- Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121005151
感想・レビュー・書評
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子どもの心象風景の豊饒さ。親はこんな風に関われないからな。。感動と言うより、圧倒される。そのパワーと、切実さに。
・彼らは「時代を映す少年たち」なのです。私はこの本を書くにあたり、この少年たちを曇りなく映し出すことのできる、もう一つの鏡でありたいと欲しました。
・「線路を横断する事」とい心象(イメージ)表現が惹き起こした母親の感情的な反応に対して、道太は、これまでみられていたような、「ものを噛む」という神経症的・心身症的な表現ではなく、明確に言葉のレベルにおいて、「自分の立場」を主張することができたのです。
そのあと、面接した母親の口から、「先週あたりから噛むのがぐんと減った」こと、「むしろ自分(母親)の方がすごく気が短くなり、いらいらいしている」ことなどが聞かれました。子どもの「症状」が減るのに反比例して母親の「不安」が増していったということは、子どもの呈していた神経症的症状が、実は「家族の不安」に基づいていたことを物語っているわけです。
・一般的に言って箱庭療法中にこのようなすさまじい「荒れ」の表現がみられる場合、治療者は相当慎重に考えねばなりません。このような深い層での混沌(カオス)が顕わになる時には、箱庭づくりを一時中断するのが普通とされています。それは子どもの自我の制禦を超えて無意識があふれ出し収拾がつかなくなるおそれ―時には精神病的世界へと落ち込むこともあります!―があるからです。道太の場合は、この状況から出発して次の世界へ行くべき汽車が置かれ、「明るみへ」の一つの方向性を呈示していましたので、かろうじて中断せず続行したのです。
・障害児たちを受け取って、本当は迷惑しながら、何も言わず、ただ波風の立たぬようにと、ひたすら彼らを「お客様」扱いしたり、母親に責任をかぶせて、母親つきでなければとってもやっていけない、と毎日母親に学校通いをさせるような教師たちよりも、「私にはとてもこの子に責任がもてません」と言い切る教師の方が、あとあとその子についてよく面倒を見られる傾向がある、と言えそうです。この言葉は、その時点での彼らの本音であり、ある意味で事実にもとづいています。しかし、そこで悩み、苦しみ、どうしたらいいか考えあぐねていかれるとき、はじめて「一人の障害児を捨てて、他の39人を守る」というのは、結局その39人の一人ひとりも本当には大切にしていないことだ、ということに気づいていかれるのです。
・「こっちの女の子と男の子は?」
「この子は眠っているだけなのに、まちがって埋められちゃったの。でも、男の子が気がついて大声で女の子の名前を呼んでいるの。早く起きなさいって」
「目を覚ますといいね」
「でも、なかなか大変なの」
「どうして?」
「わかんない」
・レディ先生が、「庭‘夫’くーん」と呼ぶと、最前列第一行目の席に座った子ネズミが「ハーイ」と返事をしました。皆、一斉に拍手です。
これは箱庭での表現であると同時に、現実の学校場面でのそれでもあることは言うまでもありません。すなわちここで庭‘子’ははじめて、イメージの世界と現実の世界とを一致させることができたのです。
・友人のことにふれたついでに、もう一つの大切なことを付け加えておきます。これは思春期より前の7、8歳のときに多いことですが、それまであまり友人を持てなかった子が、やっと一人の友人が出来たとき、その子がたまたまクラスの中でのけもの的な存在だったり、盗癖などの悪い癖を持ったりしている子である(よくこういうケースがあるのですが)という理由で、母親がけむたがり、むりやりこの友人を遠ざけることがあります。これは厳につつしむべきことです。
…不良だから、悪い子だからという親の目は、かえって自分の子もそういう方向に押しやっていきがちです。少年たちが自分の力で友達をつくり、自立していく芽はどんな芽でも大切にしたほうがよいようです。
・こわがらなくてもいいの、暗いのはお母さんだからね
―リルケ マルテの手記詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
▼福島大学附属図書館の貸出状況
https://www.lib.fukushima-u.ac.jp/opac/opac_link/bibid/TB20054658
児童精神科外来での事例をもとに子どもたちの心を描き出します。数十年前のケース集ではありますが,現在の子どもの臨床心理学的支援を考える際に示唆に富む本だと思います。
(推薦者:人間発達文化学類 青木真理 先生) -
陽性転移状況(治療中におこってくる恋愛感情に似た状況)
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精神科医が、精神療法の中の箱庭療法について書いた一冊。
実例が若干古いものの、勉強にはなった。 -
ユング派の臨床心理学者である著者が、小学生から中学生の患者への精神療法のなかで出会ったエピソードを数多く紹介し、少年期の心理に迫った本です。
本書でとりあげられている子どもたちのエピソードの一つひとつがたいへん興味深く、それと同時に、子どもの内面で生じている家族や学校にまつわる問題への問いかけを含んでいて、おもしろく読むことができました。 -
ユング派の重鎮だが、名古屋学派の流れも汲んで、わりと自由な考え方を持つ先生だ。
小学校入学から卒業までの児童・学童期を、フロイトは欲動の潜伏期として安定性の内に括ったが、親から離れた社会化の初動期としてここに注目したのはサリヴァンである。〈仲間(コンピアーズ)〉や〈親友(チャム)〉との関係をどう形成してゆくか。〈ひとり〉から〈われわれ〉によるコラボレーションへの挑戦は前青春期から青春期につながるカギ概念である。
本書が扱うのもこの時期の少年少女。箱庭、絵画、写真、手紙などを用いて、これは治療というより交遊記とでも呼びたいようなドキュメント。
理論や技法はいつも背後で治療者を助けるが、現場にいるのは生身の人間でしかない。その呼吸を臨床家は試練の中で学び続けなければならない。 -
放送大学の授業で山中先生のことを知り、さらにこの本が「心理臨床の古典的名著」という評価であることも知って手に取ってみたが、評判どおりの本だった。「子どもを支える」とはどういうことなのか、さまざまな症例を通じて、山中先生が訴えたいことが、ひしひしと伝わってきた。大人として、山中先生の足元にも及ばないけれど、でも、その姿勢・その気持ちは見習っていきたいと思う。
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学生の頃に読んで感銘を受けた本。子どもに向き合う姿勢のなんたるかを教えてくれました。
でも今回の再読では、やや物足りなく感じたのが正直な感想。基本に立ち返るには良いが、日々の臨床にはまたそこにしかない難しさがあるように思う。