グレ-ト・ギャツビ- (村上春樹翻訳ライブラリー f- 2)

  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (356ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784124035049

感想・レビュー・書評

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  • 人は誰しも自分のことを、何かひとつくらいは美徳を備えた存在であると考えるものだ。そして僕の場合はこうだ___世間には正直な人間はほとんど見当たらないが、僕はその数少ないうちの一人だ。



    .
    青春が、時間をかけて少しずつ色褪せていく、その移ろいを繊細に掬い取ったような上品さがある。それはたぶん翻訳者の脚色もありきでそう感じるんだと思う(あとがき参考、村上春樹がこの作品への思い入れを熱弁していて良かった。)


    外国文学って、どうしても翻訳した時点で原作オリジナルとしての良さが半減するし、特有のニュアンスは失われてしまうんだろうな、と思って敬遠してたけど、純粋に楽しめたし、むしろこれは別物として割り切った上で、原作特有のリズムを味わってみたいと思えた。

  • 「誰もかれもかすみたいなやつだ。みんな合わせても、君一人の値打ちもないね」
    この語り手ニックの言葉が物語(ギャツビー)を表しているような気がした。
    冒頭、ギャツビーが遠くの海上にある緑の灯火に向かって体を小刻みに震わせている理由。愛する一人の女性のために成り上がった先に待ち受けていたもの。それでも彼は豪邸から遠くの海上に灯る緑の光に手を伸ばし続けた。

    村上春樹が、誰かを深く愛したという過去はあとで自分を温めてくれるということを言っていた気がする。ギャツビーはどんな境遇にあろうとも、デイジーという女性を深く愛した過去が彼をずっと温め続けてくれたんだと思った。

  • これは、読んでいて辛いな。最後はこれでいいのか…?でも、これが名作と言われる理由は、何となく分かった気がする。

    ずっと恋焦がれていた女は、他の男(しかも結構なクズ)と結婚していて、しかもその女自身も結構な…
    彼が毎週末、豪華なパーティーをするのは、その1人の女のためだったし、その根本的な理由を思うと「あぁ、ギャツビー……」と思わざるを得ない。

    ギャツビーは一途過ぎて、見ていて眩しいくらいだった。そう、彼の豪華絢爛な週末のパーティーの様に。
    そこまで一途に人を愛せることは、素敵なことだとは思うけど、結局彼はそれが原因で、あのような最期を迎え…そして、あんなに周りに集まってきていた人、デイジーでさえも、最期には現れず……

    確かにみんな、ニックの言うように"かす"ばっかりだった。
    デイジーは同じ女としても最低だと思うし、ギャツビーにあそこまで愛される価値なんぞないと思う。
    トムもトムであり得ないし…
    ただ、そこまでジメジメねっとり妬み嫉み!みたいにかんじなかったのは、村上春樹訳だったからと言うのもあるのかも知れない。

    これは読んでよかった。

    ニックがギャツビーに言ったあの言葉….あれは「何なんだこの話は……ギャツビーが辛すぎるだろ…」と思っていた私の気持ちも救ってくれた。

    ニックに村上春樹作品特有の「やれやれ」感を、若干ではあるが感じた私がいた……ふふふ……

  • 毎年恒例、私が選ぶ今年の夏の終わりの一冊。
    グレート・ギャツビーって、タイトルはずっと知ってたけど正直あらすじは全然知らなかった。
    ジェイ・ギャツビーという大富豪の青年が、結婚してしまったかつての恋人・デイジーをひたすら想い続ける話だったとはね。
    そこにまた別のW不倫も絡んで、人物相関図は中々に複雑だ。隣人ニックの視点で進んでいく。
    デイジーがニックの家にお茶をしにやってきて、そこにたまたまギャツビーが居合わせた、という設定の作戦は最高だった。免色さんじゃん。私としてはこの再会のシーンが一番のハイライトだと思う。
    約束の四時二分前に「誰もお茶には来ないよ。もう遅すぎる!」と顔面蒼白で叫ぶギャツビー。
    彼にあれほど愛されるというのは、どのような気持ちがするものなんだろう?そして彼があれほど恋い焦がれるデイジーは、いったいどれほど素敵な女性なんだろう?
    過去は流れ去っていくし、私たちはそれらに押し戻されながらも決して手に取ることはできずに、取り返しのつかない焦燥感に耐えるしかない。今なら届きそうだと思っても、過去には決して手をつけてはいけないのかもしれない。
    果たされることなく終わった悲しみや、人の短命な至福。まっすぐにそれらを追い求め続けるギャツビーという一途でピュアな青年に、ニックだけじゃなく私だって好感を持たずにはいられない(まぁちょっと束縛強すぎてめんどくさそうだけど)。
    そして、ああ、夏の日の昼下がりに飲むミント・ジュレップがたまらなくおいしそう。ミント・ジュレップがなんなのか分からないけどそれでもおいしそう。

    そこかしこに村上春樹が影響を受けたんだろうなと思わせるエッセンスが散らばっていて、それを見つけることが楽しかった。デビュー作の風の歌を聴けの雰囲気、そして騎士団長殺しに至ってはオマージュかと思うほど。そこに並々ならぬリスペクトを感じる。

  • 映画のポスターでしかこの作品の存在を知らなかったので、ポスターの煌びやかなイメージで読み始めていたが、世界観はすごく落ち着いていて、なんなら最初の方は少し退屈なぐらいのんびりしていた印象を受けた

    だけれど、前半にのどかなシーンが続いたからこそ、後半の急展開に持っていかれた
    結末はたしかに切なさを感じたが、不安から生まれる根拠のない思い込みや保身という、人間の嫌な部分の怖さの方が読んでいて印象深かった
    生涯掛けて憧れていた人の本性を見た時、ギャッツビーは何を思ったのだろうか
    主人公と彼が直面した人間の真実や現実を含めて、最後の一節に込み上げてくるのがあった

  • 村上春樹訳だからか、言い回しが独特でロマンチック。特に情景の描写がとても綺麗。じっくり言葉を味わいながら読みたい作品だと思った。自分の頭の中でちゃんと反芻しながら読まないと、この物語の良さは分からないだろう。
    かつての夢を一途に叶えようとするギャツビー。人は変わっていくもので、変わらないものなんてないけれど、ギャツビーは絶対的に過去の夢を信じ続ける。しがみついていることで生きているように。自分の力でどうにもできないことって生きていたらある、運命のようなもの。でもその失われかけた夢を自分の力で、どんな手を使ってでも手繰り寄せようとした。
    その切実さに惹かれる。
    華やかさや煌びやかさ、作り物紛い物の安心感の中に、現実の虚しさや儚さが垣間見える。切ない気持ちになる。

  • 高校生の頃に新潮文庫の方を読んでおり、内容もある程度記憶に残っていたので、ストーリーを楽しむというよりは訳者による表現違いを楽しもうと思って読みました。
    翻訳ものが訳によって全然違うというのは聞いていましたが、今回実際に読み比べて訳者が違うと全体の印象がこんなに変わるものか!と驚きました。
    以前の訳ではギャツビーの執着心が何かと目に付き、何て気持ち悪い人物と思っていましたが、今回はそこまで感じませんでした。
    むしろ今回は、デイジーの身勝手さと保身に走る姿に反感を覚えました…
    スコッティ・ジェラルドの作品は言葉の美しさが魅力と良く聞きますが、今回その美しさの意味を少しだけ感じ取ることが出来た気がします。

  • ○「誰かのことを批判したくなった時には、こう考えるようにするんだよ」と父は言った。「世間のすべての人が、お前のように恵まれた条件を与えられたわけではないんだと」
    ○ギャッツビーは緑の灯火を信じていた。年を追うごとに我々の前からどんどん遠のいていく、陶酔に満ちた未来を。それはあのとき我々の手からすり抜けていった。でもまだ大丈夫。明日はもっと速く走ろう。両腕をもっと先まで差し出そう。・・・そうすればある晴れた朝にー

  • 昔読んだけど忘れたから映画観た!
    この本についてコメントされてた方の言葉を借りると、「シャンパンみたいな」映画だっあ。
    あとは、核心をついてて考えさせられた。当時のアメリカがみせる、人間の本質(悪い面)だと思う。

  • この本を読んでみようと思った最初のきっかけは『テヘランでロリータを読む』を読んで、この作品が登場した時。次に気になったのは、村上春樹氏のイチオシ作品と知って。村上作品に苦手意識があり、せめて翻訳本だけでもと、氏の翻訳でじっくり読んでみた。アメリカの狂乱時代を背景に切なくて理不尽な展開。不条理な世界。器用な人間ほど、時に不器用にしか生きられないのか。

    本国アメリカでとても人気のある作品とか。アメリカ人はハッピーエンドがお気に入りなのでは? アメリカンドリームを実現出来たこの時代に、古き良きアメリカを重ねるのだろうか。また、イラン革命の頃のテヘランで開かれた読書会、命掛けで本作を読んだという実話等々。世界でこの本が読まれる理由があるのだろうが、その答えを見つけられるほどには読みこなせなかった。要再読。

著者プロフィール

1896~1940  1920年、処女長篇『楽園のこちら側』がベストセラーとなり、妻のゼルダと共に時代の寵児ともてはやされるが、華やかな社交と奔放な生活の果てにアルコールに溺れ、失意のうちに死去。『グレート・ギャツビー』『夜はやさし』等長篇数作と数多くの短篇を残した。

「2022年 『最後の大君』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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