の中心としてあり続けた。大震災、戦争、大学紛争、国際化――その歩みはまさに日本の近現代史と重なり合う。時代の荒波の中で、歴代の総長たちは何を語ってきたのか。「名式辞」をめぐる伝説に、ツッコミどころ満載の失言、時を超えて紡がれる「言葉」をひとつずつ紐解く。南原繫から矢内原忠雄、蓮實重彦まで、知の巨人たちが贈る、未来を生きる若者たちへの祝福と教訓!
感想・レビュー・書評
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※本稿は「北海道新聞」日曜版2024年3月3日付のコラム「書棚から歌を」の全文です。
・今日よりはかへりみなくておほ君の醜【しこ】の御楯【みたて】と出で立つ吾は
今奉部与曾布
3月は卒業式、そして4月は入学式。東京大学の歴代総長たちは、式辞で学生たちにどのような言葉を贈ってきたのだろう。
創立は1877年(明治10年)。その長い歴史の中には、冒頭の「万葉集」防人【さきもり】の歌を学生たちに贈った時代もあった。
日中戦争下、13代総長平賀譲が、「諸君の多数はまた、遠からず皇軍に召されて、入営出征の光栄を担ふことにもならうと思ひます」と述べ、先の歌を引用していたのである。
戦後は、戦没学生への追悼の辞も加わり、新制大学となってからは雰囲気も変わっていく。創立100年にあたる1977年、21代総長向坊隆の入学式の式辞は印象深い。落語や舞踏を引き合いに、「最も大切なのは『間』のとり方」と、余裕をもつことの重要さを説いていた。「ユーモアを解さない人間は、少くも国際社会では尊敬されません」と、海外でも活躍する社会人像がイメージされていた。
95年、阪神淡路大震災後の卒業式では、25代総長吉川弘之がボランティア活動や人々の連帯の意識に触れ、「災害を前にして、できるだけ苦しみを共にしよう」という思いの発現に感銘を受けたと述べ、被災者への想像力、単なる同情に終わらない連帯の力に言及していた。今日にも通ずるものだろう。
巻末、上野千鶴子名誉教授の来賓式辞も引用し、「ノブレス・オブリ―ジュ(高貴なる者の義務)」を強調した点も読みどころと思う。
(2024年3月3日掲載) -
東2法経図・6F開架:377.28A/I75t//K
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能力と機会を与えられたものが負う責任
時間軸に沿って時代をあぶり出す
総長が国立大学の頂点に属すること、社会に出るにあたり、何を伝えたか
何が変わり普遍的なことは -
大学の式辞、それだけをまとめた本があるとは知らなかった。
そのネタ本をもとに、色々な背景を含めて時系列にまとめてある。
やはり印象に残ったのは大学というものは戦時中から
戦後にかけての戦争に関わる頃の言葉。
時代に大きな影響を受け、
教育というのは政治に影響を受け、人に大きな影響を
及ぼすのだなということ。
そして東大も大きく変わりながらもその存在感を示し続けている
ひとつの雰囲気を味わえる本だと思った。
(私は京大贔屓なのですが) -
東大視点の日本近現代史という内容で興味深い。何と言っても転換点は南原繁と矢内原忠雄であるが、「国策大学」から「国立大学」へという時代的背景があるとは言え、キリスト教的価値観が色濃く出ているのは賛否があるだろう。
その他、印象に残ったのはフンボルトを引用した林健太郎の式辞で「学校とは出来上がった解釈済みの知識を扱うところであり、大学は学問というものを、未だ解決されない問題として扱うところである」という文言で、大学関係者はどの程度認識理解しているのだろうかということは現在でも問われ続ける課題であるように思える。
これに関連するというわけでもないのだが、本書の難点は式辞がセレクトされ且つ著者の解釈が色濃く出ていているので、それに引っ張られないように疑う姿勢が必要だということだろう。できることなら本書に留まらず、式辞の原典集を説明抜きで読んでみることが大事なのかもしれない。